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精神障害者福祉手帳を取得して

4月に発達障害による適応障害と診断された息子。

高校の普通科を一年で辞めて通信校に転校。
専門学校に進学するも通いきれず退学。
5年ほど、生きづらさを感じている息子。
今の病院で告知されるまでの8か月間、そこに至るまでにたくさんの気づき、痛み、後悔などを味わいました。
それは、夫婦の関係、親子関係、家系の遺伝、どうして今まで気づいてあげられなかったのか、元を辿れば、子供を作るって事に対しての責任感の重さなど。

「これから生きていく上でどういうことが苦手なのか考えていこう。
病院内で働いてる人の中にもそういう人はいるし、得意な分野で優秀な人もいるんだよ。」

主治医の思いやりだったと思う。
本当は、初診時におそらくわかっていたであろうはずで診察の所々にそれを気づかされる事があった。
不安定な時期がある程度落ちついて、ワタシの心の準備が出来て、今日言われたいと思っていた日の告知であった。
一昨日、精神障害福祉手帳三級の通知が届いた。
表向きには、働きたいという理由だったが、交通機関、携帯料金、レジャー施設などの割引、そのくらいの気持ちからの申請だった。

診断も、手帳取得も彼にとって無駄な事にならないように。
前を向いていけるアイテムになれば良いと思う。

深夜、息子が友達と電話してる内容が耳に入ってきた。

「障害手帳を取って目の当たりにしたら、現実を思い知って、何もかも嫌になる。結局、障害はこの先もずっとつきまとうんだよね」

しばらく眠れなかった。 
当事者にとっては、障害受容ってそんな簡単で単純な事じゃない。

発達障害って、なんて残酷な病名なんだろう。


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