「昔取った杵柄」をふたたび〜合気道を20年ぶりに始めた話〜
はじめに
noteの更新は約2年ぶりです。
元々はフリーランスとして独立したての頃、いろいろ模索をしている段階での想いなどを書いていたのですが、いざチャレンジが実り始めると書く暇もなく、だいぶ時間が経ってしまいました。
結果としてチャレンジしたことはちゃんと形になり、その経験や私自身について、「話を聞きたい」と言ってくださる方もありがたいことにいらっしゃるので、そろそろ仕事の話を整理して書きたいと思っています。
この夏はそのための思考を整理しているところなのですが、久しぶりに筆を取る本日は、上記の意向と全く関係ない「私の思い出話」です。
と、いうのも。
友達限定のFacebookに、おすすめのお店を紹介する投稿をして、「夜1人で行くならこのお店!」みたいな投稿の補足で「久しぶりに再開した合気道の稽古の帰りに寄っている」的なコメントとともに、道場入口の写真を何気なく載せました。
Facebookをやらない方はご存知ないかもしれないですが、写真にコメントがつくと、その写真だけがフィードにアップされるようで。
元の「おすすめのお店投稿」ではなく、私の合気道始めました写真と、それに伴う意味不明なテキストだけがfacebookのお友達たちに晒されることに。
そして、それがなぜか多くの反響をいただき、「なんで合気道!?」とDMまでいただいたので、「なんでかな」とちょっと振り返ってみたくなったというのがこの記事の主旨です。
ということで、この記事は99%私の個人的な思い出話となります旨、ご了承ください。
合気道について
様々な道場や流派があると思いますが、私が昔から所属しているのはこちら。
5月頃に再開したいと思い立ち、近所の道場を見つけ、古い道着をクリーニングに出してから3ヶ月。ようやく8月に体験しに行く事ができました。
「15年ほどブランクがあるんです」と説明していましたが、入会にあたり、改めて昔もらった免状を見たらブランクは20年以上でした。人の記憶は本当にいい加減です。
実際にやってみると、体はなんとなく基礎を覚えてはいるものの、本当にへたっぴも良いところ。
なので、「合気道とはなんたるか」を私が語るのは避けたいと思いますが、素晴らしいものなので、よろしければ上記のサイトをご覧ください。
再開しようと思った理由
特段趣味もなく、暇さえあれば仕事をしたいのですが、好きな仕事をする上で「自分が良い状態であること」はとても意識しています。
ざっくりいうと様々な人や組織のためになるコンテンツを作ったり、直接的に「サポート」をする仕事なのですが、私が倒れたりすると、サポートを依頼してくださった方に大変な迷惑がかかります。
また、サポートをする立場である私がくたびれていたり、不安定だったりすると安心して頼めないと思うので、日頃から筋トレに通うなど「良い状態の現状維持」を心がけていました。
その延長線上で、何か有酸素運動をする習慣もつけたいなと思っていたのですが、運動神経が皆無かつ単調な動きも苦手な私はスポーツやランニング、ウォーキングが続かない(実証済み)。
その時にふと思い出したのが、前述の「合気道」でした。ブランクは相当あるけれど、一時期でも継続した事がある運動であれば、もしかしたら続けられるかもしれないと考えました。
多忙を極めていた5月頃から、仕事の合間に道場を検索したり、youtubeを見たりして、徐々にやりたい気持ちに火がつき始め。
引っ越しのたびに捨てるかどうか迷いつつ、奥深くに保管していた中学生時代の道着と袴を引っ張り出し。絶対カビているだろうと恐る恐る開いてみたら無事だったので、とりあえずクリーニングに出しました。
そこから3ヶ月ほどモゾモゾしながら、ようやく家から自転車で20分ほどの道場に「体験」に行ったのが2023年8月8日のことです。
↑CANVAプロの素材にこんなのがあったので、合気道のイメージとして貼っておきます。すごい方の演武だと早すぎて「何もせずに吹っ飛んでいる」ように見えたりするものもありますが、ゆっくりだとこんな感じ。外国の方にも人気の武道です。
体験に行ったはなし
