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10歳と25歳の僕へ伝えたい未来の自分からのメッセージ「その漠然とした不安は、輝く未来への一歩」

10歳の自分へ

自分がみんなと違うことは感じているけれど、何が違うのかわからない。それに対する漠然とした不安もあると思うけど、安心して。18歳になったら、それが何だったのか理解できるようになるから。

記憶にあるのは、10歳のとき女の子を好きになったこと。自分の性別は女の子なのに、女の子を好きになるのは変だと感じていた。周りの女の子たちは、足が速いとかスポーツが得意な男の子を好きだと言っていたから、余計に「自分はおかしいのかも」と思っていたんだ。誰にも相談できないまま18歳まで過ごして、ずっと悩みを抱えてきた。でも、インターネットが普及して「性同一性障害」という言葉を知ったとき、頭に衝撃が走ったんだ。「自分はおかしくなかった」んだって。同じ悩みを持つ人がいることを知り、すごく安心した。そして、憧れていた男性の姿に近づくこともできた。今では、見た目も完全にひげを生やした男性だし、もともと女性だったことなんて誰も気づかない。

これが10歳の自分が想像していなかった未来

そして、25歳の自分へ

25歳の自分にも伝えたいことがある。今は将来に対する不安があるかもしれないけど、大丈夫。お前の未来は明るい。すべての経験が未来への大事な一歩なんだ。

25歳の僕はオーストラリアのカブルチャーにいた。日本で何か目指しているわけでもなく、ただ英語を話すのが好きという理由でワーキングホリデーに来ていたんだ。仕事がなかなか見つからず焦っていたけど、友達の紹介でストロベリーファームで働くことができた。だけど、1か月ほど働いた頃、ふと疑問が湧いてきた。「自分はなぜオーストラリアにいるんだろう?英語が話せるようになっても、特に英語を使った仕事に就きたいわけじゃないし…。これに意味があるのかな?」と。まだ英語が流暢に話せるわけでもないのに、あれこれと「〜だったら」という考え方で不安になっていた。

今思えば、心配事の9割は実際には起きないし、不安に思う時間はとてつもなく無駄だったなと思う。日本に帰ろうかとも思ったけど、一緒に住んでいた日本人の友人が、色々なことにチャレンジしている姿を見て、「もしかしたら自分もやってみればできるかも」と考え方が変わった。自信がないせいで、やりたいことがあっても最初から諦めていた自分に気づいたんだ。日本に帰れば海外で挑戦しなくてすむ言い訳ができるから、色々と悩んでいたことに気づいた。

その後、シーズン終了でストロベリーファームを辞めることになり、みんなが新しい場所へと移っていった。僕は日本で介護士をしていたこともあって、オーストラリアと日本の介護の違いに興味があった。けれども、英語力や学費の心配が先に立ち、なかなか行動に移せなかった。でも、友人が何度も「絶対できる」と背中を押してくれて、介護の学校を探すことにした。

エージェントからは条件に合う学校が見つからないと言われたけど、たまたま知り合った台湾人の友人に地元の小さな介護学校を紹介してもらい、入学を決意。授業は語学力の面で正直厳しかったけれど、友人の支えもあって卒業することができた。それがきっかけで、「できないかもしれない」と思わなくなり、むしろ「やってみたらきっとできるだろう」と考えられるようになったんだ。

現在の自分と未来

今、僕は介護士として働きながら、中古物件を購入して自分でリフォームし、それを貸し出して収入を得ている。今では3軒目の家を購入したところだ。明確な10年後の目標もあるし、そのために必要なことを考えて日々行動している。生活習慣も大きく変わった。夜10時には寝て、朝6時に起きる。週5日はジムに通い、日記や読書をして、目標に向かって努力する毎日だ。タバコもやめたし、ジャンクフードやテレビもやめた。付き合う友人も慎重に選ぶようになり、生まれて初めて彼女もできた。

これこそ、10歳と25歳の僕が想像していなかった未来。そして、9年後、40歳になった僕がどんな世界を見ているのか楽しみでしょうがない

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