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第五十話 失くしたもの
もくじ 3,388 文字
「あいつらと話してて思うんだけど、もうノリが違うんだよな。ちょっとしたことで火がついて、一度盛り上がったら、どこまでも突っ走ってやるぞって感じで……。例えるなら、リミッターなしでハジケてるっていうか」
一旦、言葉を切り、
「あいつらってのは、宇和島たちな。花見の日に、お前も話しただろ」
記憶を探るまでもなく、すぐに思い当たった。松浦が真一たちに引き合わせたグループの面々だ。宇和島や野田は、久寿彦の高校時代の後輩。久寿彦は、学年を跨いだ知り合いも多かったという。益田から聞いた。
「でも、正直言って、俺はもうついていけないよ」
「確かに、昔の勢いはもうないよな……」
口にしたくない言葉が、またこぼれてしまった。この流れでは、どうしたって言わざるを得ない。このまま会話を続けていたら、胸にしまい込んでいたものが、どんどん引きずり出されていってしまいそうで怖い。
「連休前に、あいつらと飲んだんだ。花見の日の二次会みたいな感じで。俺や松浦は、あの日飲めなかっただろ? だから、その埋め合わせに」
「松浦も来たんだ」
「益田と岩見沢も来たよ」
あの日集まったメンバーは、久しぶりに顔を合わせた人間同士が多かった。お互い懐かしさに駆られて、もう一度、飲み会をやろうということになったらしい。
「まだあの日の余韻が残ってて、居酒屋に入ったら、すぐに盛り上がった。俺も周りの連中と一緒に騒いでた。何をしゃべってたかは、もう覚えていない。たぶん、どうでもいいことだと思う。ただ、ある時点で気づいたんだよ、妙に冷めてる自分に。ジョッキを掲げて、形だけは盛り上がってるんだけど、心の中は空っぽだった。自分でも驚いたよ。おかしい、いつもと違うぞって」
真一はギクッとした。久寿彦が言ったことは、まさに真一が岡崎やマサカズとボウリングをしたときに、味わったことと同じだった。驚いた気持ちはよくわかる。真一もあのとき、どうして自分があんなに白けていたのかわからなかった。
「そう思ったのは、その時が初めて?」
「まあ、覚えている限りでは」
きっぱり言い切る言い方ではない。それ以前の日々にも、漠然と思い当たる節があるのかもしれない。ただ、久寿彦はそのことに関心がないらしく、桑の実を立て続けに口に放り込むと、プッ、プッと果梗を吐き出して続けた。
「最初は、気のせいだと思ったよ。たまには、こんな日もあるだろうって。ただ、同じことが重なると、やっぱりな。周りに合わせてはしゃいでいるうち、自分でもいかにも無理してるって思えてきて……。バカバカしいと思うと同時に、ショックだったよ。ああ年貢の納め時だ、いよいよ俺にもヤキが回ってきたって」
宇和島たちとは、連休中にも二回ほど飲んだという。地方に転勤した仲間が帰省して、次はいつ会えるかわからないからという理由で。そのときも昔話で大いに盛り上がったが、久寿彦はやはり、似たような気持ちを感じてしまったそうだ。
「一方で、事実に必死で抗おうとしている自分もいるんだよな。何も変わっていない、俺はまだ終わっていないぞって、拳握って、自分を鼓舞して」
足元の果梗を靴でかき集め、自虐的に笑う。
「まったく、お見苦しい限りだよ。そもそも自分でエンジンかけようってしてること自体、もうダメだって証拠なんだよな。昔はそんなことする必要なかっただろ? 常に気持ちが高揚してて、ささいなきっかけさえあれば、すぐに火がついた。ナチュラル・ハイっていうのかな、そういうのがあった」
真一は、深くうなずいた。本当にその通りだと思った。
「カラ元気なんか出すようになったら、終わりだよ」
ダメ押しするように付け加えた久寿彦は、真一のほうを向いて、早く飲めば、とサイダーを指さした。
時間が経ったサイダーの缶は、たっぷりと汗をかいて、ベンチの座面まで濡らしている。真一は缶を手に取って、警戒しながらプルタブを引く。プシュッ、と気の抜ける音がしたあと、泡は噴き出してこなかった。
