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長谷川潾二郎 エッセイ「タローの思い出」①
長谷川潾二郎の代表作《猫》のモデル、タローは片方の髭がないことで有名ですが、これは洲之内徹がエッセイで紹介したためです。
一方、潾二郎もタローについてまとめた文章を残しています。こちらは「長谷川潾二郎画文集 静かな奇譚」(求龍堂)に掲載されています。
今回、ご遺族の方から了承をいただき、この「タローの思い出」を潾二郎の手稿より新たに書き起こしてご紹介します。(原稿用紙48枚に渡りますので何回かに分けます)よかったらお読みください。そして、潾二郎の文章と作品、世界観に興味を持っていただけますと幸いです。
タローの思い出
終戦後、私達は何度も猫を飼ったが、しばらくすると皆行方不明になって仕舞った。そして、我家では猫が育たないと言う迷信が生まれた。そのうち弟の家で猫が生れて、その一匹を貰って又飼うことになった。珍しく美しい猫だった。よもぎ色で、お腹のあたりが白く、何処となく華奢な感じだった。動作が敏捷で愛嬌があった。今度は大丈夫かな、とひやひやしながら見ていた。すると一ケ月たたないうちに又見えなくなって仕舞った。いくら待っても帰って来なかった。大変美しい猫だし、それに首輪もしてなかったので、道端で子供が拾って持って行ったのではなかろうか。そう思えば、その場の光景が目に見えるような気がして来る。また、鼬(いたち)にやられたのではないか、と言う説も出た。その頃、家の周囲は今よりも草深く、鼬が出没する形跡があった。庭の隅の垣根の間から、強い日差しを浴びた深い草むらの中へ、子猫がそっと出て行く景色を見た記憶があった。………ともかく行方不明は事実だった。そして理由が判らないと言う事が妙に気になるのだった。猫が居なくなった話を聞いて、弟の家内は、未だ残っていた子猫を一匹代わりに持って来て呉れた。そして私達は又猫を飼うことになった。それには、行きがかり上そうなったような形だが、私は我家の迷信を打破しようと言う気持も確かにあったと思う。私はこの迷信がいやだった。我家の中に、私の気付かぬ所に欠陥があるのではないか、と考えたり、事実それに相違ないのだが、それが私の手の届かぬ領分に属していると思われて不安になるのだった。今度の猫は、前の猫の兄弟で、毛並みもそっくりだったが、逞しい感じがあった。動作は静かでおとなしかった。私達はタローと名づけた。皆で考えているうちに、タローと言う発音が大変呼び易いような気がしてきめたのだが、後から、人名を動物につけるのは感心しないと後悔した。太郎と言う名の人が、家を訪問して、その人の前で、家のタローの名を呼んで叱ったり、窘めたりしたら大変失礼な事になると思った。気を付けなくてはいけないと思った。そうすると、そのような事態を、ついうっかり自分から作り出しそうな気がして来て心配になるのだった。幸い知り合いに太郎と言う名の人は居なかった。一度つけた名前は口癖になり、周囲にも広がって、改名するのも面倒になりそのままになって仕舞った。私達は半信半疑の目でタローを見ていた。タローはほとんど家の中で暮らし、戸外へ出てもすぐ帰って来た。小猫がじゃれて走り回るのを見るのは楽しい。仕事の合間にタローの動作をぼんやり見ているのは、リクレーションの一つになった。一ケ月過ぎ、二ケ月過ぎた。しかしタローは行方不明にならなかった。室内の一隅に座って静かにしているタローを見ると、この家を自分の家ときめて、落ちついている感じがした。タローは到頭我家の迷信を破って家に住みつき、私達と共に生活する一員となった。 (つづく)
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