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「戦争と自殺の反比例」
今は日曜日の19:30🌃
夜勤の弁当は美味かった。。
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左下☞唐揚げにマヨネーズ
右☞野沢菜(ちりめん)のご飯
弁当は美味かった。
仕事は捗らなかった。
さあどうしようこの気持ち。
実は当時は後追いも考えた。
仕事なんて、どうでもいい
家族なんて、どうでもいい
結婚なんて願望はない
ただ自分中心にしか頭にないこの世界で、日常をやってきた。
誰かに話しても軽くとらわれるのが嫌でね。
最近になり友人から「ウツパン」という漫画を教えてもらいました。
普通に笑えるし
買い物は行けるし
仕事も行けてるが作業が捗らない事はある
気に入っている女性もいます
食欲もあるし
でも、事細かに考えると
これって表面上だよね。
うつまではいかないけど、、、、
危ない状態だと思ってます。
なので今夜はゆっくり書きたいと思い吐き出します。
追記を致します。
すごい考察、、。
でもね、この動画を観ていくうちに
三島由紀夫さんの言葉が頭の中に浮かびました
①「戦争と自殺の反比例」
②「三島由紀夫さんの言葉」
どちらも見終わり感じた個人的な考えですが、あーなるほどだからなんだなあと。
だって好きな人が綺麗になっていく過程を見て自分は生きたいと思うし幸せになれるでしょ
またその人の為に犠牲になる事をイメージして考えてみたらさ、やっぱ自分の為に死ぬんじゃなくて相手のために犠牲になれるならそれもまた幸せな事なのかなって思いました。
すごいわこれ。
自分の中で一番、自問自答したくなる永遠のテーマかもしれん。
きっと自分の為に死んだら後悔するかもな。
もちろんね世界には尊厳死というものもあるので、人生をどうするかは一人一人の選択の自由である。(個人の権利)
分かった事は世の中が便利になってしまった事と、今と昔のシステムや人の生活を比較して理解した結果、今の時代は「寒冷」でバラバラで協調性を失い、人間そのものが希薄になってしまったという事か。(大まかに考えて)
そんな事とか色々な事を考えたら、今の現代人は何の為に生きているのか分からなくなるのも当然かもしれない。
人に頼ったって全然良いんだよな。
三島さんのコメントにもあったけど
その人の生き様は死に際に分かるって事が言いたいのかな。(死は生と同じ)
死を語るだけじゃない何かがあるんだろうな。
今まで何をしてきたか。
意識と行動。
彼の生きる意味や価値観はそうだったのか。
時代が今と違うから理解出来ないかもしれない
それぞれ価値観が異なるでしょう
だからますます理解出来ない人も多いかもしれません。
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なるほどと思いました。
自分に希望というものが存在してくれるから
人は初めて生きたいと思うんだ。
—-最近「死」と向き合っている自分がいる——
これが如何に大切な事なのか、、という事
まだ気持ちは中途半端だけど。
メンバーには入ってません。
自分で好きに自由に取り入れて吸収していきたいからです。
現状では心が弱っても、何があっても俺は神に盲信せずに自分を信じています。
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「人間というのは希望を持つ生物である。希望が強くなると、それは願いに変わる。
願いが強くなると、それは行為となる。行為の究極は祈りとなる。」
というのです。
山尾さんは
「死という不可避の事態を前にして、それを超えたいと希望し、願い、行為してきた私としては、
最後にたどりついた場がその祈りであった」
死という不可避、、、
しかし、考えてみた。
その祈りが危ない祈りに変わってしまえば、、、どうなるかという先見力というか、それを今弱っているけれど俺の心の中にちゃんと持ち合わせておりまして。
やはり発言と行動により「数分後の未来」が変わっていきますね
未来って遠い未知なる事と考えがちだけど
「数秒、数分後が未来」なんですね
そして、、、、
「数秒、数分前が過去」である
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時計といえばダリですね(時計繋がりで書きたいですw)
この人の「アンチアート」は大人になってから理解出来るようになりました。
彼が書いた絵の意味と彼の置かれた立場と俺の置かれた立場とは全く異なる時空?時間が流れているからまた面白い。
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柔らかい時計が好きw
1枚の絵には色々な形をした時計があるので色々な価値観がうかがえるが
ダリには複数の価値観が存在していたんだろうなと思います。
実は俺にも複数の価値観があるんだよね。
1つだけじゃないのだ。
価値観もだけど色々な視点から物を見たいという願いですね。
死生観も、天文学的スケールだと思っていて世の中の人達の死生観を知りたくて、部屋の中で沢山の方の話を拝読させていただきました。
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物事の規模が大きいさま
天文学的な
大規模な
スケールの大きい
遠大な
気が遠くなる
桁違いな
莫大な
終わりの見えない
星の最後ってこんな綺麗なのに
宇宙って怖さも感じられる。
ちなみに、、、
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🤣🤣🤣🤣
地球には意思があるというのは、星にも終わりがあるから当然かも?!しれません。
人間界の常識では無いとされてますが。
しかし人間は高度な生き物ではない。
他の生き物より確かに頭を使えるがゆえに非常に危険で愚かなのよ。
