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15年間の副業と学びの変遷①コーチング編

はじめまして。たなゆうと申します。

15年間、デベロッパーで『家』『不動産』に関する仕事をしており、この度独立します。(2021年1月に書いてます)

これからやりたい事もここに書きたいし、この決断に至るまでの過程も整理して伝えたいなと思うのですが、まだまだうまく言語化が出来なくて、どうも散らかってしまいます。

自己紹介をするにも、どこを切り取ったらよいのか考えすぎて永遠にnoteを始められなそうなので、まずは事実に基づき自分がやってきた事を書いてみようと思います。何かしらの自己紹介のようなものになればうれしいです。

『学びと副業の変遷』全体像

デベロッパーに勤める前も色々な仕事をしていましたが、より煩雑になるので割愛します。

2006年~2011年

本業:新築マンション営業、法人営業、不動産マーケティング
副業:カウンセリング、コーチング 

2013年~

本業:住宅商品企画・ブランディング・不動産マーケティング
副業:田中家ホームカウンセリング

2015年~

本業:1人目育休中
副業:民泊運営

2016年~

本業:1人目育休明け→商品企画・ブランディング
副業:結婚相談所運営

2020年~

本業:新規事業開発
副業:コンテンツプロデュース

ざっくりこんな感じ。

そもそも勤めていた会社は副業はOKだったのかというと、『会社の承諾を得たもののみOK』でしたが、空気的にはNGでした。なので、『大きな利益は出さない』『宣伝しない』=趣味なのでOKという自分ルールを設けて実行してきました。

ルール通り、投資にかけた額と得たお金で見ると赤字です。なので、お金を稼ぐ目的の副業について知りたい方には1ミリも参考にならない旨をご了承ください。

『逃げ』目的からの学び

もともと人の笑顔が見たいという理由で接客業をしていましたが、当時『最も人を笑顔にする大きな買い物=家』というイメージがあり、まったく不動産の知識もないまま住宅業界に飛び込んだのは2005年。『歩合制の住宅営業』というポジションでした。

実践の場に出て、数千万~億を超える住宅の契約をとる事になったのですが、市況の良さと持ち前のハッタリ能力が掛け合わさって、最初に担当した物件でなぜかトップセールスになってしまいました。

一見自慢のようですが、競争の激しい歩合制の営業にとってトップであることはものすごい重圧です。多くの大先輩たちを差し置いて、トップになるという光の分、影が色濃く私の心をえぐっていきました。

私自身は全く知識と経験が追い付かず『中身が空っぽ』だと思っていました。他者評価は自己評価に必ずしもつながらないこと仕事で自己肯定感が持てない事のダメージがこんなにも大きいものなのか、というのもこの時期に学んだ大切なことのひとつです。

高額なものを売っているのに、目の前の人の『本当に望んでいること』を引き出すには至っていないのではないか。最適なアドバイスができていないのではないか。もっと経験のある人なら、もっと良い選択をさせてあげられたのではないか…。契約を取った日はいつも不安で、家で泣いていました。

※因みに売った物件は今思うと全て超優良物件なので、今は売って良かったと心から思います

そんな訳で、正直言って私はこの仕事を早く辞めたかった。

でも、次にやりたい仕事も思いつかない。

であれば、とにかく道を開くために何かを勉強しようと心に決めたのですが、仕事は平日休みで夜は遅く、夜間の学校に通うことも土日の学校に通うことも無理でした。

制限の中での選択肢

何をしようか。どうしたらこの苦しさから逃れられるか。

とりあえず、今の仕事である『営業の役に立つ』というのも大事だと考え

平日/昼間/営業に役立つ

という条件で色々検索した結果、個人の心理カウンセラーの方が開いていた『カウンセリング/NLP』の講座を見つけました。

2階建てのアパートの1室。その小さな部屋で私の副業開始に向けた学びがスタート。そこからはトップセールスとして稼いだお金と休日の時間を費やして勉強し、数々のセラピーやNLPプラクティショナーという資格をとった頃、世の中には『コーチング』というものがあることを知りました。

これが2007年終わり頃の話です。

この頃には本業も不動産の営業から法人営業/マーケティングの部署に移動となり、休みは土日になり行動範囲も広がったので、コーチングのスクールにも通える環境に。

どちらかというとセラピーの方に近い学びを積んできたのですが、『その人が本当に望むものを引き出す』『その上でアクションにつなげ、現実を変えていく』というコーチングの流れは私のキャラクター的にもしっくりきました。

