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祖父と栗モナカのアイス

 子供の頃、まあまあな田舎に住んでいた。
 まあまあな田舎と言うのがどのくらいの田舎かと言えば最寄りのバス停まで急いで歩いて20分、最寄りのコンビニまで車で30分、町内にあるのは文具から食品から学校指定ジャージまで扱っている個人商店と、個人経営の酒屋しか無い程度の田舎だ。日本のどこにでもある、ありふれた田舎である。
 これでも我が家はバス停からとても近い場所にあったので20分程度で到着したが、もっと山の方にある家は歩いて1時間くらいかかったんじゃないだろうか。
 こんな弊田舎なので、町内に唯一あった信号機も十数年前に外されたし唯一あったガソリンスタンドも閉業した。
 大学進学と同時に田舎を離れた叔母が久し振りに帰省した時に『ここは何十年経っても全然変わらないね』と言って喜んでいたが、住んでいた私はなんとも言えない気持ちになったものである。

 そんな田舎では祖父母と同居をしていた。それなりに生意気でそれなりに怠惰な幼少時代だったので今にして思えばとても褒められた優等生ではなかったと思うが、祖父母はそんなポンコツな孫でもそれなりに可愛がってくれた。
 こっそりおやつをくれたり、おもちゃを入れる為の箱にかわいい包装紙を貼り付けてラッピングしてくれたり、かんながけした直後の羽衣みたいに薄く綺麗な削り節を触ろうとしてかんなに手を置いた私をガチで叱ってくれたりした。
 かんな、分かるだろうか。鉋だ。大工さんが木材の表面を滑らかにする為にシャーッとするやつだ。あれは底面が刃物になっているので、子供が上に手を置いてうっかり引っ繰り返してうっかりその刃物が腕に当たったりなんかすると、木材より勢い良くシャーッと肌と肉が削れてしまう。削がれなくても切り傷は必至だ。だから叱る方もマジになる。

 祖父母は夏になると、私や弟が騒ぐのを見越して常に冷凍庫に二つ折りにするタイプのアイスを入れておいてくれた。
 凍らせて膝でバキンと2つに折るタイプのアレ。綺麗に折れれば達成感があるが、容器が折れた2つのどちらかに残れば邪魔な部分の押し付け合いが発生し、そもそも一発で折れなければ子供の膝頭を痣だらけにするアレだ。
 食べるまでに争いと痛みを伴うアイツの正式名称がよく分からないので、私は今でもアイツの事を何と呼んで良いのか分からない。
 夏にスーパーやドラッグストアで平積みされて売られている、凍らせる前のアイツを見かけると、私は帰省してフラッと入った地元のコンビニのレジで一緒に遊んだ幼馴染みを見かけた様な気持ちになる。そんな幼馴染みはいないのだが。

 しかし子供と言うのは残酷だ。子供の頃の私は膝で折るアイスに飽きると、冷凍庫の管理をしている祖母に、チョコがかかっているパリパリのアイスが良いとか、イチゴ味のクリームのヤツが良いとか、中に練乳が入ってるのが食べたいとかクソガキにも程があるムーブをかましていた。よく引っぱたかれなかったものである。
 引っぱたくどころか従兄弟が来るタイミングでジャ●アントコーンを冷凍庫いっぱいに詰めていた祖母は仏か何かなんだろうか。

 そんな祖母とクソガキもとい孫を見てなんと思ったのか、そのうちに祖父がアイスを冷凍庫をストックしておく様になった。そして膝で折るアイスに私が飽きてごねると、自分が買い置きしていたアイスを出してくれる様になったのだ。
 祖父チョイスのアイスはいつも、栗ペーストの入った、栗味のクリームをモナカで包んだアイスだ。

 繰り返しになるが、私が祖父母と住んでいたのはまあまあな田舎だ。近所にあるのは個人商店。最寄りの個人商店はバス停にあったので、そこまで徒歩で20分。自転車を使っても10分~15分はかかる。車を運転しなかった祖父がアイスを買うのはそこ以外に無い。しかも祖父の小遣いは殆ど無かった筈である。
 少ない小遣いで、祖母を困らせるやかましい孫が居るからと、自転車を走らせたか釣りに行った帰りにか、祖父はアイスを買ってくれたのだろう。
 孫(私)は栗もモナカも苦手だったが、まさかそんな事を言える訳も無く、祖父に出された栗モナカをありがたく食べた。ほぼ円に近い栗の形のアイスを両手で持って、どこから食べたものか悩みながら食べた。弟も一緒に食べた。
 祖父はそんな私と弟を見てから、甲子園の観戦に戻った。

 なぜ10月に足を突っ込んだこのタイミングで昔の夏の話を書いたかと言えば、件の栗モナカのアイスを数年ぶりに買ったからだ。
 私の成長と物価の高騰を経て、栗モナカのアイスは思い出より一回りも二回りも小さい。中のクリームが溶けるのが先か、外のモナカがふやけるのが先か、私が食べきるのが先か、という静かな三つ巴の戦いを制するのに必死でかぶりついていたアイスは、今では苦も無く私の一人勝ち完封勝利出来る様になってしまった。
 大きさは変わったけれど味は変わらない栗モナカのアイスを食べながら、私は祖父を思い出してちょっと泣いた。

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