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第十二話 桜革命

もくじ 3,205 文字

「革命ーっ!」
 耳をつんざく絶叫とともに、四枚のカードがシートに叩きつけられた。
 真一たちの上空を、ふわりと柔らかい風が吹き抜け、絵柄の揃ったカードの上に、薄紅色の花びらを点々と散らしていく。
 捨てられたのはジャック四枚。
 引っ込められた手を目で追うと、益田の会心の笑顔と出くわした。してやったり、と顔に書いてある。右隣では、「大富豪」 西脇がムンクの叫びのごとく頭を抱え、左隣では、頭上に紙コップを放り上げた岩見沢が、バンザイのポーズを取っている。
 ぽとり、とシートに紙コップが落ちた。
「うおっしゃああーっ!」
 両腕を振り下ろして、渾身のガッツポーズを決める岩見沢。
 この瞬間をどんなに待ちわびたことか。長く抑圧された時代は終わり、今、世に光がもたらされたのだ。
 西脇が力なくカードを手放した。ダイヤとクローバーの2がへなへなとシートに落ちる。本来最強のカードも、今や紙くず同然だ。
「メ、メシアだ……」
 岩見沢が益田にすり寄り、奇跡を目撃したかのような顔で手を取った。
「お前はメシアだーっ」
 四月の青空に、歓喜の叫び声が吸い込まれいく。これで寺に祈祷を頼む必要もなくなった。
「まあ、飲め。二人で新時代の幕開けを祝おう」
 シートに落ちていた紙コップを拾い上げると、ぬるくなったビールを注いで、益田に握らせようとする。
「お、おい。これからバイトなんだよ」
 困惑する益田。岩見沢は、お構いなしに肩を組む。
「革命バンザーイ。救世主益田バンザーイ」
 岩見沢が盛り上がる一方で、益田は紙コップを押し返そうと必死だ。
 ――おいおい、それじゃあマサオと一緒だ。
 思わず苦笑した真一だったが、
 マサオ。
 はたと気づいた。
 そういや、マサオと松浦たちはどうしているだろう。トランプに夢中になって、すっかり頭から抜け落ちていた。
 振り返って、四人の様子を確かめようとする――

