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両親をガンで亡くして考えた事、決めたこと
今日のコラムのタイトルは若い方にとっては少し重く感じるでしょうか…。だとしたら申し訳ありません。
しかし自分の両親が亡くなってから随分時間が経ち、自分もそろそろ死を意識する年齢になってくると結構お気軽にこうした話しが出来る様になるものなんです。
まあそれはさておき、本題に入りましょう。
まず私の母は大腸ガンで亡くなりました。最初に体調の変化を口にしだしたのは70歳に手が届くかどうかどうかといった頃で、その頃はまだ元気に畑仕事もこなし旅行にも行っておりました。
ただ時々私に対して痔の出血が気になる様な事をポロリとこぼす様になりました。
当時私の両親は夫婦二人暮らしでしたので、私が母から直接話しを聞けるのは盆と正月に帰省した時だけ。半年に一回程度帰省する度に「痔の出血」の話しをするようになったので私も何となく気にはなっていたのですが、当時まさか大腸ガンだとは考えもしませんでした。
母も自分はてっきり「痔」だと思い込んでいましたので羞恥心の問題もあり、中々医者に行く決心が付かず、ようやく決心して医者に診せたときには大腸ガン末期で余命1年以内との診断でした。
結果的に母は74歳で亡くなることになります。
一方父ですが、母が亡くなってからはずっと独り暮らしをしておりました。
私は三人兄姉の末っ子なのですが、その中で実家に最も近くに住んでいた私でも実家までは車で3時間。もちろん中々足が向きませんし、田舎の事ですから近所づきあいもあり元気にしておりましたのでほったらかしておりました。
しかし独り暮らしを始めてから丸8年が経過した年の正月に体調不良を訴えるようになり、仕方なく私が一人同居することを決めて身の回りの世話をしました。当時父82歳です。
同居した私は、とりあえず体調不良の原因を調べなくてはなりませんから医者嫌いの父を説得して大きな病院で検査を受けさせました。
結果は膵臓癌。この時は余命宣告の様な事はありませんでした。
さて、ここで母の闘病について話さなければなりません。
母は最初から余命宣告を受けた末期ガンの状態でしたが大腸ガンの場合腸閉塞を起こす可能性もあるため即手術となりました。幸いこの時は人工肛門を付ける必要もなく術後時間はかかりましたが、日常の生活を取り戻して行きました。
何とか毎日自分なりの日常を送りながら最終的には自宅で死にたいというのが母の希望でした。
しかし父が家事を全く出来ない人だったこともあり病状が進むにつれ日々の生活が難しくなって行きました。
結局最後は自ら入院を希望し病院のベッドで薬漬けになりながらほとんど意思の疎通が取れない状況が続いた中で亡くなりました。
つまり母の場合、現代医学が勧めるガンの治療を全て受け入れた上で壮絶にガンと闘って亡くなったわけです。手術も再度行い最後は人工肛門でした。
この時の経験がありましたので、父は医者からガンの宣告をされたときすぐに積極的な治療を断ってしまいました。
私も一緒に医者の話を聞いていたのですが、父と同じ意見でしたのでそれを伝えました。
医者の方もガンの場所が膵臓であったのと父の年齢を考慮して意志に同意してくれました。
そんなわけで父と私の二人暮らしはそれから二年近く続いたのですが、その後も父は私の作る料理をそれなりに食べ、一度も入院することなく亡くなる前の晩にも好きなお酒を飲んであの世に旅立っていきました。
図らずも私の両親は同じガンという病を得ながら、全く対照的な方法で病と向き合ったことになります。
この経験は私にガンという病や死に対するハッキリとした考え方を与えてくれました。
ひとつは、医者のいいなりになってはいけないこと。つまり自分の体の事は最終的に必ず自分で決断して決めなければならない事。
いくら名医と呼ばれる医師が勧める治療であっても自分の心が納得しなければ受けてはいけないという事です。
これは二度目の手術で人工肛門になった母の後悔やその後の壮絶な闘病生活から学んだことです。
そしてもう一つは、どんな病であれそれが死に向かう病であれば受け入れて闘わないこと。
たとえ進行性のガンであっても静かに受け入れ残された日々を淡々と過ごすことが、よりよい死を迎えるためには必要だと思えるようになりました。
これは普通なら半年程度で亡くなる膵臓癌を抱えながら二年近くも飄々と生きた父から学んだことです。
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私は母が亡くなった翌年に、健康診断で便に血が混じっていると言われ大腸の内視鏡検査を受けたことがあります。
結果は特大のポリープが見つかって、検査を受けたクリニックの医師からは8割方悪性だと思いますと言われました。
ポリープが大きすぎたため(3センチ以上ありました)内視鏡で除去することも出来ず、後日別の大病院で取ってもらったのですが、結果は前がん状態との事で現状では悪性のものではないとう診断でした。
一度は自分もガンかと覚悟しましたが、事なきを得たわけです。
そんな事があってから既に十数年が経ちました。昨年の秋にふと気になって久しぶりに大腸の内視鏡検査を受けましたが大きな問題は見つかりませんでした。
結局人の死というものは原因が病であれ事故であれ、自分でコントロール出来ないものです。コントロール出来るのは刹那の生き方だけ。
だとしたら生かされて在る我が命。天命が尽きるまでは積極的に生き切る事が万人に課せられた使命であると思います。
追記:
こちらにアップしている記事は全て「食べごろclub」に掲載しているコラムの転載なのですが、この記事のみ食べごろclubの色と少しずれるのでこちらだけに載せました。
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