だいぶぬるくなったサイダーをすすると、岡崎やマサカズとボウリングをしたときのことを話した。人の話を聞いておきながら、自分の話をしないのは、公平さに欠けると思ったのだ。あまり話したくない内容だったが、ここまで会話が進んでしまったら、今更話題を変えることはできない。
久寿彦は桑の実を食べながら、話に耳を傾けていた。手のひらの実が全部なくなったとき、真一の話も終わって、やっぱりそうだよな、と何度もうなずいていた。
ジッポーのキャップが開く音。煙草を咥えた久寿彦が、センダンの木を見上げる。何かを思い出そうとしているのか、やや険しい横顔。
「例えば、誰かの部屋で夜中まで駄弁ってて、突然、海が見たい、って言い出す奴がいて、ほかの奴も同調して、そのまま深夜の高速に乗っちゃうみたいな……ああいうノリって、もうないと思う」
「やたらと回りくどい例えだな」
理解が追いつかず、真一は苦笑いで答えた。
「でも、高速下りたところでガス欠になっちゃって」
「何だよ。本当にあった話か」
今度は拍子抜けして、サイダーの缶を落っことしそうになってしまった。久寿彦がこちらを向く。
「ああ、三年前のこと。バカみたいな話だろ。真っ暗な田んぼ道を、往復二十キロ以上歩いたんだぜ。まだ携帯なんか持ってる奴はいなくて、公衆電話を探すしかなかったんだ」
「燃料メーターぐらい確認しとけって。メンバーは?」
「野田と、あと二人は、お前の知らない奴。どっちも俺の同級生」
てっきりバイトの仲間かと思ったが、違った。
久寿彦によれば、ガス欠になって車を停めた所から、二キロくらい歩いたところでコンビニが見つかった。田舎道とはいえ、高速のインターがある、交通量の多い道だったのだ。店に入ると、とりあえず缶コーヒーを買った。眠そうな店員に、ガソリンスタンドの場所を尋ねたら、スタンド自体はいくつもあるが、深夜やっているところとなると、十キロくらい先まで行かないとない、という回答だった。店がやっていれば、ガソリンは運んでもらえばいい。単純にそう考えた久寿彦たちは、店の名前を教えてもらって、表の公衆電話に備え付けの電話帳で、番号を調べて電話をかけた。
ところが、十回以上呼び出し音を聞いた末に、ようやく電話に出たスタンドの店員は、木で鼻を括ったような声で言い放った。今、人手が足りないからそっちまで行けない、携行缶を貸すからお客さん自身で給油して欲しい――この手の客が多くて辟易しているのか、交渉する気などさらさらないという意思が、受話器越しにはっきり伝わってきた。久寿彦は愕然として、公衆電話のキャビネットに突っ伏してしまった。ただ、田舎では、深夜営業しているガソリンスタンド自体がない場合も多い。やっている店があるだけマシか、と何とか気持ちを立て直して歩き始めた。長い道のりだった。はじめのうちは、冗談を飛ばす余裕もあったが、途中から会話がなくなり、ひたすら足を動かすだけになってしまった。携行缶を持って、車に帰り着いたときには、すっかり夜が明けていた。
「浜辺で朝日を拝むつもりが、台無しだな」
真一は、からかって笑う。
「でも、そんな目に遭っても、笑い話になっちゃうんだよ、あの頃は」
久寿彦は反発することなく、懐かしそうに目を細めた。
後先考えず、突っ走ってしまう愚かさ。失敗を笑って流すことのできる清々しさ。若い頃には、多かれ少なかれ誰もが持っていたもの――。
十年後も覚えているだろうか。自分たちにも、そんな時代があったこと。
あるいは、そんなことも思い出せなくなってしまうほど、年を取ってしまうのか。
「今は夜通し騒いで、朝帰りしたような気分だよ。何もかも燃え尽きて、冷めた意識だけ残って……」
急にトーンダウンした久寿彦は、煙草の先に溜まった灰に目を落とす。
「ちょうどこの灰みたいに、さ」
今の自分は、真っ白な灰みたいなものだ、と言いたいのだろうか。
見ている間に、棒状の灰は根元から折れ、地面で音もなく砕け散った。
どこかでヤマバトが鳴いている。ホーホーホッホー、ホーホーホッホー……。のどかな鳴き声が、午後の静寂をいっそう深めていく。山地に多いカッコウのことを 「閑古鳥」 というが、平地で閑古鳥に相当する鳥がいるとすれば、ヤマバトだろうと思う。
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