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顔施
2025年2月11日
チュムポーン10日目の朝
そして今晩チュムポーンを去る。
寂しいな。。。
きっと何日いてもさみしい気分になるんだ。
今度また来た時に行きたいところが
たくさんできた。
タイは微笑みの国という。
確かに目が合うと、にこっとしてくれる人が
多いかもしれない。
初めてマレーシアへ行った際
この愕然とした違いにとてもびっくりした。
お隣の国、南国でありながら
大きな違いがあった。
あくまでも私の目線と体感の話ですが。
マレーシアでフルーツを買うとする。
センキューもなかったり、ほいと
ビニール袋渡されて終わり。なんて事もあった。
タイで買い物をしてコップンカァーと聞かない事はほぼない。
前にハートヤイのホステルで一緒だった
タイ人の女の子に聞いてみた。
タイ人の人はよく微笑んでくれるね。
マレーシアはお隣の国だけど
大きな違いを感じたよ
どうしてかな⁇
彼女は笑って、
わたしのおばあちゃんは
Smile Firstってよく言ってたの。
とりあえず笑って。って教えられたから
自然と身についているのかもと笑った。
チュムポーンのホステルオーナーの
女の子も
わたしはお母さんから
笑って笑ってと育てられたよと
言っていた。
それを聞いてわたしは
瀬戸内寂聴のこの言葉を思い出した。
布施とは、相手の欲することを与えること。物施(ぶつせ)もあれば心施(しんせ)もあります。
でもわたしは、顔施(がんせ)ということばがいちばん好き。
だれに逢ってもにこにこ優しい表情をみせることで、
顔さえあればだれにでも可能なのです。
瀬戸内寂聴
これを知ってから、わたしも少なからず
顔施をしたいと思う様になった。
タイスマイルは仏教国タイだから
布施の一種でもあるのかなと思った。
一時期とても瀬戸内寂聴さんが
好きだった。
タイに来る時も、何度も読んだ本を持って来ていた。
今はどうだろう。
正直に今は必要ではなくなった気がする。
否定的ではなく、読まずとも
自力で物事を解釈して捉える事が
できる様になってきたから。
また行き詰まったら、読み返したい。
60歳になったら
尼さんみたいな👩🏻🦲あたまにしてみたいとも
思う。
以下↓ネットより
仏教で「がんせ」とは何ですか?
その教えのなかに人間関係を円滑に築くヒントとして、「眼施」と「和顔施」があります。 「眼施」とは、優しい眼差しで接し、「和顔施」とは、笑顔で接することを意味し、この行いは、自身の心を豊かにすることに繋がる比較的容易な仏道修行です。
一方アメリカでは
以下↓ネットより
アメリカでは日常生活のなかで人に笑顔を向けることが多い。また、他国と比べ、見知らぬ人にさえも笑顔を向ける傾向にある。アメリカの移民人口は世界で1番多く、2015年には4663万人であった。(参照元:世界の移民人口国別ランキング)白人、黒人、インディアン、ヒスパニック、アジア系などからなる多人種な構成について考えたとき、その歴史において異なる言語や文化が混ざりあい、コミュニケーションが容易ではなかったことは想像がつくだろう。他者に対して笑顔を向けることはコミュニケーションを円滑にすると同時に敵対心をもっていないことを示すためである。言葉を必要としない非言語コミュニケーションは多民族国家において信頼関係を築く上でとても大事なのだ。
人は非言語コミュニケーションを通して多くの情報を受け取り、そして無意識にとても影響を受けている。感情と態度について曖昧なメッセージが発せられたとき、人が頼るのは話の内容などの言語情報や口調や話の早さなどの聴覚情報よりも、表情や仕草などの視覚情報なのだ。(参照元:“Silent Messages” — Description and Ordering Information ) このことからも人は自然と非言語コミュニケーションに頼ってきたことがわかる。
本当にアメリカ人て笑顔が上手だと
思う。
卒業アルバムの写真の笑顔とか
俳優みたい。
国によって笑顔の意味が違うなんて
不思議だ。
ちなみにロシアでは
意味もなく笑うとあたまのおかしいやつと
見做されるらしい。
タイを離れる時は
いつも失恋した気分になる。と
postしていたペナンで会った
オランダ人のカーストさん
わたしもいつも同じ気持ちになる。
タイの魅力はまた後日語ります。