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この子本当はしゃべれるんだけどね…

こんにちは😊!

今回は
「この子本当はしゃべれるんだけどね…」
というテーマでお届けします!

今回のテーマは、私がこれまで発達障害の人が通う生活介護や放課後デイ
などで何度か聞いたことのある言葉です

もう少し付け加えると
「この子本当はしゃべれるんだけどね~、しゃべろうとしないんだよね」
と言った感じでしょうか      


聞いた言葉そのままに「この子」
と書ましたが「この子」は必ずしも子どもばかりではなく
年齢的には高校生だったり大人だったりすることもあります😑


イメージしにくいかもしれないので
私のある経験についてお話します!

「ほんとはしゃべれるんだけどね…」
とよく言われている子がいました
この子の言語発達の遅れは顕著です

コミュニケーションの状況としては
発語はほとんどなく、言われたことについてうなづいたり喜ぶなどの
反応をみせる感じなので
私自身は、職員さんが言っているような
いわゆる「しゃべれている」様子をみたことはありませんでした   

                                        

普段の生活状況や言語評価でもその子をみてはいましたが
やはり「しゃべれる」ような状態にはありませんでした


では、なぜこのような『しゃべれる』ということに対する
職員さんと私との間での解釈の違いが出てきたのでしょうか?
(以下超大事です❕)


最初に確認しなくてはいけないことはその子がしゃべったという
状況についてです

私が当時聞いたことを思い出してみます

・スーパーを買い物していた時に遠くからその子に名前を呼ばれた

・みんなでレク活動で盛り上がっている時に「おーい」「やったー」などの
 言葉を発していた

・数字を職員といっしょに数えることができた

・職員が促すと「おはよう」と言えた

などがその根拠となっていたようです


確かにふだん言葉を発しない子が言葉を発すると嬉しくなる気持ちは

よく分かります


しかし、その時の状況について冷静に客観的に考えることは大事です


特に、私はその子が

自ら意識して言葉を言うことができていたか?

自ら意識して声を発していたのか??

こういったことが非常に重要と考えています


意識というのは単に覚醒している(目覚めている、起きている)
といった意味ではありません

また、単に誰かに注意が向いているという意味でもありません

自分で自分が言っていることが分かっている

例えば

”自分が今ここにいること”であったり

”自分が失敗したこと”などが

自分で分かっているという意味を含む意識です


そういう意味では上にあげたどの場面・状況も

”自らの声やことばを意識して発したとは言えない”と考えられました


理由としては

スーパーで職員さんの名前を呼んだのは

普段みない場所で突然その人の姿をみたことで興奮して

反射的に発したと推測されますし


他の場面でも

ある人が「おはよう」と言ったのを聞いて…

ある人が「1,2,3…」と数えたのを聞いて…

他の人が「やったー」など騒いでいる声を聞いて…

などすべて他から(自らではなく)声を出すきっかけがあって

声、あるいは言葉を発しているものです


その子は、言葉の見本があったり、言葉を発するための何らかの刺激

があれば一定の言葉が出せることは確かにありましたが

それは反射的であり、自動的であり、自ら言うべき言葉を意識して言えた

言葉とは異なると考えられました


ただ、職員さんについては

利用者の方への思いが強ければ、しゃべれることを信じたいという肯定的な

思いをもっているかもしれないので、その子が実際の能力以上の能力を

もっていると考えることがあっても不思議はないと思いました


しかし

私はそういった周囲の方々の思いも大切にしながらも

”専門家として現実を見据えた上でしっかりと評価を行って真の問題解決

方法を探求し、可能な限り分かりやすくお伝えすることが言語聴覚士である

私の役割である”

と考えています😊


今回の話はそろそろこの辺にしようかと思います

今回も最後までお読みいただきありがとうございました m( _ _ )m     

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それではまた次回お会いしましょう(*^▽^*)!




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