変化の足音
4月からと言わずもうそこまで来ている気がする。
だからこそ今のタイミングで出合えたのかもしれない。
あなたのままで、大丈夫。
そんな風に自分で自分を労わることを忘れてしまいがちなのは、自分のことを直視することが不可能だからかもしれない。
鏡は写してくれるけれど、それはまた別の話で。
矢部太郎のイラストから入り、読み終わるころにはなんだかするっと軽やかになっていた。
中でも。
ネガティブになるのは脳の癖
自分をケアすることは、他人に対する「責任」
が特に響いた。
ネガティブになることは人間の生存本能であり、脳が正常に働いている何よりの証拠。ある。あるあるだよ。ネガティブなんて。ねぇ。
これも正常だったということだ。ありがとう!!!!
呪詛、苦しみ、諸々の保管庫にもよく頑張ったと褒めてあげたくなったし、全てにイエスという必要などどこにもなくて、それは本当の優しさではなく、自分をケアしてご機嫌でいることも他者への優しさの一面として捉えられたのだった。
そしてまだある。こちらは課題か。
自分に置き換えてみると瞬間湯沸かし器のようにすぐにイラっとするしムスっとするのだけれど、表出方法を間違えると大嵐を巻き起こしがち。とりわけ家で。
適切に処置することはセルフケアにも繋がるし、なにより人間関係にとっても健康的でいられる。メンタルも筋トレ。継続して、生きにくさを少しでも改善できたらなと思うのだった。
予感的中。
しかし全く思いも寄らないところが変化を余儀なくされるとは。今思えばそこはなぜ変わらないと思ったんだろう。それも不思議な話で。どんな地点へ行こう?
今後へ向けてケアの必要性を再直観したか。
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