"不登校"という名称が、問題を複雑化しているかもしれない。
不登校支援を難しくしていることの一つとして、名称問題があります。”不登校”というと、どうしてもネガティブなイメージをもってしまいます。例えば”不安”という単語は、安心ではないと打消しの意味で使われます。直訳すると”登校にあらず”となってしまいます。
”不登校”という名称にマイナスイメージをもつ人の中には、登校(学校へ行っていること)が当たり前の姿と捉え、当たり前のことができていないと言われている気分になるとおっしゃっている方がいました。周りから指さされている気分になるのも頷けます。
私が子どもの頃は、”登校拒否”という言葉が使われていましたが、現在の子どもたちのイメージともあいません。登校を自らの意思で拒否している子どもたちは小数で、多くの子どもが登校したくてもできないと感じています。
”選択的不登校”という言葉も最近は耳にします。この言葉を使っている方の意味として、自らの意思で学校へ行かないという状態を選択しているとの意味があると思います(違っていたらすみません)。このような状態の子どもにはよいのかもしれませんが、上記にあるように、行きたくても登校できない子の名称問題の根本的な解決になっていません。
”ふとうこう”をポジティブな漢字を当てている方もいます。とてもよいアイデアですが、一般的ではないため、知る人ぞ知る名称になってしまいます。
不登校という言葉に違和感をもってしまうのは、現在の不登校の言葉のイメージと実際の子どもたちの状態に乖離があるからだと思っています。以前にもお話したように、一口に”不登校”といっても、様々な年齢、状態、思いをもった子や保護者がいます。それらをすべてまとめて”不登校”とするといつまでも議論が噛み合わなくなってしまうと思っています。
それぞれの不登校状態を細かく分析し、名称を付けていく必要があると思っています。