【短編小説】無限連鎖
この小説は、私の既刊『人の世の物語』に収録された短編の一つです。
多くの方々に読んでいただければ嬉しく、ここに披露しました。
(画像は皆既月食2022/11/8)
山の中の変幻
ある山裾の里に、寒く厳しい冬が終わると。いつものようにどこからともなく春の季節がやってきました。緑の絨毯が里を敷き詰めて、それから徐々に山を上へ上へと広がっていきました。
その日は、ことのほか穏やかに晴れ上がっており、農夫の太吉は、陽気に誘われるように山に山菜取りに分け入りました。お昼近くまでワラビやゼンマイ、ウド、ミズナなど採れるだけ採って、もう十分というところでお腹も空いたので、大きな木の下で家から持ってきたおにぎりを食べました。
おにぎりを食べたら、お腹が膨らみ、ほんのりと暖かな空気が心地よく、太吉は、知らぬ間にその場で眠ってしまいました。
どのくらい眠ったのだろうか太吉は、何かの音を聞いたように感じ目を覚ましました。ぼんやりとした意識の中で、夢かなとも思い、目をこすりました。耳を澄ましてもしばらくは何も聞こえませんでした。
やっぱり夢なんだ。と思った瞬間、向こうの岩の洞窟から何やら人の声のようなものが聞こえてきたのです。太吉は、本当は怖かったのですが、好奇心が勝り、洞窟にそろそろと忍び寄り、岩の陰から中を覗きました。
洞窟の中では、それぞれ赤ずきんと青ずきんをかむった二人とも白く長いあごひげをたくわえた翁が、ぼんやりとした蠟燭の光に照らされ、向き合って何かに打ち興じている最中でした。太吉がさらに首を伸ばして確かめると、どうやら二人の翁は、碁盤を囲んで囲碁を戦わせているようなのです。
太吉には、囲碁の遊び方は分からなかったのですが、いかにも楽しそうな二人の翁が珍しく、そのまま立ち去りかねて眺めていました。
盤上の碁石の配石はというと、不思議なことに翁は二人とも相手の石には関係なく、てんでに置きたいところに置いているように見えました。
「御身の碁は、しばらくぶりで打ったが、相も変わらず下手だのう。」
赤ずきんの彦爺が青ずきんの浜爺に言いました。
「何をおっしゃりますか。御手前こそ全然上達してないのう。これでは相手にならんわ。」と浜爺がすかさず言い返しました。
こんな調子で、二人の翁は、言葉での戦いもにぎやかに碁を打ち進めていきました。
「ところで、彦爺よ。この間約束したことだが、御手前のこれまでの長い人生の中で最も劇的な印象に残った話を今ここで披露してもらえないかのう。その後にわしも話すつもりじゃよ。」
浜爺が彦爺に懇願しました。
「そうじゃのう。御身がそういうなら話してもよいかな。ちょっと時間はかかるがのう。」
しばし思案の後、彦爺が応じました。
「はるかな千の数千倍も昔の話じゃった。わしもその頃はもっと活動的で、探求心も強かったんじゃ。この空の果て、宇宙の果てがどうなっているのか、どうしても知りたくなって、この地球の北の空に向かって発進したのじゃ。ところが行けども行けども宇宙の果てにはたどり着けんのだ。どこまで行ってもわしの周囲には数えきれない星々が見えるだけじゃった。
さすがにわしも疲れ果て、小休止のため行きずりのある惑星に降り立ったのじゃ。」
さらに彦爺の話が続きました。
彦爺の話(民のために)
都から遠く離れた北方の山々には朝霧が濃く垂れこめていた。この辺の山岳地帯を拠点にケンタの仲間が、国王の圧政を正そうと立ち上がって一年余りが経過した。昨夜も国王軍に闇に紛れて襲いかかったのだが、強烈な反撃を喰らい逃げ帰ってきた。
民を虐げるあまりにもひどい国王の所業に、正義はこちらにあるとケンタは思うのだが、ケンタの部隊は、あまりにも非力だった。
「このままでは、いつまで経っても進展はない。何かいい方法はないものか。」
ケンタが副将のサワラギに問うた。
「私にもどうしたらよいか、これといった考えも浮かんでこないのです。」
サワラギが困惑の体で答えた。
国王の所業は、民の幸せを考えていない。己の栄華のためだけだ。災害があっても対策をしない。税は過酷に取り立てる。民が飢えても助けもしない。とケンタは国王の非道を数え上げた。
ケンタ達一部の若者が国王の圧政に義憤を感じ蜂起はしたものの、一般の民衆には、日々の生活に追われ、支配されるのが当たり前のこととして身に染みており、また役人の監視も厳しく、同調者は出てこないのが実情であった。
