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【連載小説】峠の向こう側 5の2

            宮床の変事(後編)

 それから三日後の朝に、目明し丹治が、女房のお千代が営む一膳めし屋の奥の部屋で朝食を摂っていた。風もなく、雲もなく、朝日が地上くまなく照り渡り穏やかな秋の一日が約束されているような朝だった。どこかで鶏の時の声が高らかに響き渡った。

「てーへんだ。てーへんだ。おやぶーん。てーへんだ」

 その時、その静けさが突然破れ、子分の良助がバタバタと店に走り込んできた。

「何が大変だ。犬でも喧嘩したのか」

 それを聞き、目明し丹治が食事の箸をおき、時には早とちりをする良助をちゃかした。

「そんなんじゃないです。宮床で今度は、酒問屋孫八の七歳の娘がさらわれたんです」
「何。本当か。まつもついてこい」

 丹治は、あたふたと十手を腰に差すと、一緒に飯を食っていた松吉にも声をかけ、店を飛び出していった。その後ろから女房のお千代が火打石を打って見送った。

 酒問屋孫八の客間では、旦那の益三が青白い顔で憔悴しきって、丹治の取り調べに応じていた。

「それで娘がかどわかされたというのはどうして分かったんですか」

 丹治が十手を右肩に当てながら益三に答えを促した。

「はい。昨日遊びに出た切り、お滝が夕方になっても帰ってこなかったものですから、家の者皆で探しに出たんですが見つからなかったのです。それが今朝になって店の前に投げ文が放り込まれていました。これです」

 丹治に差し出された紙きれを見ると。前の米問屋の時と同じで、娘の命と引き換えに千両箱一つを神社の鳥居のところに置いておけという手前勝手な言い分が連ねてあった。

「なるほど。分かった。夜になったら金を運ぶということになると思うが、その前に心当たりを当たってみるからそれまで待っててください。いいですか」

 丹治が益三を見ると不安げな顔に作り笑いを浮かべ、こくりとうなずいたのが見えた。丹治と子分の三人が店を出ると益三がついてきて何度も頭を下げた。店の者たちも祈るような風情で手を合わせ丹治たちを見送った。

「それじゃな、まつとよしは、これから農夫のふりをしてあの山際の一軒屋を探ってきてくれ。わいは番所に出向き、これからの手配を相談しているから急いで頼むぞ」
「へい」
「合点」

 松吉と良助は目明し丹治の指示に威勢よく返事を返し、全速力で走り去った。

 やがて山際の平屋の建物についた二人は、誰にも気づかれないようにそろそろと後ろ側から近づき明かり窓の隙間からそっと中を覗いた。人は住んでいなそうなぼろ屋だったが、中には、広い板の間に十数人の男たちがたむろしており、さいころを転がしているものや寝転がっているものなど色々だった。どの男も一癖ありそうな風貌をしていたが、どの顔ものびやかで緊張は感じられなかった。
 さらにみると奥のほうに畳敷きの部屋があり、その入り口には用心棒と思われる侍五人が刀を膝ごと抱えて座ったり、あぐらをかいたり、人相の芳しくないさまをあらわにしていた。その時、部屋の奥から桃色の着物を着た女の子がチラリと顔をのぞかせ、すぐに引っ込んだのが松吉と良助の目に留まった。
 それに気づくと、二人は目を合わせて頷き、静かに後退し、目明し丹治の待つ番屋に向かって走った。

「おやぶーん。おりましたよ。一軒家には、酒問屋の娘がいましたよ」

 松吉が荒い息を吐きながら丹治に報告した。

「ご苦労。それで中の様子はどうなんだ」
「へい。全部で二十人位いたようだけど、そのうち五人は人相の良くない侍でした。入口に続く板敷きの広間には十五人位で、その奥の畳敷きの部屋に娘が入れられ、侍五人はその部屋の前に陣取っていました」

 丹治の問いかけに、今度は良助が詳細を告げた。

「何。侍が五人だと。これはちょっと面倒だな。まあ、代官所の井崎旦那にはお知らせするけど、そのあとすぐに一軒家に乗り込むことにしよう。ところで、黒装束の者どもはいなかったのか」
「いえ。見えなかったです」

 これには松吉が答えたが、目明し丹治は、それを聞くと即座に腰を上げ走り出した。そのあとに松吉と良助が続き、代官所に寄った後、三人はひた走りに山際の一軒家を目指した。
 街並みを外れ、切り株の残る田んぼを通り過ぎ、紅葉の混じる雑木林を抜け、山際の一軒家に目明し丹治と子分の二人は、急ぎ足で近づいた。そのあとには捕り方の一群が続いていた。丹治は一軒家に着くと、松吉と良助を後ろに従え、躊躇せずに入口の引き戸を開け中に入った。中にいた男たちが引き戸の音を聞きつけ、一斉に入り口に目を向けた。さいころをふっていた連中は、その手を止め、寝転がっていた者たちはがばと跳ね起き入り口を凝視した。奥にいた用心棒の五人は、刀を引き寄せ、事態に備えた。

