おふくろの味と我が家の味
最近は「おふくろの味」といった言葉をあまり聞かなくなりました。
もしかしたらすでに死語なのかもしれませんね。
女性が働くことが当たり前となり専業主婦が少なくなった世の中では仕方ないのかもしれません。
そういった傾向に拍車を掛けるのが核家族化でしょうか。家の中に年寄りがいるのといないのとでは食卓に並ぶ料理にも随分違いが出るように思います。
「食育」といった事が言われるようになったのも、核家族の家庭の中でそういった食事中の躾が中々出来ない中で生まれてきた考え方かもしれません。
子供の頃に「子供が好きそうな食べ物」ばかり食べて育った人は、大人になってもその嗜好が続く傾向があって、日本の伝統的な料理なり食材なりを受け付けない人が多い気がします。あくまで主観ですが。
ところで、皆さんのご家庭には代々受け継がれてきた「我が家伝統の味」的な料理はありますでしょうか。
私は山奥の寒村育ちですので、いわゆる田舎料理ばかりを食べて育ったのですが、そういった事はあまり意識せずに歳を取りました。
ところが父を介護していた40歳代後半の頃にある経験をしてからとても意識するようになりました。その経験をちょっとお話ししたいと思います。
父を介護するようになった時期は、母が亡くなってからすでに8年以上経過していた頃でした。
母はガンで亡くなり、しかも最後の1年ほどは家事をすることも難しくなっていましたから、都合10年近く母の手料理は口にしていない計算になります。
私は男ですが調理師で料理が作れますから、母がガンになって以降は見舞いの為に帰省しても私が料理を作って振る舞うことが多かったので、もしかしたら12年くらいは母の手料理を食べていなかったかもしれません。
それだけ間があくと、さすがに母の味なんて忘れていると思っていました。
ところがです。
ある時、実家の近くに住んでいた叔母から連絡がありシソの実を炊いたから取りに来いと言います。父を介護しながら実家で暮らしていた頃の話しです。
私の田舎ではシソはまるで雑草の様にそこら辺に沢山生えているのが普通で、実が付く季節にはその実を収穫して醤油で炊き、常備菜とするのが一般的でした。
そんな「シソの実の炊いたん」は私も子供の頃から大好きでしたので早速車を走らせてもらいに行きました。
それでその日の夕食にいただいたのですが、一口食べて驚いてしまいました。
そのシソの実は、まるで母が生き返って作ったのかと思うほどに、懐かしい母の味でした。
もう忘れてしまったと思っていた母の味が一気に口の中に蘇ると同時に、
何とも懐かしい温かい感情が沸いてきて少しジーンとしてしまいました。
その時です。はじめて母から子供に伝わる味がある事に思い至ったのは。
母と叔母の味つけが同じと言うことは、当然その料理を二人とも同じ人に教わったはずです。つまり私の祖母から教わったに違いありません。
あぁ、これが伝統の味というやつかとも思いましたし、一方で私(私の家庭)は子供達にこんな味を残せただろうかとも思いました。
それ以来、私も何度か自分でシソの実を炊いてみたのですが、どうしても同じ味になりません。
作り方を聞こうにも、母はとっくに亡くなりましたし叔母に聞けば良かったのですが、当時は介護に気を取られてそこまで気が回りませんでした。
今ではほとんどの家庭が核家族です。益々こうした伝統の味は受け継がれにくい状況が社会の中にあります。
介護を巡る色々な問題も含めて「核家族」由来の問題は多いと感じます。
そろそろ我々は真剣にこの事を考える時期に来ているのかもしれませんし、人生を豊かにしてくれる懐かしい母の味は、子供達が受け継ぐ以外にない事も意識するべきだと思います。
(元記事は食べごろclub)