私に話す機会は与えられない。
久しぶりに複数人(6人)で飲む機会があった。
最近は会話を大事にしていて、飲み会の席では3人が限界だと自分の中で決めていた。
あくまで私の話、大人数だと酔っ払って何を話したか分からない、覚えていない、特に内容なんて無い、そんな勿体無い経験が大半を占めていた。
中には初見の人もいて、どんな人のどんな考えに出会えるか少しワクワクして参加した。
結論から言うと、他人の思考に触れられてすごく楽しかったけれど、良くも悪くも上手く話せなかった。
側から見れば、ただ黙っていて話をしない人になっていた。
ただ、私からしてみれば必死に相手の話を聞いてるけど、会話に参加する前に話題が次に行ってしまう。
頭の中では、聞いた内容を必死に自分と壁打ちしているけれど、口に出す前にタイミングを逃している。結果、黙っている人・・・。
ただ、一言(もしかしたら二言、三言)言いたい。
あなたは、話しながら自分の本質に気づけているの?
求めるものは本来別のところでは?
手段が目的になっているのでは?
そうは言っているけれど、本当に言いたいことって別なところかもよ?
それって〇〇だ。
絶対〇〇したほうがいい。もしくはしないほうがいい。
とか言うけれど・・・。
どうにか枠(〇〇な人、〇〇な性格)にはめ込んでスッキリした気分になろうとしていないかな?
決めつけるには、もう少し深掘りしないとダメじゃない?
あえて枠にはめるなら、私はこの角度から言っていますよーって前提を加えないと伝わらないんじゃない?もしくは勘違いされやしないか?
書いていて気づいたけれど、多分もう少し前提をクリアにしたり、深く聞いてみたいなと思ったところで次の展開になる。私のターンは回ってこない。
そんなリズムだったと思う。
誰が悪いわけでもなく、そんな飲み会だったと言うだけの話
ただ、会話を通じて話を整理したり組み立てたり、人の思考に触れるには少し解像度が低い結果となった(これは仕方ないと思う)ので、今の自分が求める宴の楽しみ方だと少人数の方がいいのかなと感じた。
今回の飲み会で悩める年下のあの人は、自分の本質的な部分を捉えることができたのだろうか。対話によって思考がクリアになっていたら幸いだ。
今日もいい1日