【どんなときも自分が決められる】#64
受け取らぬ
選択肢さへ
あげたれば
純なるおもひに
迷ふことなき
こんにちは。
今日も、このブログを開いてくださって、ありがとうございます。
前回の更新にも、また、初めましての方が、「スキ」を
押してくださいました。本当にありがとうございます。
今日は、最近のモヤモヤの原因がわかった
というお話をさせていただければと思っています。
皆さんは、誰かに、何かをしてあげたい
と思ったことはありますか?
特に、小さいお子さんをお持ちのお父さん、お母さんは、
そういう思いを持つことが多いかもしれませんね。
先日、私の友人が、うんこ哲学を提唱されている、
青木ゆかさんという方の講演会を主催されたんですね。
そして、テーマが「子育て」についてでした。
青木ゆかさんという方は、元々は、英語を教えられている方で、
「ずるいえいご」など、英語に関する本も出版されている方です。
今は、「うんこ哲学」で、話題になっているらしく、
私の周りでも、「救われた」「めっちゃいい」と、
ちょっとしたブームになっています。
その講演会の最後に、参加者の方が質問された答えに、
「あぁ、いいな」と、私の心に残ったことがありました。
それは、
お母さんが、自分の子どもに、やってあげたいことは、
全部やってあげていい。
ただし、それは、自分の純粋な「やってあげたい」
という思いからのものであること。
「子どものため」と思うと逆走する。
「あなたのため」というのは、本当に、
相手のためのようであって、相手を縛るものだなと
思います。
もちろん、ここも素敵なポイントですが、
私が、心に響いたのは、それに続いた言葉でした。
それは何かと言うと、
選ぶのは、お子さん。
NoならNoと言っていい。
【受け取らない選択肢】を与えてあげれば
親がしたいことを、やってあげたいことを
すればいい。
この【受け取らない選択肢】
という言葉でした。
あぁ、どんなときも、自分が選べる
という環境を作ってあげることが大切だな
とその時、思いました。
この言葉を受け取った数日後、
突然、頭の中で、スパークが起きました。
私は、「自分が選べる」という環境でない、
「強制」されることに、モヤモヤ、憤りを
感じるんだな、と気づいたんです。
おそらく、それは、幼い頃、
親の言うことは絶対守る、従う
という環境だったことに影響するんだと思いました。
だから、大人になった今、
自分が選べない環境を作られることに、
めちゃくちゃ、反応するんだと分かりました。
そして、
その、幼い頃、「自分は選べない」というのも、
実は、自分の思い込みだったのかもしれない。
「No」なら「No」を言っても、
親は受け入れてくれたかもしれない。
ということにも、気づきました。
すべては、自分の「自作自演」なのかもしれませんね。
そして、私が、今回、自分の中の気づきから
お伝えしたかったことは、
「どんなときも、自分が決められる」
と思うこと、そして、行動することができる
ということなんです。
そう、信じて、日々を暮らしていけば、
世界は、優しく、開いていくのではないかと思いました。
私のように、「選べない」という思い込みがある方が
いらっしゃったら、それ、一度、疑ってみませんか?
「それ、本当?」と。
今日も、最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。
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