鬼滅の刃の「ネーミング」仮説
『鬼滅の刃』は老若男女問わず大流行したメディアミックスであることは誰の目にも明らかです。情報化して人々の趣向が細分化した(と言われている)現代においてここまでヒットしたというのは、それだけ鬼滅に人々を惹きつける力があったということなんでしょう。
ただ、ひとつ言わせてもらいたい。
個人的に全っ然『鬼滅の良さ』が分からない。
僕がまず初めて鬼滅に触れたのがアニメ第1期だったのですが、正直言って歯を食いしばって見てしました。期待のしすぎだったのかと言えばそうではなく、むしろ悪印象が強い状態で視聴していましたが、作画がすごいのはその通りですし、音楽もいいと思いました。しかしそれ以外の大体はほとんど響くこともなく、「頑張って完走した」のは間違いなく当時実感としてありました。
だからこそ僕は当時以来、『何故鬼滅があそこまで流行ったのか』にすごく興味を持ったのです。
色々自分なりに考察したりもしましたが、しばらくは自分の中で有力な説が出てくる事はありませんでした。なので僕にとっては『鬼滅が流行った』こと自体が割とミステリアスだなと思う部分もややあったんです。
そんな中、尊敬する富野由悠季氏のインタビューが載ったムック本?(か何かだった気がする)を読んでいた時に、御大が推測していた説がありました。
それが、
『「竈門炭治郎」「竈門禰󠄀豆子」「我妻善逸」
「嘴平伊之助」のネーミング』
であるというものです。
あまりに大胆な仮説だなと思い、興味津々で読み進めてみました。
御大曰く、『かまどの炭を売って暮らしている少年に「竈門炭治郎」とネーミングする、というように、使われる文字ひとつひとつがその人物/キャラクター性を指すものであること、つまり「ネーミングの持つ力」がむしろ人気を生んだ原因ではないかと思う』
とのこと。※丸々抜粋したわけでなく内容を思い出して書いてますので悪しからず。
この時の衝撃はなかなかのものでしたよ。『ネーミングの力』なんて考えもしませんでしたし、何故そこに因果関係があるのかも理解できませんでした。ただ、良い意味ですごくひっかかる言葉だなと。
御大はその例として「シャア・アズナブル」を挙げています。
『シャアは敵だから「シャーッ」って出てくるでしょ』という安彦良和氏の暴論から生まれたネーミングだったシャアですが、シャアはガンダムのヒットを通して多くのファンから高い人気を誇るキャラクターとなり、今ではアムロを差し置いてcm出演までしています。
この現象からシャアというキャラの人気は「ネーミングの力」であると御大はひとつの推論を持ったようです。実は安直すぎる/人物を端的に表現するネーミングにこそ、視聴者の心理に働く何かがあるのかも知れないし、しかもそれは決して侮れないほどの力を持ちうる。
そう考えると『ネーミングの力』はとても呪術的だなとも思います。(呪術廻戦の方ではなく本来の意味の“呪術”)
そうした呪術的な面が視聴者の心理に、実は多大な影響力を持つかもしれない。そのことを脳裏にふとさまざまな作品を思い返してみると、確かに言わんとする事は分かるんです。
良い例が『仮面ライダー』です。
「仮面」+「ライダー」の造語ですが、これがまたなんともケレン味のあるものです。しかも本当に(悪い意味ではなく)そのまんまのネーミングです。具体的な単語2つで、その“存在”を示せてしまっています。仮面ライダーシリーズが今にまで続くポテンシャルを持ったのも、実はここに由来するのかもしれない。
『ネーミングの力』は鬼滅を例にすると、意味のある言葉を繋げてオリジナルなもの(しかもそのキャラクターを表す)を創作するところにあるのではないか。そこで平成仮面ライダーを見てみると、『555(ファイズ)』『電王』『OOO(オーズ)』など、意味を持つ造語(キャラクター性を端的に表すもの)が主題となっている作品はどれも高い人気があります。
そして個人的に、「555」と「OOO」に関してはあまり高く評価できる作品だと感じていないのですが、世間的には十分人気作扱いです。この感覚は鬼滅のものと近いなと思っていますが、もしかしたらこれらが評価されている所以も「ネーミング」だったのかもなと、今にして思うのです。
もう一つの例も紹介します。
ジャンプで連載されていた人気ギャグ漫画「斉木楠雄のΨ難(さいなん)」。僕もかなりハマっていた作品で、それなりの知名度がある人気作だと思います。この作品のキャラクターのネーミングも先述の話に沿うものです。
主人公は生まれながらの超能力者であり、サイキックからとって「斉木楠雄(さいき・くすお)」、霊能力者のスケベ野郎、“取り憑かれた”から取った「鳥束零太(とりつか・れいた)」などなど。
まあ本作に関してはコメディ的な狙いがあるネーミングなのだと思いますが、アニメは一期二期・再始動編とかなり展開されていますし、やはりパワーを持つ作品であることは例に漏れません。
こういった「ネーミング」によって実は目に見えない魔力(というと大袈裟ですが)が我々読者/視聴者に働いているのだとすれば、実に面白いことです。鬼滅に関してはしかもスタンダード“的”な部分が多く、ある程度の普遍性を持ち合わせていたこともヒットの要因だったのかもしれません。
いずれにせよ、僕自身もこの仮説を完全に確信するのにはまだまだ時間が掛かるだろうと思っているので、様々な作品に触れていきたいと思うばかりです。本当だったらとても面白いことですね。