河童そばの歴史 名物誕生と欲と衰退
【河童そばの歴史】
秋芳洞地域には河童そばという名物料理がある。
河童そばというメニューは平成元年に安富屋が今の店舗をオープンした年、瓦そばを一人前にアレンジして提供を始めた。ネーミングは秋芳洞にかっぱの伝説があることから、河童そばと命名。その頃は、瓦そばといえば、たかせとおたふくくらい?だった時代、まだ瓦そばというネーミングは今のように広まっておらず、地域に合わせた名前とした。
私は家族旅行で川棚によく行った。瓦そばを参考にするため、勉強のために何度か川棚温泉に宿泊した。その結果、河童そばが出来上がり、茶そばを焼いてつけ麺で食べていただく形で個人、団体のお客様に提供を開始した。
その後、かっぱで地域おこしのような風潮があり、各店がそれぞれのかっぱそばを作り始めた(安富は鉄板で始めたが、鉄板のない店もある。名前は受け入れられたらしく、同じ形式ではないが名前は広まった)。
そんな時、商標登録の話が出て、個人で独占しようという者が現れた関係で、かっぱ熱は冷めていった(河童そばで商標登録を取ったからもう他の店はこの名前を使うな!というような内容)。実際はレストランで出す料理の名前に関して商標登録は無意味なのだが、その時はインターネットなどもなく調べようがなかった。わからないのでとにかく冷めたという感じだったと記憶している。
地域が一つのことに統一感を持って(名前だけだが)いた流れは、水を差されなければもっと大きな流れになっていたかもしれないが今も河童そばというネーミングは残っている。
次はどんな流れが来るのか
※平成元年からこのスタイルでやっているが、コロナになってからの2年、この形式で助かった。大きな瓦で用意する場合、みな2〜4人前の一緒盛りでつついて食べるが、感染症が広がる中では敬遠される。
※河童伝説にちなんだグッズも、オリジナルのものを多く作り、修学旅行生などになかなかの人気だ