【エッセイ】一つに集中しなければという思い込み
一球入魂、選択と集中、二頭を追うものは一頭も得ず、、、
本当にそうだろうか?
私は、たとえ他にやりたいことがあっても、
目の前のことに集中しなければならないという謎の呪縛に囚われて生きてきた。
仕事をしている時は、仕事に集中。
趣味やその他のことに時間は使わず、家に帰っても残りの仕事をやっていたり、
ご飯を作る時もずーっと仕事のことを考えている。
休日はもちろん仕事をしない時間もあったが、
なぜか罪悪感のようなものがあり、理由のない焦りのようなものを感じていた。
予定がない日は、読書でもして仕事に役立つ知識を得る"べき"だ。
でも、当時ハマっていたデスパレートな妻たちをHuluで観たい。
流行の洋服を買いに行きたい。
小さな興味の芽が出ていたアクセサリー作りやセルフネイルは見て見ぬふりをしていた。
しぶしぶビジネス書を手に取り開いてみるが、目が文字の上をすべってしまい、うまく読め進められない。
結局数ページだけ読んでその日がおわる。
やってみたかったことにも挑戦できなかった。
あーあ、、なんだったんだろう、この1日。
そんな日々をなんと8年間も続けてしまっていた。
今になればわかる。
これは、私のやり方ではなかった。
鬱になり、仕事も休み、子供も保育園という時間が増えた。
1年間は、仕事のことは絶対にやらないと決めていた。
わたしは当時、小さな芽が出ていた趣味達に手を出してみることにした。
やりたくなくなったことは無理して続けず、次々に気になることに手を出した。
基本はアクセサリー作り、飽きてきたらネイル、落ち込みがひどくて発散したいときはアート。
すこし体調が良い日はランニングをしたり、プールに行っている。
今まで一つのことに集中していた時は、そのことに身が入らない時は、廃人になってしまったが、
自分の飽き性を受け入れた途端、毎日なにかしらのアクションを起こし、充実させることができるようになってきたのだ。
昔の上司がこんなことを言っていた。
『鳥は鳥以外にはなれない。鳥は飛べ。』
正直、当時は
まだ若いのに自分で自分のやり方を固定してしまうなんて馬鹿らしい
なんて鼻で笑ってしまっていた。
でも、いまなら少しわかる気がする。
わたしの中の本質は変えられない。
わたしは私を受け入れて、私自身と仲良く付き合いながら生きていくしかない。
そのほうが全てがうまくいく。
これからは私の中のわたしを無視しない。
ごめんね、今までの"わたし"
これからも、よろしくやっていこうじゃないか。