原ふたお

仕事を定年退職後、第二の人生として芸術大学の通信教育を受け卒業しました。退職後に本を書き、これまで著作は『人の世の物語』と『ブロンズの母』があり、さらに『孫のおあいて』が近く発刊の予定です。noteでは、いずれ今構想している時代小説を書いてみたいと思っています。

原ふたお

仕事を定年退職後、第二の人生として芸術大学の通信教育を受け卒業しました。退職後に本を書き、これまで著作は『人の世の物語』と『ブロンズの母』があり、さらに『孫のおあいて』が近く発刊の予定です。noteでは、いずれ今構想している時代小説を書いてみたいと思っています。

最近の記事

【連載小説】峠の向こう側 2

            剣術の道場   今朝は、昨晩の土砂降りが嘘のように晴れており、明るい太陽が地上を照らしていた。家の縁側から見える庭には水たまりができて、トンボがおしりを水に突っ込み、卵を産んでいた。そんなところに卵を産んでもすぐ干上がってしまうのにと藤高は余計な心配をしながら、トンボの徒労をぼんやりと眺めていた。 「藤高。ちょっと来てくれんか」  その時、奥の間から、父、創見の呼び声が聞こえた。 「はい。何か御用でしょうか」  藤高が部屋に入ると、創見は書見

    • 【連載小説】峠の向こう側                       

                  はじめに  宮城県大和町宮床の地には何度か足を運びました。仙台市の北側と接していて、昭和三十年に周辺町村と合併するまでは宮床村でした。この地は、江戸時代には宮床伊達家の領地で小城下町として色々な史跡が残されています。  主なものをあげれば、まずは田手岡館跡ですが、ここは跡地だけが残り、建物はありません。ここには、仙台藩の五代藩主となった伊達吉村のえな塚があります。次には、中野地蔵をあげます。これは、吉村の母、松子が建て、「子育ての神」として名高いです

      • 風の吹くまま、気の向くままに 10 (自著『バックミラーの残影』から)

         ご存知のとおり日本は、昭和の時代に太平洋戦争に負けて、全土が灰燼に帰しました。神代の時代から脈々と続いてきた日本的なものが無価値なものと否定されたのです。物も心も、汚泥のごとく沈殿し、その上に突然欧米の風俗や考え方が分厚い蓋となりました。価値観の転換。日本の物は悪くて、外来が良い、理屈抜きでそんな風潮となりました。  徹底的に破壊され、何もかも皆無となった日本で、心の問題はさておき、ただやみくもに復興に走ったのが当時の状況でした。生きるためにがむしゃらに働いたのです。日本

        • 【連載小説】バックミラーの残影 完

          これまでのあらすじ  佐山橙太が定年退職して、十数年になるが、高校出の彼は宿願を果たすべく芸術大学の通信課程を受講している。その間、妻の澄子が入院し、退院した時には、歩行困難となっており、作家志望の息子と一緒に在宅介護をすることになった。さらに妻は、認知機能が衰えており、橙太は、妻から悪口を言われながら耐える日が続いていた。  思い起こせば、橙太は、山形県庄内の貧しい家庭に生まれ、大学受験は合格したのに家計の事情で地元の郵便局に就職したのだ。その後、憤懣やるかたない気持ちで、

          【連載小説】バックミラーの残影 7

                        残影の5    真奈の結婚式が終わった後は、橙太の家族に特段の変化はなく、澄子との二人の生活は淡々と過ぎていった。ある日、生涯の記念に外国旅行に行こうかとの話になり、新聞に出ていたタイ観光旅行の広告を見て申し込み、その年の年末に二人は初めて外国に向けて飛び立った。  仙台空港を午後に離陸し、韓国の金浦空港でかなりの時間待機してから、タイ行きの飛行機に乗り換え、バンコクの空港には夜遅くに着陸した。そこからバスでホテルに向かい、到着して降車すると、待ち

          【連載小説】バックミラーの残影 7

          【連載小説】バックミラーの残影 6の2

                      残影の4(後編)    翌年の三月末に橙太の家族は、仙台市の北部の住宅団地に家を新築し引っ越した。その団地は市郊外の丘陵地に造成されて、西側からは泉ヶ岳が望見され、夏になると家の窓から山の頂上に沈む太陽が見られるし、家にいながら真っ赤な夕焼けがいつでも思う存分堪能できた。 「わーい。新しい木の香りがする」  末っ子の雅之が、大喜びで一番先に家に飛びこんだ。一階の各部屋を駆け巡り、階段を上って二階も廻り降りてきた。 「二階の部屋の窓から泉ヶ岳が見え

          【連載小説】バックミラーの残影 6の2

          【連載小説】バックミラーの残影 6の1

                     残影の4(前編)  それから二人の交際が続き、幾ばくかの紆余曲折はあったものの、一年後に橙太が澄子にプロポーズし、両者合意の上、結婚することになった。   それは、新緑の季節で五月五日のこどもの日だったが、二人は、大年寺山の野草園で開かれた野外音楽会で、地元オーケストラによるセミクラシックの演奏を聴き、楽しんだ。その後、徒歩で街まで行こうと山を下り、山の北側を流れる広瀬川に架かる赤い橋げたの宮沢橋にさしかかった。 「うわー。きれい。夕焼けの空が真っ赤

          【連載小説】バックミラーの残影 6の1

          【連載小説】バックミラーの残影 5の2

                      残影の3(後編)  翌年になって、橙太は、仕事のほうもようやく慣れてきて、何とか一人でこなせるようになった。文書作りは、相変わらずあまり上達はしなかったけど、関係合議先を回っていくうちに適当な訂正が入り、決済時には何とかまともな文書に仕上がっており、ほっと胸をなでおろしたことが何度かあった。  そんな訳で、仕事は何とか回りだしたのだが、何しろ机に座っての時間が多いことから、どうしても運動不足という問題が生じた。宿舎は、食事付きの独身寮に入れてもらって

