自分の意見を言えない日本

今の日本人は自分の意見を言えなくなってしまった。言うことを恐れている。

自分の意見を言えないという事は、最も手短な表現の手段にブレーキをかけている事になると思う。

何故そうなったのだろうか?私の意見を述べよう。

大きな理由として、日本の教育のせいだと言える。小学生になった頃から皆と同じ事をやらせる。そんな教育の手法がそうさせてしまっているのだ。

言葉では「個性が、個性を」を言うがその実、個性を潰す教育をしている。
「皆がこうしてる時はあなたもこうしなさい!」
と小さい頃から刷り込まれるのだ。この頃から多くの人がしている事の方が正してくて、違う動きや考えをする人は間違っているとか悪い事と刷り込まれてしまうのだ。これが、今の日本人が自分の意見を言えなくなってしまった理由の一つだと言える。

このような教育はどこから始まったのか?それは敗戦後の日本が再び歯向かう事がないよう、足腰が全く立たなく腑抜けにする事を目的としたG.H.Qの策略が始動してからだ。
アメリカの長期間に渡る、我々日本人を完膚なきまでにボロボロにする計画が動き始めてからだ。

我々が子供の頃の日本には勢いや活力が漲(みなぎ)っていた。例えば隣近所の大人たち。よく大笑いし、よく大声で怒鳴りあっていた。
また、赤の他人であるはずのただの近隣の人たちが何かの時には協力的であり助け合い生活していた。
「味噌がきれたからちょっと貸してくれないか」
「子供の給食費が足りないから貸してもらえないか」
「うちの子供が小さい時着ていた服、あんたのとこの子供さん着れるかな」
と、こんな事が日常に転がっていた。そして、その恩を受けた側は何かでお返ししようとするし、子供の頃を振り返ると日本にはいつも義理、人情、恩義が溢れていた。

エンターテイメントでもそうで今とは全く違う。まず80年代の歌番組を思い出すと歌手やミュージシャン全員が、お客さんや茶の間の人に"絶対に魅せるぞ‼️"というオーラがあり、また事実魅せられていた。またそれに素直にオーディエンスが盛り上がり相乗効果となりいいパフォーマンス、いいライブ、いいテレビ番組となっていたのだと思う。

私がその変化に気づいたのはやはり2000年代に突入してからだ。ミュージシャン達のライブに活気が減った気がした。これに気づいた頃にはもう日本に活気が明らかに減った頃だった。

大分県には湯布院の街を見下ろせる展望台があり、その夜景はまさに絶景で、子供の頃父親がよくそこに連れて行ってくれた。目の前に広がる宝石を見ているような感覚だった。ところが、90年代後半に久し振りに父親が連れで行ってくれた時、湯布院の街は寂れ、キラキラと煌めいていたあの夜景は顕著にその姿をなくしていたのだった。

話が前後するが、70〜80年代のミュージシャンたちのコンサートを観ているとオーディエンスがとにかく素直で熱い。あの熱気は欧米のロックコンサートに負けず劣らずと言ってもいい。しかし90年代頃から周りの目の方が気になっている様子が伺える。
「今、盛り上がっていいところなのかな?」
「自分だけ盛り上がったり声出したり歌ったりしたら恥ずかしいな」
このような思いがミュージシャンのLIVEに行っても、ビデオやDVDで観ても見受けられる。

映画館でもそうだ。子供の頃親父に手を引かれて入っていた映画館では、大人たちがよく声を出して笑ったりスクリーンに向かってヤジを飛ばす大人もいた。しかしどうだろう。今の映画館ときたら、とにかく静かに観なきゃいけない雰囲気が出来上がってる。喜劇映画やコメディ映画を観に行ったのに笑う事すら前後左右の目を気にしなければならないような始末。ポップコーンの音をボリボリ出して食べるのは自分くらいだ。

長い年月を経、我々日本人は見事なまでにアメリカの準備した計画通りになってしまった。

これ程今の日本はおかしい事が連日連夜起こっているのに、憤慨したり怒りをぶちまけるような日本人はほぼいない。怒ってもYouTubeなんかを通して不平不満くらいの感じで言ってるような人の方が多い。あとは政治に関わる人。政治に関わる人達は一応体裁があるから変に怒りの感情をぶちまけるような語気にはなれない。

もっと我々一般人がキレまくらねばならない。そうでなければ日本は世界の奴隷だ。それに気づいてない呑気な日本人ばかりで腹が立つ。今の日本がどんな状況かも知る気もなく、韓流韓流とうつつを抜かすバカ女どもに飽き飽きしている。

日本の現況を知り、怒れ!日本人!!

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