法人の人でなし
最近、性悪説に基づく、微に入り細を穿つような法律が増えたと感じる。昔なら「マナーを守りましょう」で済んでいた事でも、いちいち法律を作らなければ気が済まない様だ。
これは道徳心の欠片も持たないひどい人が増えたせいなのかも知れない。
ただ個人的に思うのは、世界に法人(特に株式会社)が増えたせいではないだろうか?
法人がいかに普通の人間と違う生き方をしているか、改めて考えてみよう。
目的以外の事をしない
法人と言うものには、当然設立の目的が有る。殆どの場合それは金儲けだ。
その目的のみをひたすら追い求めるのが法人の生き方だ。人間のように休憩したり趣味を持ったりする事は一切無い。ほどほどに働く、何て考えはありようが無いし、従業員にも最低で契約ぎりぎり、できれば倒れるまで働いて欲しいと思っている。
人生の目的を探してふらふらする人も法人には一切居ないし、社員や顧客がそのような行動を取る事を理解する事が出来ない。
良心が無い
例え法律で規制されていなくても、普通の人ならやらない様な事を平気で出来るのが法人だ。
ビッグモーター程有名にならなくても、大なり小なり企業は違法行為を行う物だ。
従業員の残業代をしっかり払い、求人詐欺も行わず、税金を誤魔化さず、パワハラをしないで、違法駐車等の違法行為を従業員に要求しない会社が、一体どれだけ有るだろうか?。
法律違反でもこうなのだから、何となく性善説で決まっているマナーについては法人が守る訳が無い。
パッケージそのままにそっと量を減らした食品を売っても、効かない健康食品を売り付けようと、解約画面をわざと見にくくしようと、法律違反で無ければやるべき事なのだ。
家にペットを飼っている人は考えて欲しい。どのような状態でペットを飼っているだろうか。動物虐待ギリギリの状態だろうか、そんなことは無い筈だ。人間なら、殆どの人は一銭も儲からないのに、かわいいペットの為に贅沢に費用を掛け、世話を焼くものだ。
でも法人に飼われている動物は、こうは行かない。
生きて行く最低限度の食料と、体を回す事すら出来ないスペースの中、糞尿まみれの一生を送る。法人でも規制が有れば、法律ぎりぎりの広さの檻を動物にあてがうかもしれない。それでも、法人には動物を飼うのに一番必要な、動物への愛情が無い以上、どんな規制を作ろうと大した意味が無さそうだ。
「法律は最低のマナー」と言われるが法人に限っては「法律は唯一のマナー」なのだ。
どこまでも貪欲
殆どの人の儲けたい金額には限度がある。
5000兆円欲しい。などと口では言っている人達でも、実際は10億円も儲けたらfireして悠々自適の生活を送りたいと思う人が大半では無いだろうか。
ところが法人の場合はそういう訳には行かない。
特に株式会社であったら、経営者は株主の為にどこまでも貪欲に稼ぐ事が求められるものだ。
例えばある商店が成功を収めたとする。もう十分儲けた、だから後は現状維持で良いと株主は思うだろうか?。
そんな事が有る訳無い。同業者を買収したりフランチャイズ経営に乗り出したり、もっと儲けて欲しいと思うはずだ。
それで成功を収めたら、株主は満足するだろうか?
そんな事がある訳がない。社員やバイトを極限までこき使い、フランチャイズオーナーが過労死するまで働かせて、もっと儲けて欲しいと思うのだ。
それが上手く行ったら、株主は満足するだろうか?そんな事がある訳がない。上げ底容器を作ったり、時には恵方巻きを押し売りしてでも、もっと儲けて欲しいと思うのだ。
幾ら儲けても満足を知らないのは、法人の大きな特徴と言えるだろう。
桁違いに大きい物が有る
人間にも、大きい人、小さい人、様々いるが、体の大きさが10倍違うなんて事はまず無いだろう。ところが企業にはとてつもなく大きい物が存在する。
山にゴミを捨ててはいけない。誰もが知っているマナーだろう。
ところでもし明確な悪意を持って山にゴミを捨ててやろうと思ったら、どの程度のゴミを捨てられるだろうか?
両手一杯、リュックサック一杯程度だろうか?いや自動車一杯のゴミを何処かから集めてきて、夜陰に紛れて捨てるのは相当な苦労だろうが、私なら何とか出来ないことも無い。
一方、法人の不法投棄の事例を見てみよう。ダンプカー100台分とか平気で捨てている例を見る事が出来る。
法人は大きいだけにその与える影響も桁違いなのだ。
他にも
刑務所に行かない
紙一枚で作れる(但し大きくなるのは大変)
選挙権が無い
等の特徴を述べる事が出来る。
こうして見てみると、いかに法人が普通の人と異なった世界の中にいるかがよくわかる。まるでエイリアンが人間の中に紛れて生活しているような物だ。
個人的には、性善説を唱える人の最大の敵は法人だと思う。
もちろん、法人を無くしてしまえば良いかと言うとそれも難しいのだろう。それでもわれわれの中にエイリアンが紛れ込んでいる事は確かだし、その事に対する危機感は忘れてはならないと思う。
追記 今は少子化なのだろうか
現在、法人は一般の人間より現在の資本主義に適合して有利な状況にある。
現に法人数は増加しているし、そこに流れ込む投資資金も増えている。
しかしほとんどの国で人口は減少し始めている。そして子供のいない人達はその余裕を使って必死で投資をしているのだ。
つまり
リソースを子供に振り向け、子供を未来の労働市場で活躍させる
よりも
リソースを投資に振り向け、資金を未来の資本市場で活躍させる
方が将来の世界に大きな足跡を残す事が出来る訳だ。
よく投資の本でr>gとあるように、労働より投資が効率的なのは常識だろう。現に今ほとんどの人間は法人(と資本)の奴隷になってしまっている。
この状態を整理すると
地球上に、環境に適合した生物と適合出来ていない生物がいる。
環境に適合した生物は適合出来ていない生物を奴隷化している。
環境に適合した生物は増え、適合出来ていない生物は減っている。
これを少子化と呼んで良いのだろうか?現在起こっている事は、ただの適者生存のような気がするのだ。
もう社会の主役はわれわれ人間では無く、よりこの世界に適した法人たちに道を譲る時が来ているのかもしれない。
いつの日か、人類が絶滅して、残った法人が「より効率的な」社会を築き上げているかも知れない。もしかしてペーパークリップを作るAIが社会を席巻していたりすると面白そうだ。