2008年にはリーマンショックで不動産業界も大打撃をうけ、そこから数年間は本業も大変だった中で、プライベートでは学び、トレーニングを受け、実践し、クライアントを得てプロとしても活動。

最初は練習に付き合ってくれる仲間からスタートし、その後は紹介のみで多くのビジネスパーソンや経営者、芸能人の卵からプロコーチとして活躍する人のコーチとして契約を結び、幅広くサポートさせて頂きました。

最終的にはコーチングのプロを養成するプログラムを実践できるところまで学び、気がついたら5年の月日が経っていました。

人の心に触れ続けた5年間で得たもの

結果、『能動的に行動しようとする人の話を聞き、望む現実に近づけるサポートをする』という仕事は私に合っていて、天職だと思うまでに。

また、コーチングを通して自分自身についても深く理解をすることができ、気がついたら勝手に自分でえぐっていた心も救われました

多くのビジネスパーソンや経営者の専属コーチ活動を通して、私から見たら羨望の対象であるような人も悩みを持ち、戦っていることも学ばせて頂きましたし、誰かを羨む気持ちもすっかり薄れ、個人的にも生きやすくなりました。

時流的には、今から10年以上前の当時『ワクワクすること、ライフワークで生きる』みたいな概念が流行っていて、会社員脱出!みたいなムーブメントが一部の層に広がっていたし、もともと辞めたかった仕事を辞めるのは自然な流れ。

しかし悩んだ結果、私は一旦このスキルを自分の中にストックしつつ会社の仕事に専念する決断をしました。

ここまで盛り上げておいてなんですが、私は『会社を辞めない』のです。

もっと広く、『普通の人』の頑張りをサポートするには

この頃の私はもう何年も『人をサポートする』ということを続けていて、それが当たり前の世界にいました。

一方で、『コーチング』は一部の意識の高い人たちや、企業研修などではよく知られる言葉にもなっていたものの、当時勤めていた社内で『コーチング』を知っている人はほとんどいませんでした。

もっと、一般の人の手に届くものにするためには何ができるだろうか。

もっと、仕事に悩んでいたような、普通の会社員だった私が必死で検索したり、ものすごく高いお金を払って学んだりしなくても良いくらい、手にドドきやすいものになるには。

そんなことをずーっと考える中で、私は『今、プロとして独立するのは違うな』と感じました。

当時の私の想いは以下の通りです。

①人の深い想いを見つけ、本人にも気づいてもらう技術は身に着けた
②その想いを実現するために必要な『自己変容』と『アクション』をサポートすることはできる
③ただし、本人がいくら変わっても環境や状況を変えるには、具体的なソリューションの創出や社会構造の変化も必要な場面がある
④その場面を理解し、本当の意味で変化を起こすためのサポートをするには私自身が社会構造を知らなすぎ、経験も不足
⑤私自身も社会人としてのスキルや経験を積み、変化を阻む根源はどこにあるのかが見える人間になりたい。その上で、『本当の望みを見つける』『それを叶える』という一連のサポートが出来るようになりたい

そんな想いを抱え、いちど『コーチングを仕事にする』という選択肢を引き出しにしまうことにしました。

そこから10年ほど、会社員として与えて頂いた仕事やその後始める副業を通して得た学びや出会いの価値は、計り知れません。

私の根っこにはこの時の思いがずーっとあり続けていますし、それと同時に、当時の選択は今でも本当に良かったと思っています。

次回予告

大変です。

初めて書くnoteで、ちょっとした振り返りを1本で書ききるつもりが、あっという間に3,500文字近くなってしまいました。

参考にさせて頂いた記事によると、ちょうどよい記事は2500~3000文字との事ですので、もうオーバーです。

こうなると、大好きでよく拝読している竹村俊助さんの記事にあるように、様々な自意識がわいてきます。でも『えいやで出す』のが一番だそうですので、ここは素直に従いたいと思います。

次回は人の心に触れる経験をストックしながら不動産業界での経験を積んだ私が家族で始めた『田中家ホームカウンセリング』について書こうと思います。

最終的には『意思をもって会社員をつづけた私が、会社を辞めてまで実現したい事』に繋がる予定なので、どうかお読みいただけますと幸いです。

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