訴状と、又吉直樹と、 謝罪について、

 昨日は水曜。

いつものように、仕事。

 またもや、寝坊してしまって、何時に起きたのか思い出せない。六時だったか、六時半だったか、それくらいだ。今となっては、もう思い出せない。

 きのうの夜に作った、あんかけうどんを、前の晩、お弁当として、タッパーに詰め込んでいたので、安堵。お昼の心配はなかった。

 45分間の昼休み、お昼ご飯を買う時間すら惜しいのだ。なにより、安上がりだ。

 

 

 冷蔵庫で期限切れになりそうだった、タコの頭と、かに風味カマボコ、えのき、挽き肉、キャベツ、タマネギ、人参、ちりめん、と具だくさんの餡で絡めて、味付けはオイスターと、醤油と、塩少々。

 作りたての時は、味見程度しかしなかったけれど、家族はおいしそうに食べてくれていた。

 

 寒い、といって、朝から家族がカップラーメンを食べていた。カップラーメンを朝から食べるなんて、不健康きわまりなくて、悲しい。

 もっと、早くに起きて、味噌汁とかスープとか作ってあげたかったという気持ちと、自由気ままにやって、どういうつもりなの、勝手すぎる、と言う気持ちと、二つ。

 でも、自分でなんでも出来るって成長したということだし、それに、朝からご飯を食べるなんて珍しいから、良かったのかな、と考える。

 子供の言動が、いちいち気になってしまう。

 子離れ、共依存、などと聞くと、わたしは当てはまっているだろうか。毒親なのだろうか、毒母なのだろうか。わたしの背中をみて、絶望を感じてないだろうか、と不安になったりする。

 そんなときは、妙にはりきってしまって、明るいふりをしたり、おおらかな母ちゃんを演じる努力をしたりしているような気がする。

 わたしは、がんばっている。

 いつも、頑張って、それを誰かに認めて欲しいと思っているんだろう。自分の子供であっても、対等に感じている。でも、果たして、母親であるわたしの考えを押しつけて、理想にはめ込もうと、躍起になっているのではないだろうか。家事をぬかりなくやって、生活を循環させ、何役もの立場で動いている。

 それなのに、もっと自信を持っていいはずなのに。 

 たかだか、カップメンを朝から食べようとしているだけで、こんなに気持ちが揺れるのだ。

 良い母親でありたい。ありのままを受け止めて、毅然とした、誠実な母親でありたい。

 家から離れると、そんなことを漠然と考える。  仕事中は、なにも変わらず、気持ちがささいなことで揺れたりするけど、脊髄反射のようなものだった。  締め切りが迫っている、一連の作業が大詰めだったから、眠気のない午前中に、おおかたを終わらせた。

 昼休み、日記を書こうか、眠ろうか、本を読もうか迷って、昼寝、といっても五分くらいをあきらめて、この間職場のゴミ箱の周辺に捨ててあった、新潮45を読むことにした。

 2001年。まだ、もちろんインターネットが社会の台頭となってはおらず、商品の広告などには、『お申し込みはFAXか、お電話で!』と時代を感じさせる。

 ぱらぱらとめくって、野坂昭如の日記が掲載されていたので、読む。

 途中、買春譚がでてきて、ぎょっとするけど、この人は、そういえば、そうだった、と思いだし、うちのトイレにある、又吉直樹の『第二図書係補佐』にでてくる、エピソードを思い出した。  彼が、本屋で野坂昭如の『エロ事師』を探し回る話だ。 

 又吉氏は、いい奴なのだ。火花を読んでいて、思ったのはそれだった。彼は、破綻のない人なんだろうと思う。彼の文章は、まぶしいほど痛みのない文章だと感じる。

 一歳児の膝小僧みたいに、つるんとしている。だから、悔しい。

 そのころの、赤ちゃんは、どこもかしこも、柔らかくて、足の裏も、ふわふわで、無垢の権化なのだ。

 

