2024年3月21日 朝9時頃に奈良県奈良市の駐車場が広い私は、コンビニで左にハンドルを切りながらバックで出ようとすると、前からバックで右フェンダーをおもいっきり当てられた😭
次にMT操作であるワーゲンゴルフを引き続き運転したいと言い出した。私が横につき大阪 南港の車両が少なく道幅もある道を選び、兄の運転補助を行うことになった。私、母はもう運転はむずしいと思い反対でしたが考えは変わらなかった。 母は発注間違いで多量のポテトチップスを一個と1ダースの間違い、牛乳を10本 83歳の母で消化できるわけない…私はこれから、衰えていく母と兄に不安を感じた… 兄は心配は他所に回復し、杖だけで歩けるようになった。しかも、車まで運転できるようになった。ラリ
兄は大阪鉄道病院に転院となった。簡単でいつ治るかわからない病人にベッドに居ずわってもらうと病状が酷い人が入院できないからだ。取り急ぎ、鉄道病院に入院できたがいつまで入院できるかわからない… 私は兄が脳梗塞になったこと母が一人で毎日看病しているために大阪に戻された💢
兄の元嫁さんが離れ東京に行って、すぐに不倫相手の世話になったらしい。相手の出身は元嫁さんと同じ神戸出身で関東に出張していた。何で知っているかと言うとFacebookをわざと更新して兄に恨みを晴らしていたからだ。また、自分に返ってくる。まぁ〜また同じことになるだろうけど。 兄も抑うつ状態になり不眠、飲酒が酷くなりました。 兄は暴言と裁判とで元嫁さんを追い込んだため、自分にその見返りがくることになりました。 市役所に勤めて2年後に阪急電車に乗っているときに右片方
兄が昼夜連続で舗装工事していた。やっと、休みの日に会社の借り上げ社宅に帰ってくると自分のものでない革靴があった… 見知らぬ男と嫁さんが、よろしくしていた。ただでさえ、祖父にこっ酷くされ、メンタルも弱い兄。可愛い嫁さんで自慢し楽しみに帰宅したあとのことかなりのショックを受けノイローゼ、パニック障害に陥った…。
私は父亡き後平成9年の春に地元の建設会社 に就職した。ネクタイの上に作業服を着ると新入りの恒例の土工作業から折り目のついた作業服は1分で土と生コンだらけに…。兄は道路会社に勤めており宮城県から大阪府に勤務地が変わり当時流行ったmsnチャットで知り合ったお色気むんむんの私より1歳年上の女性と知り合いになり…
私が大学4年の12月に父が食道癌で亡くなった。勉強には厳しかったが父が好きだった。今は父にしてもらった遊びを娘にしている。あいも変わらず母と祖母とバトルが始まっている。毎日毎時、言い合う内容は同じ。そこに父の兄弟、それらの嫁さんまで入りぐちゃになってきた。まずは、長女。
祖父が亡くなって、祖母と母は、姑vs嫁の形になった。 それに挟まれる父。 海外出張に国内出張が多い中で、気掛かりだったことは容易にわからる。いつも、母からけし掛け騒ぎ出す。 ◆母の言い分 ❶ お金 ・結婚当時は光明池で一戸建てを購入しようとしたが、祖父母が一緒に住んで欲しいと言ったから1,000万円私が幼稚園で貯めてきたお金で2階増築分を支払った。 ・株券の名義を父から祖父の名義に変えられた。 ・毎月の生活費を入れようとしない。 ・祖母が孫名義で貯蓄したもの
今、思えば本家の方々父方の祖父母の考え方や家を存続させるやり方が正しいことを実母、兄に想い知られた。 お金は人を簡単に変える力があることや家督相続時に争いが世間では当たり前のことはわかっていたが、他人事と信じていた。親の事を嫌う気持ちも理解できなかった。戦国時代は長男を中心に家督相続し弟などは家臣になるか養子、出家が当たり前だった。 私は次男なので、そのつもりだった。妻も私が次男なんで安心して結婚したと思う。何ら柵にとらわれないからだ。どこから話をすれ