火の鳥の「望郷編」はそれを真っ向から教えてくれました。
控えめに生きたいですね。
映画にもなりましたね。
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やはり繰り返されます
観音さま話の続き
観音菩薩(かんのん ぼさつ)とは
観音菩薩は、観音というお名前の菩薩ということです。
観音とは「音を観る」とあります。
仏教では「見聞一致(けんもんいっち)」という言葉がありますように「見る」のと「聞く」のは同じだと教えられています。
ですから、「音を観る」と「音を聞く」とは同じです。
音とは、人々の苦しみの声のことで、人々の苦しみの声を聞いて、救いを与えて下さる菩薩なので観音菩薩といわれます。
「音を観る」
改めて深い言葉だと思いました。
コメントでも話しましたが、色々な観音さまがいます。
中でも正座してる観音さまは初めて見た時は衝撃的でした。
↑芦ヶ久保大観音
大和座りと誠意の正座🧎🧎♀️
仏像を見ると癒されるの何故だろう。
言って良いのか分からないけど、、
両端の2体かわいいというかw
『「大和座り」をやると、不思議と下丹田に力が集まってきて、下腹がぐっとまとまってくる強さがハッキリ分かります。』と書かれている。
「正座のルーツ」
には、正座は相手の臨戦態勢を挫くものという趣旨の事が書かれている。
『徳川三代将軍家光は、家臣と対面する時にいつも「この者達が、いつ自分に斬りかかってくるか分からない。」という恐怖心を抱いていたそうです。そして、これを避けるために考えたのが「正座」という方法でした。
「家臣を正座させて長く座らせれば、足が痺れて直ぐには立てないであろう。」
と考えたのです。』と、、。
坐法というものを見ると仏像の立場が分かりますよね。
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正座に近く
正式には「大和座り」という。
両足を揃えて座るが
やや前傾姿勢で腰を浮かせている。
三千院及び願成寺の観音
勢至菩薩がこの座り方である。
膝をつくような感じですね。
やってみましたが、下丹田あたりが熱くなるというか引き締まるのも分かります。
やはり東洋医学と仏教って実は繋がってんじゃないかなと思う時がある。
いや、繋がりがあるんだ絶対。
彼女が出来たら仏像めぐり付き合ってくれる女性が良いなあww
強要はせんけどw
観音さまは男性?女性?どっちなのか
菩薩は「今にも悟れそうなほど修行を積んで仏に近づいている人」を言います。菩薩に一番身近な存在が観音様です。
観音様は男性でも女性でもありません。
悟った姿を表しており、人を超えた存在であるためそういう概念があてはまらないのです。
では、なぜ女性のように見えるのでしょう。それは母親のような慈悲を表すためです。人はみな、女である母親から生まれ、抱かれ、育てられます。母親のような愛情に満ちた様子が表現されているのです。
確かに女性に見えますね。
細身で、どこか中性的。
そこに魅力があるんだなあ。
意図的ではなくとも多様性を示しておりますね。
安心する人は男女関係なくそういった人に人が集まってくるのも納得。
もはや、今の世の男らしさ、女らしさなんて小さい考えだと思えます。
色々な形を仏教を通して分かってきました。
そして菩薩は「今にも悟れそうなほど修行を積んで仏に近づいている人」を言うとあるので、まあ身近ですね(*´ω`*)
人間的に発展途上だからこそ、魅力があるのですね。
ちなみに観音さまは小さくなったり大きくなったり出来るらしい。
猫と仏教(仏像)
何でこんなに猫ってやばいの?
仏教に猫は必要かも知れないな。
ほな、終わります。
気持ち吐き出してしまいました。
ラストは仏教と猫🐈で終わります
オマケ
恋愛はだいたいが好きな人への気持ちは自己の主観から始まります(執着)
以前から書いてますけど、相手の気持ちを考えられるような恋愛になると良いですよね。
人は失敗して学べるんだし何回でも恋をして繰り返されます。
どんな環境でも残念ながら恋はします。
俺は出会いに感謝を感じられますしラッキーだと思ってます。
ですから一度でも好きになった人の悪口は言うものではない。
振り向かないとか上手くいかないからと自分の気持ちを優先的に考え、それを「可哀想な自分」と悲劇にして相手を巻き込んではならん。
昔相談されたその友達に、そんな悪口を聞かされて呆れて縁切りました。
あと、もう一つシェアします
これをみて、過去のある出来事を思い出しました。
冬だったんだけど朝、自転車で出勤していた時に空気がとても澄んでいて遠くに見える山がすごい綺麗だったんよ。
自転車を止めてコーヒー買って綺麗だと思いながら、ゆっくりしてから会社行きました。
しかし、俺と同じ経路で出勤してきた人に話したら「全く見てなかった」って話をしてて。
あぁ、周りを見れる心の余裕が無くなっちゃってんだなと思いました。
今の時代のヤバさを目の当たりにした事は何度もあります。
しかし、俺の話した「山が綺麗だった」事はその人達にとってはどうでも良い事なんだろうね。
冬だから雪化粧が綺麗だったよ。
夜勤明けの帰りも山は見えますし、いつもいる猫ちゃんに挨拶したりね。
ゆっくり帰るんだよ(*´ω`*)
長年、綺麗?な人工物ばかり見てしまっていると自分の中で知らぬうちに見失ってしまうモノが多くあるのだと思います。
感じられる心が段々と鈍くなっちゃいます。
だから俺は東京や色々な所の繁華街は好きにはなれんし嫌いなんです。
欲を満たしたい人間じゃないような人達がいて日常に余裕が無い人々で溢れかえってます。
そういう人ばかりではないけどねw
住むのは一生無理ですね。
今住んでる地域が1番好きですね。
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俺は原点を考えた
祈ります🙏🙏🙏🙏🌱🌱
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