【エッセイ】私は"わたし"と話している
私は友達と2人きりで会うのが苦手だ。
なんだか緊張するというか、居心地が悪いのだ。
なぜ居心地が悪いかというと、私は私の話しをあまりしない。
友達と遊んだり、お酒を飲んだりするときは、相手の話しにつっこみをいれたり、話題を膨らませることで、場を盛り上げるという手法を使って、自分の話しをするということから逃げてきた。
自分の話しをしないだけで、話すことはするので、私がそんなことに緊張感を抱いてるなんて、周りからは想像もつかないだろう。
今まで私はこのことを、『話したいことがないから』とか『話す必要のないことだから話さない』とか『そもそもネガティブな感情を抱きやすい人が発散のために話しているんだ』とか、勝手に自分の中で理由をつけて正当化してきたように思う。
でも気づいたのだ。
私は、私の中の私といつも話している。
もしくは、私の中の見えない誰かにむかって、えらそうにいつも論じている。
話しのテーマはくだらないことから、育児、仕事、うつのこと、様々で、暇さえあればいつも自分の中の誰かと喋っている。
今まで気づかなかったが、私は話したいのだ。
話したいのに、
『こんな話しする意味ある?』とか
『簡潔に話さないと相手の時間を奪ってしまう』だから、余計なことは話さぬ"べき"だ
という考えが、自分の話したい気持ちを締め付けていた。
でも、私はわたしに自分勝手に自分のことを話してくれる人のことが嫌いじゃない。
むしろ好きだ。
じゃあもっと話せば良い。
思ったことをとりあえず口に出せば良い。
辛い時は頼れば良い。
相手は受け入れてくれるだろう。
あたりまえのことなのに、30年以上できなかったわたし。
そろそろ、人に寄りかかる方法も知る"べき"なのかもしれない。