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「明日は、学校へ行く」宣言したときの子どもの気持ちは、、、
今日は月曜日。今週が始まりました。私の住んでいる地域はあいにくの雨。こんな日は、不登校でなくても気分が沈んでしまうものです。
不登校初期の保護者さんからよく聞く言葉として、「明日は学校へ行く」と言ったものの、当日になると顔が真っ青になって、「やっぱり、むり、、、」と言ってきます。親としては、つい、「またウソをつかれて、、、」と思うこともあると思います。
しかし、私の関わってきた子を見ると、「明日は、学校へ行く」という思いはウソではないと思っています。夜は体調がよいし、「明日はいいことがあるかもしれない」という期待感や、もしかしたら、「学校へ行きたくない」という今までの気持ちがなくなるかも、と淡い祈りが「明日は、学校へ行く」という言葉にあらわれるのかもしれません。
もしかしたら、「明日は、学校へ行く」といったときのお母さんの喜ぶ顔を見て安心しているのかもしれません。
でも、朝になると体が動かない。昨日まであった期待感は目覚めとともに消えてしまい、次々と今までのいやな記憶が甦る。頭の中がもや~としてして、母の声も遠くに聞こえると表現する子もいました。
こういった話を聞くたびに同情してしまいます。
でも、ついイラッとしてしまう保護者の気持ちも分かります。前日、プレッシャーをかけたつもりもないのに、子どもの方から、目をキラキラさせて「明日、学校へ行く」と言われるので、保護者もまた、否が応でも期待をしてしまう。そして、毎回裏切られるという思い。つい、「できない約束なら、始めからしないでほしい」と心無いことも思ってしまい、それがまた罪悪感に繋がってしまいますよね。
私は、このやりとりのことを「学校に行く・行かない問題」と名付けています。この「学校へ行く」「行かない」のやりとりは、親子ともども相当にエネルギーを使います。そのため、このやりとりはしないように伝えています。
子どもは、登校後のことに気持ちが向いておらず、「学校へ行く」と宣言した瞬間とその保護者の反応にのみ気持ちが向いている状態だと思います。宣言することだけで、すでにエネルギーを使い果たしている状態と捉えています。もし、子どもが宣言したら、保護者にはなるべく感情を出さず、「オッケー」とだけ伝えるようにお願いしています。
「明日、学校へ行く」と宣言する時期は、まだまだ傷が癒えていない状態です。まずは、ゆっくり心と体を休めて、自分は何が楽しいと感じて、何がイヤと感じるのかをゆっくり考えてほしいと思っています。
誤解のないように言うと、登校が再開し、子どもが学校でも楽しみを見つけ、実際に登校もできるというときの「明日、学校へ行く」は全く異なる状況ですので、どんな時も「明日、学校へ行く」宣言は、初期の状態と思っているわけではありません。すべてはケースバイケースです。
自分の子は、どんな状態なのかしら??、いくつかのサインがあると思うので、気になる方は、お知らせください。