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10代の詩とおばさんのエッセイ
誰かの言葉が、誰かの曲が、自分の心と重なって
思い切り歌いたくなる時がある
答えが欲しいわけじゃなく
背中を押して欲しくもなく
寄り添って欲しいなんて、そんな温もりすら煙たくて
だけどやっぱり、自分1人じゃ抱えきれない
やりきれない僕の心を
代弁した歌詞があるのなら
それを永遠と叫びたい
自分でも分からない感情を
奏でたメロディがあるのなら
答え合わせをしてみたい
誰かが作ったその曲で
僕は僕を吐き出して
僕は僕と向かい合う
誰かの歌詞が僕の心と重なって
誰かの音色が僕の気持ちを奏でてくれる。
私が10代の頃、世の中の流行は「苦しくてさみしくて」と嘆く曲だった。あるいは「私の事を誰にも理解などできない」と、自分という存在を叫んでいる曲だった。
子供が生まれて流行りの曲も聞かなくなったが、この10年は、応援歌が多いのだなと思っていた。きっとそれが今の流行りなんだと思いながら流れてくる曲を聴いていた。
10代の頃は、あまりに自分勝手に自分の痛みばかりを歌う流行曲に、自分で処理してくれ とあきれていた。
なのに今は、最近の若者は、こんなに背中ばかり押されて疲れないだろうかと思ってしまう。
そして、あの頃“どうでもいい”と思っていた流行曲の存在意義を何となく感じたのだ。
とはいえ、どんな時代にも応援歌は必要で、春の手前、今このタイミングにも、きっと多くの若者が背中を押してもらっているのだろう。
いつどんな時代でも聞く側は身勝手で、ある日突然拾い上げ、自分に重ねてリピートするのだ。