!?
 首が回り切らないうちに、両手で口を覆う美汐の横顔が目に入った。手前の岡崎も、後ろを向いたまま固まっている。指先から立ち昇る煙草の煙が、そこだけ命を与えられたように揺らめいて、一風変わっただまし絵を見ているようだ。
「何だあれ、大丈夫か」
 隣のグループの面々も、一様に同じ方向を見つめている。
 視線の集まるところに、仰向けに倒れている奴がいた。四肢をかぎ形に折り曲げ、死んだゴキブリみたいに動かない。マサオだ。
 いったい何があったのか。事の経緯がまったくわからない。今しがた、鈍い音を聞いた気もするが……。
 岡崎に尋ねようとしたら、
「あいつらに投げ飛ばされたんだよ」
 隣のグループの稲城いなぎという男が、野田に話していた。今日、初めて見た顔だ。岩見沢から聞いて名前は知っているが、まだ言葉は交わしていない。
 あいつら……?
 ブルーシートの片隅に目を移す。
 松浦と五所川原が、何事もなかったかのように会話している。そばで横たわっている川崎は……昼寝でもしているのだろうか。こちらに背を向けて、表情はわからない。
 奇妙な光景だ。和やかな場の雰囲気にそぐわず、あたり一面、ひどい散らかりよう。オードブルの食べ物、引きちぎられた紙皿、中身をぶちまけた紙コップ、果ては、将棋の駒までそこら中に散乱し、足の踏み場もない。将棋盤は……と思って探したら、遥か彼方の芝生に、板の片割れが突き刺さっていた。
「どうしたんだ、あれ」
 益田が、真一たちのグループを代表して訊いた。マサオたちから目を離していたのは、真一だけではない。ほかの仲間たちもトランプに夢中で、四人のことを気にしなくなっていた。隣のグループも、事情はだいたい同じ。誰もがマサオの大声に慣れ切ってしまい、ちょっとやそっとの騒ぎでは振り向かなくなっていたのだ。
 全員の視線を受け止めた稲城が、小さくうなずく。
 稲城によれば、マサオは松浦と五所川原に両脇を固められた状態で投げ飛ばされた。酔っぱらっているため、うまく受け身が取れず、中途半端に体をひねったままシートに叩きつけられた。危険な倒れ方だったが、松浦と五所川原がマサオを気遣うことはなかった。のみならず、五所川原は、当初、横向きに倒れていたマサオの尻を思い切り蹴り上げ、松浦に至っては、笑いながら何発も蹴っていたという。二人が悪ノリしていたのは明らかだった。あっという間の出来事で、稲城が止めに入る間もなかった。
 稲城の証言で、シートの空気が微妙に変わった。松浦たちが迷惑を被っていたのは事実だ。だが、一方で、彼らもマサオをからかって面白がっていた節はなかったか。川崎はともかく、五所川原と松浦は。
 川崎がむくりと起き上がる。嫌な風向きを感じて、おちおち寝ていられないと思ったのだろう。ひっくり返っているマサオのそばへ駆け寄ると、しゃがんで顔の横のシートをバシリと叩いた。
「起きろ、てめえ!」
 川崎は納得がいかない。痛い目に遭わされたのは、マサオだけではない。川崎だって頭突きの直撃をもらったのだ。不意打ちで、息が詰まりそうになった。今もあばらのあたりがずきずき痛む。
 マサオには、散々嫌な思いをさせられてきた。乱暴に肩を揺さぶられ、首に抱きつかれ、酒臭い息を吐きかけられ、大声でどやしつけられ……思い返すだけで腹が立つ。
 マサオは、目をつぶったまま動かない。本当に動けないのか、たぬき寝入りを決め込んでいるだけなのか……。いずれにせよ、酒とツキアイを強要してきたコミュハラ男は、ここへ来て木石のごとく押し黙ってしまった。
「ゴキブリ野郎、見え透いた演技してんじゃねえ!」
 さっきまで仏頂面を保っていた男は、今やお不動様のごとく怒りを露わにしている。
 川崎の頭の中には、マサオが死にかけたセミのごとく、突如復活して襲いかかってくるんじゃないかという懸念もあったが、そんなそぶりはまったく見られなかった。
 しびれを切らした川崎は、マサオの体に馬乗りになった。胸ぐらをつかんで前後に揺さぶると、マサオの口がパカパカと開いたり閉じたりを繰り返す。
 だが、これはやりすぎだった。見かねた宇和島が立ち上がる。
「やめろよ、まだどこか痛いのかもしれないだろ」
 背後から川崎の肩をつかむ。
 振り返った川崎は、思いのほか真剣なまなざしと出会って、マサオのスウェットから手を離した。
 このままマサオに跨っているのはまずい。みんなの印象が、ますます悪くなるだけだ。
 と、頭ではわかる。
 だが、気持ちのほうは、簡単に割り切れなかった。
 自分たちは、わけあって飲めないのだ。自分と五所川原は、みんなの送迎を頼まれている。松浦にもバイトがある。どちらも真っ当すぎるほど真っ当な理由だ。にもかかわらず、マサオはしつこく酒を強要してきた。先にちょっかいを出してきたのもマサオだ。どう考えても、悪いのはマサオではないか――。
 そこまで達すると、胸の中で熱いものが弾けた。
「大げさなんだよ」
 立ち上がり際、マサオの顎を拳で小突いた。ガチ、と歯と歯がぶつかり合う音が響いて、仰向けの体が突然スイッチが入ったみたいに跳ね上がる。横に転がったマサオは、両手で顎を押さえて、エビのように丸くなる。
「あー、ひでえ。今の見た?」
 野田が稲城の肩に手を置いて目を丸くしている。稲城の顔つきは険しい。けっこう大きな音がしたから、マサオの痛がり方は演技ではないだろう。
 五所川原が慌てて立ち上がる。今の一撃で、場の空気がマサオ側に傾いてしまった。ふて腐れて突っ立っている川崎に、よけいなことしやがって、という一瞥をくれ、小走りでマサオのそばに駆け寄る。
「おい、大丈夫だろ」
 しゃがんでマサオの肩に手を置いたが、マサオは目をつぶったまま、それを払いのける。五所川原がもう一度肩に手を置くも、ごろんと反対側を向いて拒絶する。ごろん、ごろん……。同様のやり取りがコントのように繰り返された。

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鈴木正人
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