 又吉氏というと、もうわたしは作家としての彼しか知らない。

 お笑いというものに、自然に笑ってはならないという、厳しい規制を敷いているのだ。つまり、わたしの方がおもしろいのだ。わたしが、お笑いだ!とは思わないけど、わたしの方がおもいしろいやつだ、負けないぞう! と、日々ネタを書いて、稽古して、お笑いの哲学の中に生きる人に、苦笑されるだろうし、もしくは、相手にされない、オマエ『橋にも棒にもかかんない』

『お笑い』。人を笑わせる。困難なことだ。人は、笑いたくないときも有るからだ。

 笑いたくないのに、笑ってしまうと、はずかしかったり、泣きたくなったりするからだ。我慢していると、涙も一筋美しく流れたりするからだ。それは、滑稽というジャンル分けにあてはまるだろうか。

 そして、誰しもが笑ってしまう、ズッコケエピソードで笑うのは、いかにも軟派であり、あさはかさを露呈しているにほかならぬから、そんなときは、ぐいっと、歯のあたりを、食いしばり、歯ぎしり、ぎしり、ぎしり、苦悩が漏れているのを表現する。そんなとき、歯が痛んで、歯医者に予約しなきゃならんなーと思い出すのである。虫歯はないから、歯石をとってもらったり、歯並びの相談をしようと思っているのだ。 

 以上、お笑いに対し、勝手に、自分でやっていることだ。

 要するに、わたしは、あらゆる才能に嫉妬しているのだ。負けず嫌いというやつだ。

 その道、と呼ばれる人たちがつかんだ苦労などに、見向きせず(いや、それをネット記事や書籍でしこたま見た上で)わたしが個人的に感じた刹那の成功シーンに、燃えるような、ヤキモチを抱く。なんやねん。わたし。

 今なんじゃない、メラメラとたぎれ。

 又吉直樹さん。

 活躍はもちろん、テレビなどでされている事も知ってはいたが、彼が、いかにも文系で、そしてよく見なくても顔貌全体に、整合性がとれていて、イケ面、賢さと、アンニュイと、おしゃれ感、誰もが知っている有名さ。
彼の背丈が、二メートルに近い長身とかではなく、きっと、わたしと並べば、少し見上げる位の身長が、いかにも文系だと思っていた彼が、サッカーという陽気なスポーツ(わたしにとってのハードルである、チームプレイ、学校帰りの集団行動、肌の露出、汗くささ、体臭など身体的問題の発露)をなんなくこなし、しかも優秀であったというのも、どこかで見たことがあるし。

 才能は、出会ったとたん、苦しい

 又吉氏とわたしの因縁は、それこそ一方的で、又吉氏がもし、なんらかの森羅万象で、事実を知ったときに、又吉氏は、子供じみた中傷行為に、うなだれ、傷つき、何かの手段を講じて、わたしに(電波!!!???)じゃなくても、法律事務所とかを通して、何か言ってくるかもしれないと思うと、これは言ってはいけないかな? と長年思っていたけど、もし、ご本人に直接会うことがあったとしたら、(現実的に)そのときに、わたしは、又吉直樹さんにすべてを、洗いざらい話して、そして、謝ろうと思っている。ごめんなさい。もうしません。

 小説家になると決めたのは、2014年だった。

 八日目の蝉が、なぜ直木賞をとらなかったの?と憤っている位のレベルで、文壇のことも文学賞の仕組みもわかっていなかったレベルだった。  小説を書き始めて、そのころは、自分の父の故郷の炭坑町を舞台にした、大風呂敷をひろげすぎて、風で飛んでいったような物語をひたすら書いていた。そして完成していない。

 実際に取材にも何度か行った。車を持っていた頃は、幼い子供をつれて。 夕張の石炭の歴史村や、道央の炭坑遺産、美唄の我路という、昔栄えた炭坑住宅のなれの果てなどにインスピレーションを得るべく、通った。