昨夜の戦いで傷ついた体に薬を塗っていると、朝霧の向こうで何かが動いたようにケンタは感じた。国王軍の追撃かと、ケンタは身をかがめにじり寄って行った。そしてケンタには、朝霧の中に佇む赤ずきんをかむった白ひげの老人が見えてきた。あの装束を見ればこの国の者ではないようだ。とケンタは思った。
「ご老人。あなたは何処から参ったのですか。」
ケンタが老人に近づき尋ねた。老人は、一瞬の間ケンタを見返した後、手に持っていた杖の先を天空に向けた。
「天からですか。それで何処へ行かれるのですか。」
老人は無言のまま再び杖の先を天空に向けた。おかしなご老人だ。とケンタは思い空を仰いだ。その時、老人がおもむろに口を開いた。
「そなたは怪我をしているようだが、何かあったのかな。」
「はい。王の軍隊と戦い、負けて逃げ帰ったところです。」
ケンタは正直に答えた。
「王との戦いとは、尋常ならざることだが、何の仔細ぞ。」
老人が問うた。
「王の非道、悪政です。それを正すために私達は五百人で立ち上がったのです。」
ケンタが答えた。
「五百人。数が少ないのう。」
老人があきれ顔でいった。
「何のための戦いぞ。己の不平不満を晴らすためなのかのう。」
老人が笑い声をあげた。
この言葉を聞いて、ケンタの心にある想念が突然閃いた。民の中から、民のために。との思いがケンタの心にジワジワと広がっていった。
「ありがとうございます。」
ケンタの頭が自然に下がった。
「ふむ。達者でな。」
老人の声が聞こえた。ケンタが頭をあげると、周囲には朝霧が見
えるだけで、老人の姿はもはやどこにも見えなかった。その後まもなくケンタは、五百人の同志を集め、次のように語った。
「今朝がた、朝霧の中で一人の老人に会って話を聞き、天啓を得た。民の中から、民のためにじゃ。これから各人それぞれ出身地に帰り、二年間この言葉を実践し、そしてこの場に戻ってきてもらいたい。」
「おう、おう、お~う。」
五百人の鬨の声がやまびことなって周囲に広がっていった。
浜爺の話(未来のために)
朱色の西の空がやがて徐々に色を濃くしていき、終に周囲はいつものように、夜の闇の中に溶け込んでいった。空には無数の星が光り輝き、東の空には、今上がってきたばかりの衛星が水色の光を放っていた。そして頭上には、橙色のもう一つの衛星が地上を見下ろしていた。
遠くで何やら恐ろしげな動物の唸り声が幾度となく響き渡った。未開の地の夜の恐ろしさに耐えながら、少年タキルは先ほどから熱心に二つの衛星の中間程の上空を見上げていた。
「タキル。もう遅いから、うちに戻っておいで。」
母親の大きな声が家の方から飛んできた。
「はあい。もうちょっとで戻るから。」
タキルが大声で答えた。タキルが見ているところには、大人の握りこぶしほどの大きさの惑星が浮かんでいた。色は青色で、円の中央部分には細長い茶色の線が見えていた。その星は、タキル達がかって住んでいた惑星で、基球と呼ばれていた。
タキルは、七年前のつらい出来事を思い起こしていた。その時は、まだ幼児だったので、本当に自分の記憶なのか、それとも周りの大人に聞かされた話なのか定かでない部分もあるが、かいつまんで言うと次のようなものだった。
タキルの父が、基球のある国で大統領を二期務め、三期目の選挙で手痛い敗北を被った。それだけなら何のこともなかったが、敗北したとたんに汚職の容疑で逮捕されてしまった。
そして汚職の容疑は、多くの親戚縁者まで及び、全員が逮捕された。政敵の陰謀と噂もされたが、結局は、全員が有罪とされ、家族ともども基球の隣の惑星である緑星に永久追放されてしまった。
緑星の気候は、基球に比べれば高温多湿であり、内部のマグマ層は厚く、至る所に火山が噴出していた。植物の繁茂は著しく、動物も多様を極めていた。基球ではとっくに滅亡した多種多様な恐竜類も生息していた。
肉食の生物から身を守るため、タキル達は、居住地域の周りに高い防壁を築き、それを徐々に広げていった。
このような過酷な環境で生きるには、強靭な精神と果敢な行動力が必要なのはタキルにも分からないでもないが、時として遠く離れた故郷星基球に想
いが馳せるのであった。
「少年よ。何を思い悩んでいるのじゃ。」
突然闇の中から穏やかな声が聞こえた。タキルははっとして身構え、薄暗がりの中に佇む人影を見た。頭巾を被り、ひげをたくわえ、長い杖を持った老人が立っていた。
「はっ。お爺さんは何処から。」
タキルが驚きながら声を発した。老人は黙って持っている杖の先を頭上に向けた。
「空からですか。」
タキルが間の抜けた声を出した。老人が黙って微笑んだ。
「さあ。話してみるんじゃ。」
老人がタキルを促した。
