「アットホームな職場」が怖い
前回の「私のような人がどこにもいない」の続編のような記事です。
最近、数ヶ月の失業(職業訓練含む)期間を経て就職しました。
アクセスは極めて悪く、求人票には「アットホームな職場」とある。それでも職場見学を経て断られることが続き、自信をなくしていた私はその仕事を受けることにしました。
そもそも、前回記事に書いた通り、年齢だけいっていて経験のない私のような人間に選べるほど仕事があるはずはありません。また、勤務時間の要望などかなり自由がきくとのことで、有り体に言って「ゆるそう」な雰囲気だったのも就業を決めた理由のひとつです。
そして初出社から3日経過した今現在。予想通り雰囲気はゆるく、穏やかで感じのいい人が多いので「アットホームな職場」は嘘ではないと思えました。しかし、じゃあ良かった、めでたしめでたし、とはいかない私だから困るのです。
一緒に仕事をする女性2人はとても感じがよく、お昼も一緒に食べているのですが、どちらも子どものいる既婚女性なので、どうしても雑談が家庭の話になる。子どものこととか、夫ってこうだよね〜とか。私はそれに適当に相槌を打ったり、愛想笑いを浮かべていることしかできません。
自分が離婚していることとか、元・専業主婦の皮をかぶったニートだったこととか、そんなことわざわざ言うのも変だし、誰も興味なんかないでしょう。
雑談は人間関係の潤滑油などと言われますが、では何を話せばよいのか。スポーツなど共通の趣味で盛り上がる人々もいますが、私にはその引き出しもない。そして私の観察によれば、最も一般的な雑談はやはり家族の話なのです。若い人はまた別かもしれませんが、ある年齢以上の女性の場合は大抵結婚していて子どもがいるので、共通の話題を求めると結局そこに行き着くのだと思われます。
思えば職業訓練でも、女性はごく若い未婚の女性を除いて大抵が子どものいる母親でした。そこでも嫌な人はいなかったので、一緒にお昼を食べたり表面的には楽しく過ごしていたのですが、子どもの話になると輪に入れない。自分の話をするのもおかしい。結局どこへ行っても「表面的にやりすごす」苦痛から逃れられないのだと嘆息するしかありませんでした。
別に、子どものいる人同士の間でも、雑談が弾んだからってそんなに一生涯の親友みたいな強い絆で結ばれているわけではないということは、私にも分かっています。
アットホームな人々による家族の雑談はというものは「我々は同じような人々で、同じような毎日を生きていますよね」という、同質であること、敵対関係ではないことを確認するルーチンなのだと思う。そして、私はそれを正当に遂行することができない。毎度、どうすればいいのか分からず、誤魔化すことしかできない居心地の悪さ、そして悲しさを感じるのです。アットホームな人間じゃないから、エイリアンだから、アットホームな職場が怖い。
前回の記事に書いた通り、私はいつも正体がバレないように、普通の人に擬態して生きている。それがしんどくてたまらないのですが、これは一生どこへ行ってもついて回るのか、それともどこかには自由な自分でいられる場所があるのか。
来年あたり、私のような人を募って「どこにもいない人同盟」を作ろうかな。どこにもいないように見えて、きっと、どこかにはいるはず。ひとりじゃないと、信じてます。