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並行世界

たまーに、不意にヴィジョンをキャッチすることがある。
それらは少しデジャヴに似ていて、うわぁ知ってる!と思うような懐かしさがあるけど、そんな体験はしたことがないため、いつも不思議な気分になる。

ヴィジョンの内容と、いつ・どこでそのヴィジョンが来たかは意外と覚えてるもので、かなり時間が経ってそれが現実になった時には、ああ!これはあの時のヴィジョンが現実になってる!とわかる。
なので未来予知に近いかもしれない。

けれどもそれはあくまでも私主観の範囲なため、社会情勢や天変地異とかではなく、『ある時間軸の私』をポイント的に切り取った断片のようなのだ。

一週間前くらいにもそれは起きた。
身支度をして家の廊下を歩いていたら、今の私の環境や状況、その時の私の感覚などを一瞬シャッターで切り取ったかのように

「これ前に受け取ったヴィジョンだ!これ今のことだったんだ」と思ったのだ。

そのヴィジョンを受け取ったのはおそらく15年前くらいの私で、当時は魂の目覚めが始まったばかりで、まだまだ山盛りだった人生の課題を順々にこなしている状況で、体調も人間関係も環境もしんどいことがあった上に、私にお金を稼げる術は何もなかった。


子育て中だったから専業主婦だったのに、その時来たヴィジョンでの私は自分で仕事をいくつか持っていて充実していたし、環境や状況も豊かだったから余りにも現実とギャップがありすぎて、一瞬夢想してしまったか、どこか遠くのパラレルワールドのことかな、と思ってスルーしたのだった。
そう、それが未来の自分だとは到底思えなかったのだ。

そして今日、市内の大規模なお祭りの途中、木陰で母と休憩している時にも、昔この場所を通った時にヴィジョンを拾ったことを思い出したのだ。

そのヴィジョンでの私は、母と仲良く木陰でニコニコ過ごしていた。
空気は平和で、母も親密さしかない平和な母で、私も愛されて育った娘のように落ち着いて見えた。
ところがヴィジョンを受け取ったのは当時高校生の私で、余りにも現実と剥離しすぎていて「なんじゃそりゃ」と思って流したのだった。

その場所は通学路だったので、そこを通った時にサァッと風が吹くようにヴィジョンが来たのを覚えているけど、当時の私は地球のどこにいても収まりが悪く、自分が何者なのかもわからない、どうやって生きたら良いのかも良くわからない、ザ・荒んだ思春期のJK。
母も母で色々と苦労を抱えていたし、こういう私なので心配で仕方なかったのだろうけど、とにかくいつも激しく揉めていたし、なんなら愛されてないのだと思っていたくらいだったから、そのゆるやかなピクニックのようなヴィジョンは現実に一切関連のないものにしか思えなかったのだ。

でも、それは長い年月をかけた“未来“である今日、現実だった。

この左の方に橋があるんだけど、その橋を向こうから渡ってきて、まさにこの木陰の横を通過したあたりでヴィジョンはやってきた。
JKの私は思わず振り返って、肩くらいの長さの髪が揺れたのも覚えてる。
けれどもそこには何もなかった。

つまりその時、今日のこのシーンを当時の私はキャッチしたのだ。
未来の私と母とすれ違って、振り返ったのだから。

ということはもう、時間は同時並行に存在しているってことでは?

時間軸が違うから見えないだけで
無限の“一瞬“が折りたたまれて同時に存在している
それを、たまーにキャッチしてしまう

そんな世界を生きているのではないだろうか



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