          【連載小説】バックミラーの残影 5の2

          【連載小説】バックミラーの残影 5の1

                                                      残影の3(前編)  訓練所の訓練を終えて、郵便局に復帰したその一年後に、橙太には、管理部門の仙台郵務管理局への勤務希望はないかの打診が届いた。 「お父さん。仙台の郵務管理局で仕事しないかとの打診が来ているんだけど、行ってだめですか」  桜があちこちで美しく咲いている四月中旬に、仕事から帰ってきて、夕食を食べた後、橙太は、囲炉裏であぐらをかいてキセルをすぱすぱ吸って煙を吐いている父親の

          【連載小説】バックミラーの残影 5の1

          【連載小説】バックミラーの残影 4

                        残影の2  大阪から帰ってきた翌月の四月から、橙太は、新社会人となって郵便局に通い始めた。一週間程度、仕事のやり方の机上訓練を受け、その後、郵便窓口につき、実地の訓練を受けながら、独り立ちを目指した。とにかく、何もかも新しい経験で、しどろもどろの日が続いた。  進学できなかったという心の傷は消えた訳ではないが、当面は、新しい環境に慣れるのが精いっぱいで、そんなところではなかった。それでも仕事ができるようになり、心に余裕が出てくると、その無念さがじ

          【連載小説】バックミラーの残影 4

          【連載小説】バックミラーの残影 3

                        残影の1  今から六十年余り前に、橙太は、山形県庄内地方のある村に家族六人と暮らしていた。あまりにも遠い昔のことで記憶も曖昧なところがあるが、家族の構成は、両親と姉と妹、それに弟二人の七人だった。当時は、どの家庭でも子沢山で大家族が一般的となっていた。  この地方は、日本有数の米の生産地で、どの農家も田んぼで働く多くの人手を必要としていた。農作業は、人力に頼るところが大で、特に春の田植え期と秋の収穫期は、猫の手を借りたいほどの繁忙を極めた。非農家

          【連載小説】バックミラーの残影 3

          【連載小説】バックミラーの残影 2

                      見えない道程  退院してからしばらくの間は、澄子は、ベットに寝たきりの状態で、夜中も橙太と息子の雅之がベットの近くに寝て様子を見守った。家で暮らすようになって二日三日は、澄子も家に戻った安心感からか穏やかな状態だったが、そのあとは次第に自我をあからさまに表すようになっていった。  病院の先生からは、認知の状態が幾分低下していると言われていたが、確かに、今日は何日で曜日はというようなところで、分からなくなることが散見された。ちょっとした物忘れとは違うよ

          【連載小説】バックミラーの残影 2

          【連載小説】バックミラーの残影 

                     ラストチャレンジ  人には誰にも、大小の違いはあるものの、心にぽっかり空洞が開いているように思えてならない。その空洞には、軽重があり人によって色々だが、広くても軽かったり、狭くとも重かったりする。空洞ができた原因はというと、数え上げればきりがないのだが、卑近な例でいえば、大学受験に落ちて志望校は諦めたとか、希望のところに就職できなかったとか、詐欺にあって親子代々の財産を無くしたとか、はたまた失恋したとか、友人に裏切られたとかで、これらは、ほとんどが自己

          【連載小説】バックミラーの残影 

          【短編小説】目明かし丹治の捕物帖 3

                       救いの神  雨の季節が過ぎて、本格的な夏が来た。朝から灼熱の太陽が照りつけ、昼過ぎには真上に来て、四方に熱気を放射する。遠い西の空には入道雲が湧き立ち始めたが、雨になるかは分からない。街中を縦横に結ぶ道路は乾ききって、時折吹き渡る風に砂ぼこりが舞う。  ここ仙台城下の米問屋まんぷくの主、佐平治は昼飯の後、奥の居室に横になり、団扇でじっとりと汗のにじみ出る顔を煽いでいた。縁側から見える小さな池には水が張られ、金魚が泳いでいる。その周りには形の良い庭

          【短編小説】目明かし丹治の捕物帖 3

          【短編小説】目明かし丹治の捕物帖 2

                      おあしは回る  初夏のさわやかなそよ風が吹き付け、屋敷森の淡い緑色の若葉がカサコソと微風に揺れている。仙台城下の北側にある村の肝煎(名主)、太次郎の館でも田植えが終わり、ほっとした空気が漂っていた。空は青く、所々に白い雲がたなびき、周りの田んぼには、一面に水が張られ、植えたばかりの稲の苗が整然とどこまでも続いていた。  この日の昼過ぎ、肝煎館の奥の間で、娘、お鈴が着る結婚衣装の品定めが行われていた。仙台城下の反物屋、きさらずの主、藤七が手代の菊三に

          【短編小説】目明かし丹治の捕物帖 2

          【短編小説】目明かし丹治の捕物帖                                    

                      酒樽は笑う  梅雨時になって、毎日、しとしとと雨が降り続き妙に暑苦しくうっとうしい。時には激しく降ることもあり、仙台城下を流れる広瀬川は、いつもよりは水かさが増し濁っていた。今日は梅雨の晴れ間で、時々日も差し、どこの家の庭先にも洗濯物が干され風に揺れていた。時は江戸時代、五代将軍綱吉の治世で、仙台は四代藩主綱村が治めていた。  この日の朝早く、仙台の酒問屋さえもんの手代、駒吉が酒樽二つを積んだ荷車を丁稚の音松にひかせ、お城に向かっていた。橋を渡るた

          【短編小説】目明かし丹治の捕物帖