 炭坑遺産の写真集も購入し、とにかく小説を書いていた。

 直木賞か、芥川賞か、わからないけど、わたしは絶対なにかの賞をとる。と思っていた。

 三代記。
父は実母を亡くして、実母の妹に育てられた。厳しい義父との、生活。それにわたしの人生を重ねた壮大な話。

三代記くらいになるだろうから、長いものになるか。
小説現代に送るべく、そのころ受賞した、小島環さんの『小旋風の夢弦』とか、坂上琴さんの『踊り子と将棋さし』の単行本を購入した。

 その頃の、選考委員の、角田光代さんに、わたしの作品が読まれ、「人と人の関係に、確かな温度があった」と言われてみたかった。

そして、 2015年の一月、芥川賞と直木賞が発表になった。

 又吉氏のノミネートはそれこそ、ニュースに取りざたされており、わたしは胸の中がざわつくような感覚になっていた。

 「もう、これ以上、有名に、ならないで」

 それが、わたしの正直な心の声だったのだろう。当時は、切実だっった。 


 すると、受賞は、又吉氏と羽田圭介という、なんと若くして文芸で賞をとったかただった。

 「スクラップアンドビルド」

炭坑の歴史を調べていると、何度もこの言葉に出会った。盗られた! とは思わなかった。

 してやられた!

 世間のみなさんは、勉強家なのだ。わたしなんかより、物知りなのだ。

 とにかく、打ちのめされた。

 わたしは、両氏が写った、新聞の見開きだったかを、自宅の狭い四畳半の和室の、自分がパソコンを置いている、それこそ折りたたみの小さい、ちんけな、テーブルんの前に貼り付けた。

 そして、又吉氏の顔に、画鋲をさした。彼の両目は穿たれた。でも痛くも痒くもないだろな。

 悔しかった。有名で、陰があって、才能があって、サッカーもできて、きっと男前だから、もてるだろう、お金も持っているだろう、それなのに、それを誇示することなく、文筆家のそれ、佇まい、文才、能力、そして、笑い。

 笑いとは、罪だと、「薔薇の名前」に出てくるではないか。

 憧れていた。
彼にじゃなくて、彼の存在を取り囲む物に。ああ、それは、彼にということなのか。どっちだろう。

 悔しい。女である性別に違和感なく過ごしているわたしは、でも、女らしさとかいうのから遠く、自分でも、自分の外観的なことに違和感がある。なぜわたしは、才能もなく、美しくもないのか。こじらせすぎだ。批判しているのか、されたいのかもわからない。収集がつかない。ああ。

 

 又吉氏が、どんな臑をしているか知らない。半ズボンをはいている画像を探せばでてくるだろうか。  氏は、サッカーをしていたから、今ももしかするとフットサルとか、興じているかもしれないけど筋肉、きっと、臑毛はあるかないか、筋肉はあるだろう、わからないけど、ググったら出てくる、又吉氏の臑、むこう臑、ししゃもの腹のごとく、筋肉で膿み、膨らんでいるのだろうか。走るときにグうっと、音がなるくらいの有効な筋肉。 ごめんなさい。わたしは、あなたが、憎くて、うらやましかった。


 きのうの日記を、今朝、八時頃書いている。

朝早くから、見たこともない番号から電話がかかってくる。

 NTTファイナンスを名乗る。未払いの請求があり、29万だと言われる。

 電話で、100分ほど話す。名著を語る時間と同じくらい。

短編映画を一本見られるくらいの時間、Kと言う男としゃべった。

 わたしは、どうやら訴えられるらしい。 


 今日は有給をとったので、有意義にすごそうと思っていた。でも、朝からの電話でロス。

 訴状? K? って、ロマンティックだなと思う。

 調べたら、詐欺らしい。海外から電話が来ていたため、通話中電波が悪いということも当てはまった。

そもそも、企業で午前八時代に連絡してくるって、おかしいやろ。Kと名乗る男は、わたしの話にときどき、苛ついているのがわかった。

 こんな時、頼れる人がいたらいいなと思う。


 


 



 

 

 


  

 

 

 


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