ふきのとう
ずーっとお会いしてない
俳句の先輩に先日ハガキを出しました。
んーと、67才くらいかな。
女性です。
若い頃は感性の研ぎ澄まされた俳句を
ばんばん詠まれ
知る人ぞ知る方でしたが、
家庭の事情やご自身の体調で
活動しなくなってしまったのです。
「もしよかったら
月一でやってる俳句会に
参加しませんか」と書きました。
他のメンバーの方に
「詠子さんから誘ってみて」と言われ
ちょっと気乗りはしなかったけど
さりげな~く投函(⌒-⌒; )
一週間してメールで返事がきました。
体調を崩していて、
外に出歩くのは難しいとのこと。
そっか…だよね…
確かお一人暮らしだし‥
元気ないのかな~と
思ったのですが
何度かメールを重ねているうちに
彼女から
「予想外の人生展開になって
しまいましたが、
ここから何かを学びたいと
思っています。
言葉への興味、関心は
家にいても研きつづけていけるので
一日一つでも、おっと思う言葉に
出会うことを楽しみにしています。
今まで凝り固まっていた言語感覚を
開放しています。
そうすると今まで
見逃してきただろう言葉が
胸に沁み込んできます。
がむしゃらの時代は過ぎました。
自分に優しくしていると
言葉もやさしく語りかけてくれます」
とのこと。
うわ~すごいっ。
彼女はずっと言葉からエネルギーを
もらってるんだな~と
びっくりしました。
いつかお会いして、
他愛もない言葉のあやとりを
したいものです(^^)
人はみんな感性っていう「イイネ」を持っているから
似てる「イイネ」人を無意識のうちに
探しているのかもな~ふむふむ
ということでウチの裏に
蕗の薹が今頃出てきたことに
安堵していますo(^_-)O
凡人もまた良かれ。
季節外れですが、駄句。
生き方の目次のように夏木立
干からびた時間の隅に雪螢
限界のある傷みかな冬の街
冬天やパン粉のような我が口調
冬暁シャッター街を抱くよう
方向が示せないから落葉す
by佐藤詠子
俳誌「海原」3月号より