家族旅行の地 珠洲のいま
1家族旅行で毎年・・・。
毎年この時期になると、息子の誕生日に合わせて、石川県珠洲市を訪れているわが家。
しかし、ご承知の通り、今年1月の地震のため、珠洲を含めた奥能登地域は壊滅的な打撃を受けた。あれから10か月、我々にもまだまだ、復旧にまでいたっていない状況が伝えられている。また、日々入ってくる情報の数も減少の一途をたどり、毎年、お世話になった珠洲の皆さんは実際はどんな状況か、想像ができないでいる。
2報道とのギャップ・・・厳しい被災の実態
今年も旅行の季節がきたということもあり、毎回宿泊している民宿のおかみさんに連絡をとってみた。宿泊サイトでは予約を停止しているため、その状況を考えると電話をかけるのも時期尚早かと思っていたが、いつもと変わらない元気ではつらつな声が返ってきて、ほっとした。
ただ、現状を聞いてみると、想像以上の被害の現状が今なお続いていることに絶句した。
幸いなことに、町の中心部である飯田地区の海岸近くにある民宿は、床下浸水にはなったものの、奇跡的に建物が倒壊することなく残ったそうだ。しかも、安全が確保され、現在も生活できる状態だという。しかし、まわりの商店や住宅などは、ほぼ全壊か、倒壊の危険性がある家ばかりだという。
電気は2月、水道は4月の半ばには復旧し、最低限の生活が確保でき、5月から営業を再開できたという。
しかし、問題は、食料の入手が困難なこと。魚市場は壊滅的な打撃をうけ、魚の入手が無理。さらにスーパーやコンビニも営業を再開したものの、時短営業でかつ、休業日もあるのだという。みんな、被災者で、自分たちの生活の立て直しも必要なのだからだ。
そのため、宿泊営業は再開したものの、食事の提供はできず、素泊まり。現在は、復旧工事関係者が宿泊していて、観光客の受け入れは止めているという。奇跡的に残ったほかの宿泊施設も同様な状況で、「北陸応援割」などという観光の受け入れは非現実的で、奥能登にはないと切実な状況を語ってくれた。
珠洲市から発信されるニュースも、ごくわずかになった。復興イベントなどの明るいニュースが伝えられるほか、珠洲市のライブカメラの映像も、珠洲市役所屋上のカメラということもあり、町いちばんの整備された町内が映し出されるため、被害のひどさはそれほどでもないと受け止めてられてしまうところがあると、おかみさんが話してくれ、現実と報道とのギャップになんとも言えない気持ちになった。
3おかみさんの苦悩
おかみさんは元々、元気でおしゃべりがとっても大好きな人。声の様子は変わっていないようで安心したが、心のうちにある様々な思いのたけを語ってくれ、ものすごくご苦労されていることがうかがえた。
一つは、宿泊営業をやるべきかどうか。
大量の魚がお皿いっぱいに敷き詰められた刺し盛りは、民宿の自慢の料理で、わが家も含め宿泊客にとって最大の魅力である。そうした魚が提供できない状況だということ。しかも、地震による地形の変化のせいかわからないが、この時期手に入るアオリイカやサザエ、アワビなどが獲れない事態になっているそうだ。今後、インフラ整備が整ったとしても、そうした奥能登の魅力であり、基幹産業である漁業のうけた被害が甚大で、これまでのような魚料理がどこまで提供できるかがわからないという不安もある。
ただ、これまでの常連客からたびたび連絡がきて、「みなさんの声を聴けただけでもうれしい。私たちはなんとか、そういった声にこたえられるよう、がんばって元のような営業を続けていきたい」と話してくれた。
そして、もう一つは、珠洲でこのまま住み続けていくべきか。
被災後は、買い出しや洗濯を金沢市内に住む娘さんを頼り、定期的に宿泊し、買い出しや洗濯をしたして、半年近く乗り切っていたというが、そのたびに、金沢に引っ越しをしたらどうかと声をかけてくれたという。うれしい娘の言葉である。
ただ、住み慣れた珠洲の地を離れたくないという思いは強く、「娘の言葉はうれしいが、今はなんとかふんばって珠洲でこれからも暮らしていけるようにしたい」と話してくれた。
おかみさんは一時は心の不安に耐えられない日々を送っていた時期もあったといい、精神的な負担がいかにかかっているかを感じ取れた。
4珠洲のこれからを思い描く
おかみさん曰く、「珠洲はいま、復興段階でなく、まだ復旧段階」であるという。
金沢との行き来はできるものの、能登半島の道路は壊滅的な打撃を受け、外から人を呼べるような状態にはなっていない。テレビで報じられる状況はほんの一部で実態はもっと深刻だというのである。
さらには、「町の姿がどうなるのかわからない。もしかしたら、解体工事が済んだら、町の中心部だったこの地域が、わが家一軒しか残らない状況になるかもしれない。これからの街づくりがどうなるのかが早く見えてきてほしい」とも語ってくれた。
自分たちの住む町には愛着があり、心の拠りどころであるゆえの複雑な心情を語った発言に思えた。
5継続的な生活者の情報を
能登の生活者の今を伝える情報は、東日本のそれと比べると極端に少ないように私は思う。うれしい情報を伝えるか、被災の現実を伝えるか、住民感情を考えると果たしてどういったニュース報道をすべきか、迷うところだ。先日、金沢のテレビ局員と会う機会があった際も、県内向けの報道において伝えることの難しさを訴えていた。
ただ、発信がなければ、地震のことを忘れ去られてしまうことにつながりかねない。生活者の目線にたった、被災地の今の情報は全国に向けても継続して伝えていくべきではないかと思う。ニュースの少なさも考えられるが、あまりにも被災地の内と外で認識のギャップに大きな差が出ていると感じざるを得ない。
日本で生活する限り、地震とは切っても切れない関係である。それゆえに、被災後の現地の状況も丁寧に伝えていく責務はマスコミ側にはあるのではないかとあらためて思った。
おかみさんには声で伝えるしか応援することができなかったが、復興を果たしたら、ぜひまた、家族で珠洲を訪れ、お腹いっぱい能登の魚を堪能してみたい。しばらくしたら、また、おかみさんの声を聴き、珠洲とのつながりを続けるために電話をかけてみたいと思う。
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