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長谷川潾二郎 エッセイ「タローの思い出」⑦

 家内は、都内のある婦人服やアクセサリーを売っている店に勤めている。家内の仕事はお店ではなく、その工房で手芸品を作っている。家内はもともと手芸が好きなのである。彼女はお店のマダムのアイデヤで色々な物を作る。ある時、マダムがアメリカから帰った時、お土産に猫の首輪を持って来た。そしてそれに似た物を作りたいと家内に相談し、家内はそれを持って来て私に見せた。それはサーモンピンクの天鵞絨に、鉛のようににぶく光る太い銀糸を編んだものを取りつけ、ガラス玉をあしらったしゃれた品だった。家内は材料を調べた。サーモンピンクの天鵞絨はその時手に入らなかった。天鵞絨は家内がいつも使っている材料だ。しかし色数が少なく、去年使った色を又使うとしても、それが無いことがあった。今年の流行で製造がきまるらしく、どんな色でも自由に選べる豊富なストックがないのだ。品質はフランスの物に及ばない。太い銀糸は何処にも無かった。手芸品の材料は、東京では貧弱らしい。一般に手芸に対する関心が欧米程ではなく、うすい為だろうか。そこで、家内は、好きな色、赤、黄土、緑、水色などの天鵞絨を選び、それにスパンコールやガラスの宝石や真珠、ビーズ、金モールなどを用いて自由にデザインした。その首輪はお店でよく売れた。愛猫家から特別な注文もやって来た。私は家内の作るのを真似て、タローの為に二つ首輪を作った。しかしこれは思ったより大仕事だった。ガラス玉一つ附けるにも、針を持った事のない私は大変苦労した。時々家内に手伝って貰った。これは夕食前後の短い時間にするだけだったから、仕上るまでに長い日数がかかった。いよいよ出来上がった時、早速タローをつれて来て、その首につけて見た。するとタローは如何にも外出着を着たような晴れがましい様子に見えた。皆はよく似合うと言って褒めた。しばらくしてからタローを見ると、首輪はそのまま首にあるけれど、様子が変っている。何となくだらしなくなっている。注意して見ると、苦心して縫いつけたスパンコールなどが所々むしり取られてある。私達は首輪がよく似合うと言って喜んでいたが、タローにとっては何の意味もなく、首の回りに妙な物を巻きつけられて不愉快であり、どうかしてそれを取ろうとして、前足で掻きむしったものらしい。―又猫と私の間のチグハグな関係が現れる。―実は私は元来首輪は嫌いなのだ。それによって、頭から背中へかけての自然な線が切断されて、生物の美しさが消えるからだ。犬でも猫でも首輪のない方が美しい。………私はタローの首から首輪をはずした。しかしどうしてもそれを棄てる事が出来なかった。矛盾した話である。私は首輪を修繕して、来客があった時だけ、特別の礼装としてタローにつけさせる事にした。
 私は、(猫の首輪)と言う文字が好きである。江戸時代のおもちゃ絵の中に、沢山な猫が人間と同じように様々な事をしている光景を描いた画がある。現在の東京に、猫の首輪を売る店へ沢山な猫が買物に来る光景を描いた銅版画を売っている店が何処かにあるような気がする。
 
 家内は猫の首輪ばかり造っているわけではない。それでも、私は他人に向って家内の仕事を説明する時、(家内は猫の首輪を造ってます。)と言った。それが聞く相手によっては、滑稽な事に聞えると考えるのだったが、その効果は無かった。首輪の製作は長くは続かなかった。クッションや鏡や箱、その他、人間のアクセサリーの方が忙しくなり、猫のお洒落は忘れられた。

長谷川潾二郎 《猫》 1966年 宮城県美術館所蔵 洲之内コレクション