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第十七話 人身御供

もくじ

 真一たちが説明に納得すると、川崎がTシャツを脱ぎ捨てた。広がる歓声の中、岩見沢がTシャツをキャッチし、ベンチのそばにいた益田に送る。ズボンも脱いで、トランクス一丁になった川崎は、自ら頬を張って気合を入れ、勇ましい足取りで橋へと向かい出した。仲間たちも、ぞろぞろと付き従う。
「行きます!」
 橋の真ん中で、ビッと手を挙げる川崎。堂々と胸を張って、じ気ついた様子はない。大月さんの証言通り、飛び込みは得意なようだ。広場ではいちばん往生際が悪かったが、馬に跨っている間に、覚悟が決まったらしい。
 欄干の前にいた数人が、場所を空ける。
 川崎は、金属製の擬宝珠ぎぼしに手をかけて、軽やかに欄干を登っていく。
 全員が見守る中、平らな架木ほこぎに両足を揃えると、ためらう様子もなく足を踏み切った。空中で伸び上がった体が、ゆったりとした放物線を描く。にわかに落下の角度をきつくして、槍のように池に突き刺さった。見事な飛び込みだ。後に続く人間は、お手本にしたい。
 水面に顔を出した川崎は、盛大な拍手に迎えられた。一瞬驚いた顔をするも、軽く拳を突き上げて応え、島のほうへ泳ぎ出す。島の石垣は遊歩道側より低い。ただ、自力でよじ登ることは困難なので、宇和島が引き上げ役を買って出た。
 二番手は五所川原だ。
 仲間たちに押されて、人垣の間から出てくる。川崎とはちょうど正反対の態度。落ち着かない様子で欄干に取り付き、池を覗き込む。明らかに腰が引けている。広場にいた頃の威勢の良さは見る影もない。
 橋のてっぺんの高さは、それなりにある。ただ、公園の近くに住んでいる人間の話では、橋の下の水深に問題はない。昔、紐を結んだ石を垂らして、深さを測ったことがあるそうだ。先に飛び込んだ川崎も、底に体が当たったとは言っていなかった。
「ビビッてんじゃねえ」
 踏ん切りのつかない背中に、野田が張り手をお見舞いした。パシーン、と音まできれいに決まって、裸の上半身がのけぞる。どっと笑い声が上がり、野田につかみかかろうとした五所川原だったが、何本もの腕に阻まれた。
 欄干の前に押し戻されて、仕切り直し。
 早くしろ、だらしねえぞ、と野次が飛ぶ中、うらめしそうに野田を振り返る。
 しかし、多勢に無勢、どうにもならないと悟って、しぶしぶ欄干をよじ登る。
 架木にしゃがみ、目の前で片手を立て、
「南無三」
と唱えて宙に消えた。なんだそりゃ、と仲間たちの声が追いかける中、だるまみたいに丸まった体が水面を突き破った。お釣りで跳ね上がった水しぶきが、欄干にいくつもの水跡を刻む。広場にいた頃の雄々しさからすれば、拍子抜けするほどしょぼい飛び込みだったが、それでも水面に顔を出したときには、盛大な喝采に迎えられた。きまり悪そうに鼻をつまんだ五所川原は、島へと泳ぎ出す。平行して益田が歩いていった。
 何はともあれ、五所川原は笑いを取った。最低限の役割は果たしたと言えるだろう。
 最後は、いよいよ松浦の番だ。
 胴上げのことは、すでに皆に伝わっている。松浦自身、苦笑いしながら首を振るだけで、抵抗はしない。
 筋骨たくましい体が、仰向けに寝かされた。担架で搬送される病人みたいな格好。
 担ぎ手たちが橋の中央に寄る。橋の幅は十分。勾配も緩やか。ただ、中柱の擬宝珠が危ないということで、宇和島が遊歩道側に下がるよう指示を出した。
 大まかな場所が決まり、各人立ち位置を微調整する。
 ざわめきが静まり、平桁ひらげたに足をかけた宇和島が、オッケー?、と訊く。
 オッケー、とまばらな声が返された。
「そーれっ」
 宇和島が右腕を振り上げると、青空に哀れなお神輿が突き上げられた。
「わっしょい!」
「わっしょい!」
「わっしょい!」
 胴上げは、お練りの最後を締めくくる最大の山場。誰もが会心の顔つきで、宙を泳ぐ人間神輿を見上げていた。
 だが、神輿が担ぎ手たちの腕に落ち着くや、彼らの顔色が一変する。
「落とせ! 落とせ!」
 血気に逸った何人かが叫ぶ。野蛮な笑い声が上がって、橋の上が熱気に沸き返った。
 担ぎ手たちは欄干の前に移動して、宇和島の合図を待つ。
「せーのっ」