私が体験に行った道場は、火曜日と金曜日を区民向けに開放していて。「未経験者でも優しく教えます」という雰囲気で案内されていました。
一応経験者ですが、ブランクがものすごいので初心者枠で行きたいと思い、道着は持ちつつもトレーニングウェアを着用し、「初心者です」という感じで顔を出して見ました。正直、知らない道場に足を踏み入れるのは相当不安なものです。
行ってみると、初心者はほぼおらず、やられている技も比較的高度なものでした。これは完全に無理だと思ったのですが、道着を持っているということがバレてしまい「着替えておいでよ」と声をかけてくださって。
帯の結び方も袴の履き方も、忘れていると思いましたがなんとなくでき、案の定一応黒帯なものだから「経験者だね!」と言われ、そのまま2時間稽古に参加することとなりました。
もちろん皆さん素晴らしくベテランなので、冒頭の話の通り「15年ほどブランクがあって・・」と話すと、とても丁寧に指導してくださいます。
同じ流派の道場だから当然と言えば当然ですが、準備体操の流れも一緒で、懐かしくて何度も涙が出そうになりました。
合気道を始めた頃のはなし
私が合気道を始めたのは小学校4年生頃。
当時中学生だった兄が通っていた学校で新設された「合気道部」の初代部員となり、入った瞬間から部長になったことから全てが始まります。
顧問の先生に「すごい先生がいる」「その先生の稽古に行った方が良い」と紹介された兄。
いつも休日は昼過ぎまで寝ている兄が、日曜日の早朝8時に出ていく様子が気になり、嫌がられながらもついて行きました。
その当時の道場は近所の幼稚園を借りていて、畳の代わりにマットが敷いてありました。その上で、兄と数人の大人の方が、静かに稽古をしていました。
私は、常に同行されていた先生の奥さんと共に、マットの外の板張りの床に座り、2時間ほどただ見ているということを2ヶ月ほど継続。当時は本当に暇な小学生だったのだと思います。
稽古の様子は、子供の目から見るととても不思議なものでした。
先生が前に立ち、すっと手を出された人が先生に駆け寄り、突然何かの技が始まり、お手本を見せる。
先生が小さく「はい」くらいの言葉を発するとみんながお辞儀をして、二人組になって、礼をして、先生の真似をしてみる。
いちいち互いに自己紹介をすることもなく、細かな説明があるわけでもなく、体得する感じの稽古のスタイルが何だか凄くおもしろいなと感じました。
そして2ヶ月ほど経った頃、「やってみたら?」と奥さんに促され、なんとなく兄の横で始めることとなりました。
最初の4年間
先生の道場も段々と門下生が増え、場所も市内の運動公園にある広い道場に移転しました。
子供の部も開設され、日曜日の朝9時〜10時が子供、初心者が参加。大人の部は11時〜12時で、有段者も多く参加。
私は当初子供の部だけでしたが、級が上がるごとに大人の部にも参加するようになりました。
兄は受験を理由に徐々に来なくなり私だけ通うようになったのですが、先生ご夫妻が「1人だと危ないから」と、待ち合わせ場所まで迎えにきてくださるとのこと。
先生ご夫妻の送り迎え付きだなんて今考えても本当にありがたいのですが、当然サボりづらくもなるという抑止力が働き、4年ほど続けることができました。
ある夏には子供の部にきていた家族2組と、先生ご夫妻と私という組み合わせで、旅行に連れて行ってくださったりもしました。車酔いがひどい子供でしたが、その車では酔わなかったことをきっかけに、車酔いを克服することもできました。
1級まで取得し、「受験だから」という理由で一旦やめたのが中学3年の春頃でした。
久しぶりに再開した3年間
そこからだいぶ経って、成人してから今と同じような心境になり、一度は再開。せっかくだから段までは取ろうと通い、初段を取得したのが15年前・・だと思っていたら22年前でした。驚き。
そこからおそらく1年ほど通いましたが、仕事が忙しくなり住むエリアが変わり、長い長いブランクに突入することとなりました。
そこからだいぶ長い時間が経った頃、とても可愛がってくださった先生が、体調を崩され入院されたことを兄から聞きました。そして数年前、他界されたと知った時は、本当にショックでした。
