人気漫画『チ。ー地球の運動についてー』の、その先へ。「地動説」を受け継いだニュートンが熱中した「真理」とは
「チ。ー地球の運動についてー」が大ヒットして、今、アニメも絶賛放映中です。恥ずかしながら、私は、今年に入って、この漫画の存在を知りました。
地動説のマンガが流行っているらしいって聞いた第一印象は、「えっ、あんな真っ暗な時代がエンターテイメントになるの?」ということでした。それに、たぶん、教会勢力が悪者に描かれて、宗教=悪みたいな安直な描かれ方がされているんだろうなと勝手に邪推して、しばらく読むのを控えていました。
一旦読み始めると、この世界の真理とは何かをとことん追求しながら、自らの命をも省みず、真理探究の情熱をつないでいくドラマに、不覚にも感動してしまいました。
それでも、ひねくれ者の私は、「教会に都合の悪いものを排除する」という旧態依然に対して、「人間が観測できるものが真理なんだ」という強烈なアンチテーゼぶつけるところに、今の時代においては、少々違和感を感じてしまったんです。
ちょっとしたネタバレにはなりますが、マンガの最後は、受け継いだ「地動説」が、コペルニクスへとつながることが明かされています。歴史的には、コペルニクス以後も、「それでも地球は回っている」とつぶやいたガリレオ・ガリレイ、そしてニュートンへと続き、教会が唱えるような迷信や、合理的には考えられないような神秘思想はどんどんと消えゆくように見えます(このつながりについても、とても面白いので、どこかで詳述します)。
特に、ニュートンは、地球が動き、太陽の周りを回っている「地動説」をさらに発展させて、「なぜ、星は動くのか」という答えを「神の御業」ではなく、「万有引力」と説きました。そのほかにも、「光の解析(プリズム)」「微積分」といった業績を残して、世界の仕組みを説明するのに「神」を必要としない「古典物理学」を大成することになります。
これだけを見ると、ニュートン以後、科学主義の時代が始まって、もはや神なんて存在する必要がなくなった――と思わされますが、実は、ニュートンの実像に迫ると、まったく違うものが見えてくるのです。
では、ニュートンが本当に追い求めた「真理」とは、一体、何だったのか。本稿で、一緒に探究してみましょう!
1946年、イギリスのケンブリッジ大学で行われた「ニュートン生誕300年」が開かれました。そこで読まれたのは、同じ大学を卒業した経済学者のケインズのある論文の一節でした。
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