君は創作をしたことがあるだろうか
突然だが、貴方は「創作」をしたことがあるだろうか。
創作と一言で表すにしてもその対象はあまりにも広い。
線を組み合わせて絵を作ったり、文字を連ねて文章を書いたりはもちろんのこと、粘土をこねたり、プラモデルを自分だけの色に塗装したり、歌を歌ったり、なんなら劇や舞台での演技、SNSでのつぶやきも非常に立派な創作であると言えるだろう。
そんな解釈と発想次第で無限大の可能性を見せてくれる創作だが、正直呪いのような物だと思っている。
確かに作るのは楽しい。それはもうすんごい楽しい。だがコレの非常にめんどくさい点として「人に見せるため」という理由が付属した途端にじわじわと遅効性の毒のように作者を苦しめていく点がある。
自分も物心ついたころから絵を描き殴っていた。幼稚園の頃はクレヨンでぐちゃぐちゃと今見たら何を描いているのかまるで分らぬものをスケッチブックいっぱいに描きこみまくり、小学校では自由帳に自分の考えたゲームの場面や設定を休み時間に描きまくり、中学校では己の歪み切った精神と憎悪をストレスと共にプリントの裏にぶつけ続けた。
そこまでは今思えば重度の高い「自分が描きたかった」物を描いていたのだと思う。誰かに見せるためではなく自分の脳髄からあふれ出た、出したくてたまらない情報を衝動の赴くがままに描いていたのだろう。
しかし高校に合格し状況が変わる。美術部に所属することによって自分よりも一億倍も上手い先輩が存在し、それよりも上手い先生が自分の絵を評価し、絵の「技法」を教える。
いままで完全に自己流で描いてきた絵に人に見せる為のチューンアップが施されていく。
そうして出来上がった絵は飾られ、文化祭や他のイベントで様々な人間からいろんな感想をもらったりした。
同じクラスの人間や友人、少し喋ったことのある程度の顔見知り、挙句には先生や見知らぬ人から褒められた。流石に絵を描いた本人に面と向かって難癖をつけるような奴とは出会わなかったのは幸いなのだろう。
しかしそこで僕は「作った物を褒められるという嬉しさ」という感情を手にしてしまったのだ。
自己承認欲求ともっと褒められたい認められたいというめんどくさい感情でできたその拘束具はゆっくりと僕の精神を蝕んでいったのだ。
気が付けば僕は「描きたいもの」を描くのではなく、「描けるもの」を描き、「自分の見たいもの」ではなく「人が見たそうなもの」を描く様になっていった。
所詮趣味と義務は筆の運びが違うもんで、当時は大いに大いに悩み苦しんだものだ。
しかし、今ならばはっきりと過去の自分に大声で言えるだろう。
お前の創作はどうあがいてもお前の創作の域を出ないのだから諦めてやりたいことやれって。
まぁ悩み悩んだからこそ今の自分がいるので悩むなとは一概には言えないが、結局今のお前の創作を気に入ってくれる人がいると言うことは伝えてあげたかったと思う。
ここまでダラダラと実入りのない話を書き連ねていたが結局言いたいことは2つに収まる。
創作は楽しいのだが使い方を間違えれば己が身を滅ぼす劇薬である。
そして創作をしたことがない人間はこんなに楽しいこと中々ないからさっさとやれということである。
こんだけデメリット感満載の話を並べておいて何言うてんねんと思う方もいるかもしれないがとにかく創作は最高なんだということは言いたかった。あと同じ苦しみを味わって苦しんでほしいというささやかな願いも込められている。
そして僕と一緒に創作について話ができる日が来ることを心待ちにしております。
マジで楽しいから。本当に。
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