【コラム】貧乏と貧困は違う
胸を張れる貧乏はある
ぼくの少年期(…まあ、言ってしまえば現代に至るまで)は、決して裕福ではなかったと断言できる。
確かに明日のごはんに困ることは滅多に無かったけど(あったんかい)、着ていける服もあったし、少ないけどお小遣いも貰った。
ただ、新しいゲーム機が家に来るのが他の家の1~2年は遅いという感じだったので、友達の家で遊ばせて貰ったり、ひとりでいる時は本やプラモデルで遊んでいる子供だった。きっとその頃から、作ることは好きだったんだろうね。
こういう状況が楽しいのか?と言われると、そりゃあ楽しい訳がない。
アパートの隣に住んでいた友達のお父さんは、一生懸命お金を貯めてハイエースを転がして最後は一軒家に引っ越していったのに、うちはセダンからライトバンになって最後は後部扉のない軽になっちゃったし、
両親は今でもそのアパートに住んでいる。(ちなみにvivioを批判している訳じゃないよ)
でも、誰も頑張ってない人は居なかったし、家族で小さく寄り添って眠るのも悪くは無かったし、今思えばよくお袋は芋だけで丸3日食事のレパートリー作ったなとも思う。
よくある大なり小なりのサクセスストーリーを語れる人は、こういうバックボーンをちゃんと愛しく感じられている人だと思う。
貧乏を拗らすと貧困になる
それを踏まえると、うちの家族はいつからか『貧困』になってしまったのだと思う。
お金に追われて、嘘をついて。狭い家族に嘘をつき始めたら、すぐにいびつになるのは目に見えているだろう。
あとは、うちの家族はお金リテラシーが物凄く低い家庭だったように思う。
『贅沢は敵だ』
『質素倹約こそ正義』
『儲けたければとにかく汗を流せ』
どれもこれも正しいと思うし、子供への教育としては間違っていないと思う。
だけども一方で、リボ払いが回らなくなって信用ブラックになったり、身内にお金を借りて返さないようになったり、つまり絶対的に必要になってくる、いわゆる『財テク』の初歩すらもサボって来てしまったから、お金のキャパを超えて、只の貧乏ではいられなくなってしまったのだ。
仮に24時間働き通したって稼げるお金は決まっているのだから、『貧乏』で済んでいる間に、もっとうちの家族は『お金』と向かい合うべきだったように思う。
上記の様な事があったので、僕は一切クレジットカードを作らせて貰えなかった(クレジットに興味を持つ前に家族の為に借りたキャッシングを焦がしてしまったから、どちらにせよ作れないんだけど)
貧困という言葉を辞書で調べると、『大切なものが欠けている状態』とある。
貧困にならないために
結論としては、貧困にならない為には、『貧乏でもちゃんとお金と向き合う』と言うことだ。
僕の個人的なところでは、そういう色々な事があって今ではだいぶ刹那的な日々をおくるようになってしまったし、正直お金を見直す事は苦手だ。むしろお金は家族や自分を狂わせた悪いものだと思っているところもある。
でも、だからこそお金をしっかりと見つめるべきなんだと思う。
やっぱり貧困は嫌だな。生活の貧乏と心の貧乏には、天と地ほどの開きがある。
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