見出し画像

第十八話 弁天橋に舞う花は

もくじ 2,022 文字

 松浦の腕が振り上げられた。歪んだ水のかたまりが欄干を直撃し、重たげな水音とともに大量の水しぶきが砕け散る。今度の攻撃は、さっきまでとは格段に威力が違う。コンクリートの橋面は、一発で水浸しになった。
 仲間たちが逃げたところへ、二発目が飛んでくる。不意を突かれ、とっさに四散するも、短い悲鳴が上がった。やられた、と濡れた服を見下ろす者が数名。松浦は、橋の上の仲間たちを一人残らずずぶ濡れにしてやるつもりらしい。服を濡らした仲間たちが嘆く間もなく、遮二無二しゃにむに腕を動かし始める。凄まじいペースで、水面が削り取られていく。圧倒的な水しぶきの弾幕が生産される。松浦造園のユンボも真っ青の働きぶりだ。
 慌てふためく仲間たち。右へ走った連中と左へ走った連中がぶつかり、もみ合っているところへまた水が飛んでくる。誰もがでたらめに逃げようとするため、かえって混乱が助長される。
 チャンスと見た松浦は、さらにギアを上げた。腕が千切れんばかりの勢いで、猛然と水を掻き上げていく。橋の上は、台風の直撃を食らったような状態だ。横殴りの雨が絶え間なく襲いかかり、後ろに下がったところで、欄干に阻まれて逃げ場がない。相当な運動量にもかかわらず、松浦の顔には余裕の笑みが浮かぶ。凄まじいパワーとスタミナ。池のヌシが松浦に乗り移ったのか。荒ぶる神の猛攻に、橋の上はてんやわんやの大騒ぎだ。
 しばらくして、何人かが納豆状態から抜け出した。
 あっちだ、と誰かのはっきり通る声で、ようやく一つの方向が見出され、人の群れが遊歩道のほうへ流れ出す。
 ほうほうのていで逃げていく幾つもの背中を、松浦は池の中から満足そうに見つめていた。最後の一人が、けつまろびつ橋の外に吐き出されたのを見届けると、悠然と身を翻して島のほうへ泳ぎ出す。
 そのときだった。橋の袂から歩いて来る男がいた。
 風に舞う花びらをまといつつ、不敵な笑みを浮かべている。
 野田はすぐに小走りになり、松浦を追い越したところで、ひらりと赤い欄干に飛び乗った。架木の上に静止した体は、はねを閉じた蝶のよう。
 いったいどうやって、あの水しぶきの弾幕をかわしたのか。松浦に見せつけたシャツには、濡れ跡一つついていなかった。
 泳ぐ手を止めた松浦が怪訝な顔をすると、野田は平らな架木の上を踊るように歩いてみせた。細い線上で踏まれるきわどいステップ。時折、体が欄干から大きくはみ出すが、池に落っこちそうで落ちない。素晴らしいバランス感覚だ。手品を見せられているよう。
 橋の袂に固まっていた仲間たちがどっと沸いた。大歓声に交じって指笛が飛び、ペットボトルが打ち鳴らされる。彗星のごとく現れたこの若武者は、ギャラリーの心を一瞬でとりこにしてしまった。
 だが、松浦は挑発を無視して、また島のほうへ泳ぎ出す。これには、野次が飛ぶ。
「オラオラァ、逃げんのかよ、負けマッチョー。そんなんじゃ、ビッグになれねえぞ!」
 仲間たちがどっと笑う。池畔の石垣の上で、岡崎が両手を口に充てがっていた。
 さすがに頭にきたのか、松浦は泳ぐ手を止めて頭上を振り仰いだ。
 夕日のように赤い弧線上で、挑戦者がこう然と見下ろしている。
 目が合い、来い、と手招きされた。
 表情一つ変わらない。あくまでクールな野田若丸。
 もはや、戦いを回避することは不可能だ。
 松浦は覚悟を決めた。
 野次馬どもの言う通りだ。ビッグな男に、逃げの一手はない!
 ギャラリーの注目を浴びて、睨み合う二匹のサムライ。
 両者の間を、一陣の風が吹き抜けた。
 弁天橋に勝負の花が舞い上がる。

 島側の欄干の端っこに腰掛けた真一は、二人の対戦を見守っている。松浦を引っ張り上げてやろうと島へ向かったら、橋の上が蜂の巣をつついたような騒ぎになり、その後、仲間たちが全員遊歩道側へ避難したので、一人取り残される形になったのだ。今更橋の向こうへ行くことはできず、こうして対戦が終わるのを待っている。
 野田は、すでにコンクリートの橋面に下りている。戦いは今、膠着状態。互いに相手の出方をうかがっているところ。
 先に動いたのは松浦。相手のわずかな隙を突いて、鉢植え皿で水を掻き上げた。
 だが、狙いが外れ、橋面の花びらを洗い流すに留まった。
 すぐさま次の一撃を繰り出そうとする。
 が、これはフェイント。野田が飛び退いたところを見計らって、一拍遅れで腕を振り上げる。
 巨大な水の塊が宙に浮き上がった。当たれば一発でずぶ濡れになるサイズ。着地したばかりの野田の足はすぐには動かない。絶体絶命の大ピンチ。しかし、野田はリンボーダンスのように身をのけ反らせて、これをかわした。胸の上すれすれのところを水の塊が通り過ぎ、反対側の欄干の地覆に当たって砕け散る。
 橋の袂が歓声に沸いた。
 松浦は水面を叩いて悔しがる。勝負を決めにいった一撃だったのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!

鈴木正人
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは、取材費、資料購入費に使わせていただきます!