「わいはイシツブテの丹治というが、御用の筋でまかり越した。ちいと訊きたいことがある」

 丹治が名乗りを上げ、用向きを鋭い声で告げた。

「何かありましたか」

 丹治の居丈高な口上に目のぎょろりとした体格のいい男が出てきて、慇懃にお辞儀した。中の男たちの形相が変わり、緊張感が充満した。

「あるからきたのよ。かどわかされた娘を探しているのさ。上がらしてもらうよ」

 丹治が上がり框に足をあげようとすると、男は薄ら笑いを浮かべて抗弁した。

「人のうちに来て、行儀が悪い。どんな親に育てられたのやら」
「何をぬかすんだ。真昼間から仕事もしないでごろごろしている無頼漢に言われる筋合いはないわ」

 丹治が男の言葉を聞き流し、構わず上に上がると、その男は後ろを振り向いて声をあげた。

「旦那方。出番ですよ。叩き出してくださいよ」

 その声に応じ、五人の用心棒が立ち上がり、そのうち四人が入り口に向かい、一人は、娘の看視のためかその場に残った。

「無用な抵抗はやめることだ。邪魔をするな」

 丹治が中に進もうとすると、四人の侍が無言のまま刀を抜いた。

「おっと物騒なものを抜いたな。後悔するぞ」

 すると、侍の一人が

「えい―」と声を張り上げ切りつけてきたが、丹治はそれをかいくぐり表に走り出た。四人の侍も丹治を追って、バラバラと表に出たが、出た途端に二人が首を押さえてうずくまった。丹治の投げたイシツブテが首を撃ったのだ。それを見て他の二人がひるんで後ずさりしながら刀を構えなおした。松吉と良助が素早く十手を構えて、二人の侍に挑んだ。

 その時、ぞろぞろ外に出てきた盗賊たちは、迫りくる捕り方の一群を見つけ、てんでバラバラ逃げ出した。それにつられ、二人の侍も逃げようとしたが、逃げ遅れた一人が首に丹治のイシツブテを受けて転がった。

 家の中に残った侍は、周りの叫び声から捕り方の接近を知り、嫌がるお滝の手を引っ張り裏口から逃げようと外に出て、ぎょっとして目を見張った。そこには、紫紺の着物に包まれたタヌキ面の侍が立っていた。

「うっ。なにやつ?」 

 驚いて、侍が刀を抜こうとしたら、お滝が握られていた手を振りほどき逃げ出した。反射的に抜いた刀をお滝に振り下ろしたが、届かず、それどころか左肩にタヌキ面の侍が打ち下ろした刀の打撃を受け地面に横倒しとなった。

「おー。タヌキ面が現れた」

 その時、もう一人の侍を追って走ってきた丹治が驚きの声をあげた。

「ちょうどよかった。娘はあの通り無事だよ」

 丹治は、タヌキ面の指さす先で泣きじゃくりながら逃げていくお滝を見て、ほっと胸をなでおろした。

「まつとよし。すぐに追っかけて保護しな」
「へい」
「合点」

 松吉と良助が急いでお滝を追いかけるのを見送って、丹治はタヌキ面に向き合った。

「有難うござんす。して、貴方様は?」
「名乗るほどのものではないわ。さらばじゃ」

 タヌキ面の侍はそういって、白馬を呼び寄せ飛び乗ると、瞬く間に南の方向に駆け去っていった。

 「酒問屋の娘、かどわかし騒動は、ざっとこんなもんだね」

 父の創見が盃の酒を一口飲んで、乾いたのどを潤した。

「お滝が無事で良かったですね」

 話を聞いていた藤高がほっとしたように素直な感想を口に出した。

「うむ。それはそうなんだがどうも腑に落ちないことがある」

 また父の勘繰りが始まったと思ったが、藤高は黙って聞いていて冷えたお茶をすすった。

「米問屋の時は、黒装束の忍者が出たというが、今度は皆目それらしきものは見なかったと聞いた。どういうことなのか。千両箱を運ぶ時だけに出てくるのか。とにかく真相は謎だね」
「父上。いくら考えても分からないものは分からないのではないですか」 

 疑問が堂々巡りになっている父を気の毒に思い、藤高が思い余って声をかけた。

「ははー。そうだった。それにしても、捕り方が出向いたわりには戦果が上がらなかったじゃないか。無頼の輩は全員逃げおおせ、捕まえたのが侍四人じゃ、お天道様に顔向けができないだろう」

