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ベッドでキミへの愛を表現する(まさかの4時間コース)


1ヶ月ぶりに会ったのは遠方の彼

前回渡せなかったから、とバレンタインのチョコレートが入った赤い小箱を差し出した。


うれしい と
わざわざありがとう、ごめんね
とでも言いたげな気持ちを混ぜ込んだような表情をしながら受け取った彼は

「最近どう?」と話を切り出した。


私たちは互いに趣味に、ライフワークに忙しい

彼は最近彼女が出来たようなのだけど
たったの2週間で別れたという

それはまたなんで?と聞けば
出逢ってから後に、次の段階に参りましょうかと誘ってみたら「付き合うことが前提でないとカラダの関係は結べない」と言い張る女性に困りつつも「じゃあ付き合いましょうか」という返答を彼はしたのだそう←

その後めでたく結ばれたのち
彼女は

休みの日はこのくらい会いたい
何してるの?どうして連絡くれないの?
今までどんな子と付き合ってきたの?
家に行きたい、などその他もろもろと斬りかかってきたそうな。


「わー、そうなんだぁ…きっと若い女の子なんでしょう?」と聴いたら離婚した40代子持ちの女性だということでした。


そんな重厚な歴史背負った女性とベッドに入りたくてたまらなくて付き合うことを承諾した(としか思えない)この男は「男のカス」なのでも「ヤリ〇〇」なのでもない
本当に純粋に阿呆なのである(笑)

そう言うところが可愛いと思っていたけれど
現在も数多くの女の子と戯れる日々を送りながら、なぜ彼女が出来ないのか…その理由がわかる気がする。


そう、モテとはセルフイメージなのだ


自分が納得するくらいにモテているかいないか、は本人が見積もっている自己肯定感に比例する

不思議なことに男も女も自分の価値を低く見積もっているほどに「同じような感覚にある人」と引き合う。


今までの人生における数多の出逢いと
男女の観察による実感として
ハイスペ男子、女子と付き合いたい!と思っていても自分と同じようなセルフイメージを持っている人としか付き合いは成立しないし
成立したとしても早い段階でお互いにやはり合わないと感じてしまうようである。

素敵な人に出逢いたいのなら
自分が素敵な人になることがいちばん早い
ということに尽きる

で、ここでいう素敵な人 とは
容姿や肩書きや年収とかではなく

自分自身を認め愛しているひとということ。


彼は自分の事を認めてはいるけれど
こんな自分のことを結局は誰も理解してくれないだろう
こんな自分なんかモテないだろう
モテない自分は努力するしか道がない

と思っている…信じ込んでいる節がある
残念だなぁと思うけれど、やはり
モテないし、努力もし続けることになっている


私は可愛いし愛おしいのになぁと思うけど。。



そんなこんなで
まるでデートに出かけたカップルかのように私たちふたりは手を繋ぎ笑い合いながら
美味しい鉄板焼きが食べられる名店で夕食をとることにした

お互いの近況に加えて思うこと
仕事のこと、こんな風に生きたい、こんな自分でありたい、なーんて話をした。


人はみんな生きてきた分だけ
傷付いたり、涙したり、忘れたい過去や
恐れている未来像、自分像なんてものがあるけれど

でも大丈夫
きっと大丈夫

根拠のない自信と
根拠のない恐れを同時に併せ持ちながら
私たちは今日も「ひとりの人」として生きる。

人は弱いから
誰かと一緒にご飯を食べて
時に励まし合って
笑い合って勇気をもらい
また自分の人生に漕ぎ出していく


人は強いから
失うことを分かっていても人を愛する
初めて人を愛したかのように心を差し出し
相手に貰うことよりも
与えられることに喜びを感じる



彼と過ごす時間の中で

私はあなたに「愛している」とは言えないけれど
あなたがこの世界に生まれてきたことを喜んでいる人間だよ、と伝えたくなった

今までどんなことがあったか知らなくても
今ここで私はあなたを応援してると伝えたかった

どうしようもなく抱きしめたくて
よく頑張っているねと励ましたかった

もしもそれを言葉で伝えたら
この愛は男女の愛になってしまって
本来の形を変えてしまうのだと思うから。


だからベッドのなかで伝えた


私たちは多分ふたりとも、愛の表現は身体でするより言葉の重みのほうが大きな意味を持つと理解する同志だった。

だから
彼の身体を愛おしむという行為で伝えた
どこまでも終わらない悦びを彼にただプレゼントしてあげたかった

生きている悦びを、温もりを感じ合う喜びを
快楽と忘我の喜びを。


ベッドでの「アペリティフ」食前酒とも言える時間は…
なんと4時間にも及んだ
気が付いたら4時間経っていたにすぎないけれど、くちびるが腫れるほどにキスをしたのも久しぶりだった。

疲れ切って泥のように眠った翌朝でさえも
目が覚めると共にお互いの身体を確かめ合い、求め合ってただの動物になったみたいに本能のまま絡み合った


私たちはただ、今日も生きているんだなぁ

そう思うとすごくすごく楽しかったし
とてもいい時間だったと思う。


言葉にしないメッセージ、私の伝えたい愛がどのくらい彼に届いたのかは分からないけれど
何度も私の名前を呼ぶ彼を見て「ありがとう」と言われた気がして心が温かくなった。

ここに記録を残すのは
誰も知らない私の愛が、誰に知らせる必要もない私の愛がちゃんとこの世に生まれたんだよという証にしたかったから

自分がわかっていればそれで良い
自分が納得していればそれで良い
それでしかない、それ以上でもそれ以外でもないと分かっている。


私の愛は自由だ


誰かのものだけでもなく
誰かに縛られるものでもない

だから約束は出来ないし
守ることが出来るかも分からない
それはいつも私の心が決める

来月もまた会えるかな
どうだろうね
会えたらまた会おうね、それまで元気でね

そんな気持ちでいるし
そのくらいで丁度いいと思っている。


そして愛が生まれる時なんてそのくらい爽やかであったほうが自分にも相手にとっても心地よい
それは相手にとって当て付けがましくないものでありたいと思ったし
だって私はただそれで幸せになれたし楽しかったのだから


別れ際にふとそんなことを思った。

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