長年続いていた道場は門下生の方に引き継がれ、継続されているのですが、住んでいる地域も変わってしまったので通うことができません。別の場所で始めることももう無いだろうと思ってはいましたが、思い立って体験に行ったのは前述の通りです。
すると、準備体操も全く同じで、通われている方の雰囲気も年代も、元々通っていた道場と同じような感じだったのがとても嬉しく、懐かしくて。
「昔はどこでやっていたのか」と聞かれ道場名を伝えたところ、「あー、〇〇先生の!」と、突然先生のお名前が出た時は驚きました。
先生や奥さんとの思い出話を思わぬ形で聞きながら、道が時間を超えて繋がっていることに感動し、その場では我慢しましたが、帰りに自転車を漕ぎながら泣きました。
ちなみに、再開したことを兄にLINEで報告したところ、「おーいいね」という軽い反応と共に、先生が亡くなられた後も道場に通い続けていた奥さんも、7月で引退されたとの話を聞きました。
兄は全然通っていないけど、お中元やお歳暮を送り続け、定期的に奥さんに電話をしているとの事。私も20年ぶりにまた再開したことを伝えるために、今度会いに行こうと思います。
約20年ぶりに初めてよかったこと
タイトルにもある「昔取った杵柄」という言葉は「餅をつくための杵の柄を握った事があれば、久しぶりでも思い出す」という意味とのこと。
合気道の技能云々はほぼゼロからやり直しなので偉そうに語れはしないのですが、今回、この杵を再び手に取ったことで、よかった事がたくさんありました。その中でも大きかったのはこの3つ。
①過去の経験に意義を持たせる事ができた
このnoteを書いている事自体もそうなのですが、「子供の頃の思い出」みたいな出来事が、私の今につながり、これから先も関係していくことになったことで、過去がものすごく意義深いものになりました。
今の時代は昔よりも習い事がたくさんあり、それぞれ「こんなスキルが身につくように」みたいな目的を持っているようなものが多いと感じるのですが、私にとっての合気道はそんな感じではなく、突然降って湧いてきたようなものでした。
でも、そんな「なんとなくやっていた」みたいな事であっても、時間が経ったらこうして価値を再発見できる事があるんだなと改めて実感し、ひとつひとつの選択に対する「成果」みたいなものの見方が変わり、視座がひとつ上がったような気がします。
②長期的な目標ができた
体験で行ったときに色々な方が教えてくださったのですが、その中には70歳代と思しき方もたくさんおられました。
試合もなく、強さを競わず、力を求めず、相手と呼吸を合わせる武道である合気道は、肉体的な年齢を重ねても、十分その価値を発揮できる武道です。
年齢問わず、凛として軸がぶれていない人たちは昔通っていた道場にもたくさんいて、憧れでした。
私もそんな70歳になりたいな・・と考えると今がものすごーく若く感じて、まさにこれからだなと本気で感じられたことはとても良かったです。
③「今」のバランスが取れた
私の仕事は割と普遍的なテーマを扱っている方ではあると思うのですが、それでも世の中の流れの速さや情報の波に疲れたり、日々変化する状況において焦ったりすることも多々あります。
そんな中、大昔から何も変わらず、これからも変わらないであろう実体的なものが人生の中に入ってきてくれたことで、浮ついた足がちゃんと地につくような、そんな感覚を受けました。
ついつい「まだ起きていない未来」ばかりに気を取られたり、目の前のやるべきことの多さに忙殺されたりしがちな中で、過去からつながる何かを手に入れたことで、生きている時間軸のバランスが取れたような気がします。
私にとってはそれがたまたま「合気道」というものでしたが、誰にとっても”過去からつながる何か”はあるのではないかと思います。
忙しい日々の中でも何かのきっかけを得て、何か新しい事を始めてみよう!というタイミングが来たら、一度「過去の経験リストの中にあるもの」を見直してみると、もしかしたら「その事自体が持つ成果」以外の何かを得られる事が、あるかもしれません。
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