「あの空に見える基球から僕達は、家族親類も含めこの緑星に七年前に追放されてしまったのです。」
タキルが知っている限りの一部始終を老人に話した。
「なるほどのう。それは難儀なことよ。」
老人が同情の声を発した。
「基球には友達もいる。会えないのが悲しいとか、その気持ちもよく分かる。大いに嘆くがよい。気の晴れるまで泣くことじゃ。だが、それで終わってはだめじゃ。
これは、天の与えた運命と思い、この緑星で生きていくことを覚悟するのじゃ。ものごとに全力を尽くすのが良いと思う。」
老人がこんこんとタキルに語りかけた。
「それにあの基球は緑星より小さいせいで徐々に徐々に冷え始めているのだから。」
「本当ですか。」
タキルがびっくりして老人を見た。
「今すぐではない。一億年も先の話じゃが。」
「なあんだ。そうなの。」
タキルがほっとしたような声を出し横を向いて笑った。
「ほう。笑ったのう。」
タキルが笑い終えて正面を見た時には老人の姿はすでになく、声だけが遠ざかっていった。
勝負の結末
「少年の笑顔を見て、わしはもう大丈夫だろうと思った。わしは地球から南の空に向かったのだが、御手前と同じで、行けども行けども宇宙には果てがなかったのじゃ。なんか疲れだけが残ってのう。これでわしの話は終わりじゃ。」
浜爺がふ~と息を吐いて彦爺を見ました。
「なるほどのう。星間移動か。地球の未来が思いやられる。考えさせる話じゃないか。人類は永遠に続くのかどうか。御身の話で久しぶりに心が躍ったような気がしたよ。この話比べはわしの負けのようだな。」
彦爺が浜爺を褒めました。
「いやいや。御手前の話もなかなかのものよ。若者たちに人の世の理を教え、勇気を与えたのだから。」
浜爺が彦爺を褒め返しました。
洞窟の入り口から風が入り、蠟燭の炎がゆらゆら揺れて、二人の翁もゆらゆら揺れました。農夫の太吉は、風の冷気に触れたように感じ、我に返りました。気が付いてみると洞窟の中では、二人の翁が相変わらず囲碁に興じております。
赤ずきんの翁の話を聞いているうちに太吉は、いつの間にかケンタになり、悪王の非道、悪政を正すために戦っていたのです。そして青ずきんの翁の話の時には、緑星に追放されたタキルになって、母なる惑星基球を見上げ、嘆き悲しんでいたのです。不思議なことがあるものです。太吉はケンタだったのかタキルだったのか。
夢を見たのかもしれない。と太吉は思いました。それにしても、あまりにも実感のある体験に感じられ、太吉はどうしても心の整理がつかなかったのです。二人の翁の囲碁は、現実に今も目の前で続いており、二人の話が本当なのか嘘なのかを判断する材料は太吉にはありません。ただ二人の話が本当だとすれば、その中で実体験したという事実から、本当にあったことのようにも思えてくるのです。
「御手前の碁は、さっきも言ったが、全然上達していない。まるで初心者の碁じゃ。」
浜爺が彦爺をやんわりと挑発しました。
「何をおっしゃいますか。御身の碁もひどいものよ。これでよく碁といえるなあ。」
彦爺がすかさず応酬しました。
それからしばらくは、あれやこれやと言い合いながら碁が打ち進められました。
「それ、グルグルマワシじゃ。」
浜爺が言いました。
「何。グルグルマワシ。回されているのは御身の方じゃ。」
彦爺が浜爺に言い返しました。
「そんなことはない。回っておるのは、御手前じゃ。」
「いや御身じゃ。」
「御手前じゃ。」
「御身じゃ。」
その賑やかなことは、まるで無邪気な子供のようでした。そして、翁は
二人とも立ち上がり、お互いにワイワイ言いながら碁盤の周りを回り始めたのです。
そのおかしな様子に、見ていた太吉は堪えきれなくなりました。
「ぷあっ、はっ、はっ。」
思わずふきだしてしまいました。
すると、翁たちの回り方が急に速くなり、岩の天井に二人とも上り始めたのです。太吉が驚いて目を凝らして見ていると、天井にたどり着いた翁たちは、あっという間に、天井の岩に吸い込まれるように消えてしまいました。同時に蠟燭の炎も消えてしまいました。
眼の前で展開されたあまりにも怪奇な現象に、太吉は恐怖を覚え洞窟の前から逃げ出そうとしました。けれども、好奇心の強い太吉のことです。逃げ出すのを思いとどまって、恐る恐る洞窟の中に入り込んでいきました。
入口からの薄光の中で、そこに太吉が見たのは、古ぼけた碁盤とその上に並べられた色あせた白黒の石でした。太吉には、何のことか分かりませんでしたが、盤上には白黒の石が何やら渦を巻くように置かれているのが見えたのでした。