第二十五話 若者の旅に地図はいらない
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「まったく自業自得なんだよ!」
腹立ち紛れに、岡崎が足元の小石を蹴り上げた。玉石だらけの川原を、あちこちぶつかりながら石が転がっていき、最後に大きく跳ね上がって、ほかの石の間に紛れ込んだ。そこを睨みつけ、忌々しげに煙草を口に運ぶ岡崎。
岡崎が煙草に火をつけたのは、バス停があった空き地を出発して以来のこと。あれからすでに一時間以上経っている。
「そうカリカリするなって。お前だって、こうして一服できたんだし」
川下へ棚引いていく煙を目で追いつつ、いきり立つ岡崎を宥める。
真一たちは向かい合って、川原の真ん中に立っている。二人の間を満たす清らかな瀬音。春の渓谷を渡る風は、きりっと冷たい。
「でも、いつになったら出発できるんですかね。あの様子じゃ、当分無理でしょ」
眇めた目の先で、小林が前かがみになったマサカズの背中をさすっている。川原の川下側の先端。大丈夫か、と小林がさっきから何度も声をかけているが、マサカズは曖昧に返事をするだけで、顔を上げられない。
「おぅえええっ」
見ているそばから、またえづき出した。小林がちょうど振り返って、真一たちのほうに来ようとしたところだったが、襟首をつかまれたみたいに取って返した。
チッ、と岡崎が舌を鳴らす。
「ほっときゃいいんですよ、あんな奴。さんざん注意したでしょ、俺たち。言うこと聞かなかったあいつが悪いんですから」
岡崎の怒りはもっともだ。こうなった原因は、ひとえにマサカズ自身にある。
今を遡ること、約一時間半前。マサカズは空き地の向かいの商店で、棒アイスとスナック菓子、それに本日発売の漫画週刊誌を二冊買った。どちらの漫画も毎週発売日を心待ちにしていたマサカズは、車に乗り込むなり一冊を手に取って、むさぼるように読み始めた。道中ずっと静かにしていたのは、漫画に熱中していたからだ。
真一たちは、再三忠告した。そんなもん読んでいたら車酔いになるぞ、と。
だが、マサカズは生返事を返すばかりで、一向に行いを改めようとしない。やがて、遠くに見えていた山並みが近づいてきて、車が山懐に吸い込まれた。
マサカズは、ここで一旦は漫画を閉じた。カーブの多い山道で活字を追うことは難しい。真一たちは、さすがにあきらめたのだろうと思った。
だが、マサカズの旺盛な読書熱は、こんなことくらいでは挫かれなかった。少しして、また表紙を開くと、右へ左へ体が揺さぶられるのも構わず、ページをめくり続けた。ときに真一に寄りかかり、ときに窓ガラスに頭をぶつけて痛そうな音を立てながらも、なお漫画を手放さない。その執念は、もはや称賛に値した。
ここまで来ると、もうマサカズを注意する者はいなかった。「オナニーを覚えた猿と一緒だな」、と岡崎が吐き捨てたのを最後に、真一たちは自分たちの会話に没頭した。
それからしばらく――
「ちょっと……停めて……」
かすれた声が会話に紛れ込んできた。本当に蚊の鳴くような声だったので、最初は空耳かと思った。だが、隣を見ると、マサカズがドアとシートの間にぐったりもたれかかっていた。顔は死人のごとく真っ白、自慢の眉毛もしなびたモヤシのように力を失っていた。
そもそも、知らない道を行ってみよう、と言ったのはマサカズだ。国道をだらだら走っていても面白くない。いずれ出てくる観光名所は、どこも中身が知れたところばかり。入場料を取る所は、なおさら行く気がしない。真一が何げなく道端の看板にあったレジャー施設の名を読み上げたら、マサカズに一笑に付された。そこは、真一以外の三人が子供の頃、遠足やら子供会やらでさんざん連れて行かれた場所だという。
「四人でゴーカートレースでもやりますか。いい年こいて」
マサカズは、真一の意見がさもつまらないといったふうに、大げさに肩をすくめてみせた。
だが、岡崎は、マサカズの突飛なアイデアには乗り気ではなかった。小林の車にナビなどという気の利いたものはついておらず、かといって地図も持ってきていなかった。退屈でも、国道を走っている分には迷う心配はない。天気もいいし、どこかで海でも眺めながらメシが食えれば十分じゃないか――岡崎はそう言った。
真一も同じ意見だった。これから初夏を迎えようという海岸では、菜の花によく似たハマダイコンの花が見頃のはず。雲のように咲き群がる白や紫の小さな花を眺めながら、腹ごなしに海辺の遊歩道を歩いてみるのもいい。
だが、マサカズは真一たちの考えを、つまらない、消極的、となじった上で言い放った。
若者の旅に地図はいらねえ、と。
出たとこ勝負だ、と。