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閑話休題「核家族時代の死生観」

現在の日本と、それ以前の唯物論に支配される前の日本とでは、一般の人々が持つ死生観は全く別物になりました。

一番大きな違いは、目に見えない世界に対しての考え方だと思うのですが、かつての日本人は「生まれ変わり」や「あの世の存在」を当たり前に信じていました。

しかし現代人は「死んだら終わり」で何もないと思っている方も相当数いるのだと思います。亡くなった大橋巨泉さんなどもそんな風にテレビで発言されていました。

そうした社会の下地が有る中で、世の中はどんどん核家族化が進み、子供達が巣立った後に残された夫婦が老老介護に突入していくのが当たり前になったのが現在です。

こんな記事を書いている私も田舎の三世帯同居の実家を離れ、都会に出て核家族世帯となった人なのですが、結婚した当初は自分の両親と妻を同居させるなんて考えもしませんでしたし、逆に自分が義実家で同居する事も選択肢にはありませんでした。

つまり「家を守り次世代に繋ぐ」といった価値観が大きく崩れた結果として核家族化があったのではと思います。

ところで私は先日ある勉強会に参加させていただいたのですが、そこで学んだのは自分が死を間近に迎えた時の事を想定して色々と物心両面の準備をしましょうといった内容の勉強会でした。

参加者には大学の教授もいましたしお医者さんが多く参加されていましたが、そろそろ具体的に「その時」の準備を進めたい世代の、一般の方も多く参加されていました。

特に終末期医療について、延命治療をどうするかといった議題を多く議論したのですが、その時に感じたのが、今回の記事のタイトルにもしました「核家族時代の死生観」です。

死んだら何も無くなってお終いと思っている人にとっては、1分1秒でも長くこの世に留まりたいと思うでしょうし、死ぬことは怖いことだろうと思います。

一方かつての日本人がそうだった様に、死んだら一旦あの世に行って、頃合いを見計らってまたこの世に戻ってくるという輪廻転生的な価値観を持っている人にとって死というものは通過儀礼でしかありません。

どちらが死を目前に控えたその時に心安らぐ考え方かと問われれば、私は迷わずあの世の存在を認める方の価値観に軍配を揚げます。

最後の最後に延命治療をどうするかといった場合に、こうした死生観が判断に大きく関わってくるのではないでしょうか。

この勉強会の時に講師役を務めて下さった医師の方は、「1ヶ月間は延命治療を懸命に行って欲しい。それでダメなら治療を直ちに中止してほしい。」という考えだとおっしゃっていたのですが、お医者さんらしい考え方だなと思います。

私は一度呼吸や心臓が止まったなら、無理にもう一度動かそうとせずにそのまま死なせてほしいと思っています。

その事をいざという時にどうやって周りの人に伝えられるか。

元気な今のうちにしっかりと準備をしておきたいと思っています。

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中嶋洋二郎
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