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逃した好機。美祢の歴史遺産が日の目を見るのはいつの日か
【金麗社と花燃ゆ】
ちょうどジオパークの話題に活気があり、ジオパーク推進室ができた頃、大河ドラマでは『花燃ゆ』が行われることとなった。吉田松陰先生の妹が主役で萩を中心に山口県が大きく取り上げられる。
好機!!
そこで思ったことを提案してみた。
金麗社を前面に押し出そう!
歴史が注目されるこのタイミング(大河ドラマ放送の前年)で、今はのぼりが立っているに過ぎない金麗社に定点ガイドをつける。観光バスを寄せ、明治維新の始まりはここだ!という印象をしっかりとつける。このままいけば萩に全てを持って行かれて美祢市は何も残らない。有料のガイドとして、ガイドさんに収入が上がれば良いのではないか?観光ガイドもしくはジオガイドでどうにかならないか?と。
おそらく本当は観光がとるべき仕事。しかし、ジオも文化などを含めての認定なので、やれないことはないのではないか?という思いで聞いてみることとした。
観光・・・人がいない、お金がない
ジオ・・・定点ガイドはしない。ジオのブランドを大切に、ある程度長時間のガイドをする。そして金額を高くとる
との回答。観光はこの頃まだ特別会計の赤字を抱えており身動き取れず。そしてどちらにも通せなかったのは、相変わらずの僕の力不足と進め方?
少し引っかかったのはジオの解答。若手ジオガイドの育成をうたっていたが、たくさんお客さんが来るチャンスを活かして定点ガイドで収入を上げることを拒否し、ジオのブランド力を上げるらしいのだが・・・バスツアーは例えば40人でくれば、30分の説明で4000円としても1人100円。しかも、予約が入るのが早いのでガイドの仕事の予定が立てやすい。若手の育成は、収入が伴わないと生業にできないから育たない。確かに文化に偏った内容でジオに完全に適していなかったとしても、大量に来るバスで収入が上がる勢いがあれば若手の育成には大いに役立つ。
この案、そうこうしているうちに花燃ゆの放送が開始。ツアーは萩一辺倒になった。
高杉晋作らが最初に陣を置いた金麗社は今でも観光客はあまり訪れず、のぼりだけが立っている。
金麗社、観光地として発信できる唯一の、そして最後の時期だった(?)だけに悔やまれる。これからも明治維新と言えば萩であり、美祢には明治維新に関する名所はないに等しい扱いである。
※金麗社に向けるということは空港や新幹線から直接萩につながるルート。弊社や秋芳洞にはあまりいい手とはいえない。むしろ打撃につながるので、観光はのんでもいいことはない案ではあった。僕も嬉しい案ではないが、美祢としては必要な案だと思っていた。
そしてこの構想、興味がない人はピンとこないが、美東町出身の美祢市役所美東支所の方に話したところ、凄く興奮されたのを覚えている。観光と言えば秋芳町であり、美東は日陰なイメージだったが合併した今、美祢市は一つの町。変な旧の区分けをする人が多いが、私はそうは思はない。美祢市の観光として理解し、地域の良さを伝えていくことこそが観光業だと考えている。