「おどりゃあ!」
 力一杯、神輿がぶん投げられた。どの腕にも遠慮がなかった。おわっ、と短い声を発した松浦は、オリンピックの体操選手でも不可能と思われる横回転を繰り返しながら吹っ飛んでいく。大きな放物線を描いて、大の字で着水。ビッターン、と乾いた音が炸裂し、花火のごとき盛大な水しぶきが跳ね上がった。祭のフィナーレにふさわしい特大水上花火だ。滞空時間が長かった分、立ち上がった水しぶきは、ほかの二人より遥かに派手だった。川崎がやらなかったアクロバティックな回転技も見せつけ、鬼の大将は華々しくトリを飾った。
 水面にアメーバ状の模様が広がっていく。数秒後、うぐいす色の模様の中心に顔を出した松浦は、開口一番、いってえ、と叫んで、腹打った腹打った、と連呼する。
 橋の上は大盛り上がりだ。野田がペットボトルを激しく打ち鳴らし、岡崎が吹っ飛ぶ様を身振りで再現すると、笑い声がさらに大きくなる。真一も立っているのがやっとだった。もんどり打っている松浦には悪いが、空中で高速回転する映像が強烈に頭に焼き付いて、笑いを押し止めることができない。架木に手をついて、何とか体を支える。
「今年も豊作でありますように」
 欄干の前で、益田が恭しく手を合わせている。
「地球環境が良くなりますように」
 西脇が、パン、パン、と柏手かしわでを打つ。
 ほかの仲間たちも続いた。ウケ狙いの願い事が次々唱えられ、その度に笑いが上がる。宇宙人に出会えますように、親父の水虫が治りますように、アイドルの誰某と結婚できますように、云々。岡崎は忘れずに、松浦のバカが落ちますように、と唱えていた。
 勝手に拝まれる松浦は面白くない。未開野蛮な村人たちを睨みつけ、すー、と腕を後ろに引いた。
「やべっ」
 危険を察知した仲間たちが、さっと二手に分かれる。そこへ水しぶきが飛んで来て、欄干とコンクリートの橋面をまだらに染めた。
 仲間たちはすぐに戻って来た。欄干から身を乗り出して、口々に悪態をつき始める。
「そのまま池に沈んじまえ!」
「錦鯉に食われちまえ!」
 鈴なりに連なった首の中には、川崎と五所川原の顔もある。二人ともトランクス一丁だが、この熱狂で、寒さは気にならないようだ。
「こんな若い男が生贄なら、池の女神様も喜ぶかもよーっ」
 高萩さんが声を張り上げた。隣で大月さんが、ないない、と片手をひらつかせているが――。
「いや……」
 岩見沢が神妙な面持ちで、水面の一点を指さした。
「お迎えが来ている」
 松浦の後方十五メートルくらいの所。
 子供の頭くらいの大きさの亀が、よちよち手足を掻き回しながら泳いでいる。
 確かに、松浦のほうに向かっている。
「それに乗って、あの世に行っちまえ!」
 宇和島の声に、どっと笑いが上がった。橋の上の仲間たちは、みんな苦しそうだ。顔を真っ赤にしたり、腰をくの字に折り曲げたり、息苦しさをごまかそうと、ペットボトルでひたすら欄干を叩いている者もいる。
 怪訝そうに橋を見上げる松浦。
 いったい、何がそんなにおかしいのか?
 考えてもわからず、仲間たちの視線を辿って振り返る。
 すると、その目にも小亀が映った。
「乗れるかァ!」
 水面を叩いて、猛然と振り返る。激怒した顔は、水に浮かんだスイカが爆発したみたいだった。一瞬ですり替わった表情に、仲間たちの笑いも爆発する。やられた。一本取られた。つまらない飲み会で、思いがけず最高の顔芸を見せつけられたようだ。不意打ちだった分、衝撃も大きい。真一は、肺の空気がほとんど失われても、腹筋の震えが止まらない。隣では、岡崎がよだれを垂らさんばかりに大きく口を開け、岩見沢も苦しそうに腹を抱えている。涙目に、二人が滲んで見えた。
 だが、沸き返る橋の上をよそに、松浦がふと何かに気づいた顔をした。
 腕を掻き出して、真一たちの足元へ泳いでくる。
 橋の下に姿が消えた。
 数秒後、再び背中が見えたと思ったら、右手に白い円盤型の物体が握られていた。
 樹脂製の鉢植え皿だった。枯れ草などと一緒に、橋脚に引っかかっていたのだろう。
 だが、皆が得物の正体に気づいたとき、すでにその手は水中に突っ込まれていた。

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