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さだいちろ〜さだいちろ〜の話。

今日は【認知症のお年寄り】のエピソードを書きたい。私が実際に見聞きしたお年寄りから、

【人は老いたら何が残るのか】

を考えた。で答えをだしてみた。
(注意⚠️見聞きしたのは2件なのに、人は〜とか言っている。浅い考察である🤭)

エピソード1
さだいちろうの母。
私が初めて入院(親知らず2本抜歯する手術)した時、廊下を挟んだ部屋にさだいちろうの母ちゃんはいた。その女の人は「さだいちろ〜」「さだいちろ〜」しか言葉を発さなかった。夜間その女性は「さだいちろ〜」を探し、徘徊する。最終的にエレベーターの前に行く。看護師さんに見つかり、ベットに連れ戻される。それを3回繰り返して、何かで拘束された。それから、さだいちろうの母ちゃんも眠ったのか、私も眠ったのか、、、物悲しい「さだいちろう〜」を探す声は休み休み聞こえていた気がする(記憶は曖昧)
それから、日中「さだいちろう」らしき人が来たのだ!!!!さだいちろうの母ちゃんは「さだいちろう」しかやはり発さなかった。
必死に探す声色の「さだいちろ〜」
物悲しい「さだいちろ〜」
驚きの「さだいちろ〜」
嬉しそうな「さだいちろう〜」
同じ「さだいちろ〜」の声色でも、違いはあった気がする。がそれは日常なのだろう。誰も気にも留めない。

さだいちろうも、秒で帰っていった。


エピソード2
さだきち(仮名)私のじいちゃん。
私のじいちゃんも認知症だった。当時同居はしていなかったが、実家に帰るたびに、私の知っているじいちゃんが、じいちゃんで居なくなっていた。初めは受け入れられなかったが、ゆっくりゆっくり、【じいちゃんとは別のものの何か】として対応していた。名前は何回も聞かれる。孫の名前は忘れてしまったみたいで、名乗っても「あぁそうか〜」だった。
【じいちゃんとは別のものの何か】は、私をお客さんと勘違いし、よく戦争の話をしてくれた。米兵のことを「ヤンキーめら」と言っていた。自分が14歳でヤンキーめらを殺すために飛行訓練を受けていた話を繰り返し何度も話した。それから「いっぱいご飯を食べていきなさい」と優しい笑顔でいう。
「でお宅どちら?」からまた始まる。

潔癖に近い綺麗好きだったじいちゃんは、認知症になっても家族に下の世話になることはなかった。ゆっくりゆっくり自力で歩いてトイレに向かっていた。トイレで休憩して、ゆっくりゆっくり帰ってくる。30分くらいかけていたらしい。粗相してしまった時は、隠れて1人でパンツも洗っていたみたい。よく「ありがとう」「ありがとう」も言っていて可愛さもあったらしい。

その他、【じいちゃんではない別のものの何か】は妄想もあった。「あっちにいた女の人がズボンもパンツも脱いでおしりをつきだしてきたんだ」とか、お正月に救急車で運ばれた帰りに、自宅に戻る際私が「じいちゃん、帰ったらゆっくり寝ようね」と声をかけたら、「なんだ、このじいさんを誘ってるのか?」とニヤニヤしていた。その横顔の笑顔は「男」だった。

ばあちゃんは、認知症のじいちゃんを受け入れられず、【じいちゃんではない別のものの何か】によくキレていた。それにキレたじいちゃんが刃物を持ち出してきたことも一回あったっけ。

また、死ぬ1ヶ月前は、ばあちゃんのことを自分の「母親」と思って話しかけもしていた。自身の生まれ育った実家の方向に徘徊しようともしてたっけ。

認知症は、どんどん時を戻していくように、子供に戻っていって、最後病院で見た時は、かろうじて心臓の止まっていない物体だった。
私はじいちゃんの命が尽きる一晩を見守ったのだが、最期は管に繋がれている物体だった。


認知症のさだきちじいちゃんを単語でまとめるとしたら、「戦争」「女」「母親」

さだいちろうの母ちゃんは、「息子」のみ。

ちなみに、さだきちじいちゃんの棺桶には、親戚一同からの花と、家族からの手紙と、犬猿の仲だった近所のつねきち(仮名)お手製の木製の釣竿(じいちゃんは釣りが大好きだった)、ばあちゃんからは千円(三途の川をわたる六文銭の代わり)が入れられて、燃やされた。


「人は老いたら何が残るか」考察まとめ。
認知症の進行具合にもよるが、人は認知症になると脳に深く刻まれた「生死をわける体験」と「本能に関係するもの」が残るのではないか。


私の疑問はその次だ。良い子である教育を受け、良い子であろうとした、私の母と父はどんな物体になるのか。平和でものすごく困った経験もない、主体的の意味さえ最近まで知らなかった平成育ちの私は、どんな物体になるのだろうか。

私は、お年寄りをみると、「入れ物」も「中身」も手入れをしたほうがいいのだなと教えられている気がする。

おしまい。

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