 今度は捕り方に矛先が向いていき、悪酔いでもしているのかと藤高は父の顔を窺った。

「父上。身内の批判はいかがなものかと思いますが」
「ははー。お前も大人びたことを言うようになった。頼もしいぞ」

 創見は息子に痛いところを突かれたのだが、怒ることもなく、かえって目を細めて喜んだ。

「言いたいのは、捕まえたのが用心棒だけでは、本当のことは何も分からないなということなんだ。逃げおおせたのが単なる盗賊なのかそうでないかでは雲泥の差があるということだ」

 藤高の心配にも関わらず、その日の創見は、なぜか真相の究明にとことんこだわった。

「仮にだ、これに忍者が絡んでいるとなると誰が指令を出したかということになる。絡んでいないことを祈るのみだな」

 藤高に話すというよりは、自分の思考を整理するためのようであり、創見の問答は自分の頭の中だけで回転した。

「それにタヌキ面の侍がまた出たという。新米の運搬の時と辻斬りの時とこれで三度目だ。何のために出没するのか、背後に誰かいるのか皆目分からない。少なくとも悪党の味方でないのははっきりしているようだが」

 藤高の意見を求めている訳ではないが、創見の一方的な話がさらに続いた。

「父上。タヌキ面の話は、正義のための単独の行為と思えますが」

 ついに堪りかねて、藤高が自分の意見を述べた。

「何、正義のため。そんな甘い夢のようなことを言って。お前。人は損得で動くものよ。夢のため命を張るものなんているはずがない」

 創見が気色ばんで薄汚れた大人の常識を藤高に押し付けようとした。

「いや。もっと俗っぽい言葉で言えば、善良な庶民のための奉仕だと思いますが。若い人は世の中をよくするために理想を追い求めるじゃありませんか」

 藤高は、この時なぜかわからないが、利害を超えた世の中の本当のことに執着を見せて、自説にこだわる姿勢を見せた。藤高のその真剣な言説にその時ふと創見ははるかな昔の若き日の自分の姿を見て、当時の感慨がよみがえり、甘い感傷が突然胸を走った。

「うん。そうじゃな。若い人はそうでなくてはいかんかった。これは、これは、わしとしたことが大失態だった。うん。それでよいのじゃ」

 創見はそういうと、目を細めて天井を仰ぎ見て何度もうなずいた。それを見て、藤高は今ならばと思い、創見が前に口にした忍者村ゆきはいつなのかと訊いてみた。

「うむ。近いうちにと思っているが、まだ決めていない。何かな」

 創見が不思議そうな顔をして、藤高を見た。

「行くなら頼みがあるんだ」
「頼み?できるものならいいが、言ってみなさい」

 創見に促されたが、口に出したものの、藤高は何となくきまり悪さを感じ躊躇した。

「何だ、言えない話なら無理しなくていいさ」

 創見は藤高の様子を見て、聞く気が失せ顔を引いた。

「いや。やっぱりお願いします。実はね、この間のお返しという訳でもないんだけど、押し花をもらったし、このかんざしを柴乃ちゃんに渡してほしいのですが」

 藤高は、そう言い。懐に手を入れ小さな布袋を取り出した。その袋を開けると、濃紺の地に白百合一輪を配した綺麗なかんざしが出てきた。

「ほー。見事なものだ。また、どうして」

 創見はそれを見ると、素直に褒めた後に疑問を感じ、かんざしから目を藤高に転じた。

「はい。忍者村から帰るときに必ず迎えに来ると約束したものですから。忘れていないことを知らせるためです」

 嘘をつくことでもないと考え、藤高はすぐに答えた。これに対し創見は、意外な藤高の答えを聞き、気持ちが動転した。

「何を言っているのか、身分が違うだろう。そのような約束は、その場の一時の気まぐれで、そんなに固く考えることはないと思うが」

 創見の声音がそれまでの穏やかさから鋭いものに急変した。

「身分といいますが、父上こそ固いのではないですか。だめなら頼みません。私が持っていきますから」

 藤高が、父の剣幕に反応して言い返した。この反撃を受け、創見はようやく大人の冷静さを取り戻し、表情を緩めて親の威厳の修復を図った。

「分かった。それほど真剣ならわしの心にも留めおくとしよう。柴乃ちゃんに届けてあげるからよこしなさい」
「はい。よろしくお願いします」

 藤高は、父の気持ちの好転にほっと息を突き、白百合のかんざしを差し出した。

「いずれにしても、周りは色々と動いている。まずは真相をつかむことが大事だが、まったく雲の中だ。それが分からないことには手の打ちようがない。忍者村行きもそのためなのだがな。お前も十分心してかかれよ」

「はい。承知しました」

 藤高は、意味不明の言葉を聞きながら、父の不可解な正体を判じあぐねて戸惑いを深くした。

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