幸福否定の研究-14 【幸福否定の発見と心理療法の確立までの経緯-7】
*この記事は、2012年~2013年にかけてウェブスペース En-Sophに掲載された記事の転載です。
【幸福否定の研究とは?】
勉強するために机に向かおうとすると、掃除などの他の事をしたくなったり、娯楽に耽りたくなる。自分の進歩に関係する事は、実行することが難しく、“時間潰し”は何時間でも苦もなくできてしまう。自らを“幸福にしよう”、"進歩、成長させよう”と思う反面、“幸福”や“進歩”から遠ざける行動をとってしまう、人間の心のしくみに関する研究の紹介
前回までに、笠原氏の心理療法のもとになった、小坂療法自体の解説と、「小坂療法が続けられなくなったいきさつ」を書きました。
「反応を追いかける」
「症状の直前の記憶が消えている出来事を探る」
小坂療法は以上の2点を科学的方法論とし、笠原氏もそれを踏襲しています。今回はまず、小坂医師の精神分裂病の原因に対する解釈の変化について簡単に書き、方法論を踏襲した笠原氏の理論と比較してみたいと思います。
解釈というものは、実際に抑圧解除が成功した例から推測した暫定的な仮説になります。そのため、症例が増えてくるに従って、理論に絶えず修正が加えられる事になります。
それを踏まえた上で、まず、11回に載せた症例を以下にもう一度引用します。
最初は何も出てこなかった。私は念入りにこの数日間の日常を思い出させようとした。しかし、症状に気をとられていた彼の記憶はきわめて曖昧であった。私は受話器を取り上げて、母親を呼び出し、一つ一つ確認していった。
しかし、原因に該当しそうなものは何一つとして出てこなかった。受話器をおいて三分ほどしたときに、母親から電話が入った。
これはプールにいき出したばかりのときのことなので無関係と思うがと前おきして、プールで中学時代の友人Xに出あったという報告をうけたことがあるという。私は彼にむかっていった。
「今君のお母さんから電話があってね、君がプールでXという友人に出あったことが影響しているかといってきたのだけれど・・・」
「アッ、それだ」
彼はいった。と同時に緊張しきっていた彼の表情はゆるみ、1~2秒おきに神経質に口もとにいっていた手の動きがとまった。
聞いてみると友人のXは、大へん水泳上手の水泳自慢だそうであり、連日のようにそのプールに来ているのそうである。
彼はそこでEを発見すると呼びかけ、以後Eが練習しているわきで、公衆の面前もかまわずに、大声叱咤し、注意し、笑うとのことである。
本人にとっては、大へん自尊心を傷つけられることなのであった。そしてある日極端にハッパをかけられたので、次回にいく気がしなくなったのであった。彼には毎回顔をあわせているものだから、母親には別に報告しなかったとのことである。後は一瀉千里であった。彼は足どりも軽く帰っていき、プールにおもむいた。(『精神分裂病患者の社会生活指導』 小坂英世著 p26~27)
症状を軽減・消失させる手続きは、「反応を追いかける」「直前の記憶が消えている出来事を探る」の二点なのですが、どの部分が原因になったか?については様々な解釈があります。上記の一例だけみても、患者の打たれ弱さ、対応の不適切さに対する後悔や自責の念、ライバルの存在など複数の解釈が成り立ちます。
次に、抑圧解除法を治療の中心にした後、小坂医師がそれらの原因論についてどう思考を推移させていったかについて、笠原氏の著書から抜粋してみたいと思います。
…再発の原因は、その出来事自体ではなく、患者がその打撃を受けた時に患者の気持ちを思いやることができない両親の、患者に対する″冷たい仕打ち″にこそあるとされるようになった。(中略)その段階の小坂には、両親に対する患者の逆恨みという概念がなく、患者の言い分をほとんどそのまま受け入れ、徹底的に患者の味方をしていた。(中略)”二四時間診療″という看板を掲げ、自ら保証人になり、患者を自宅の近くに転居させるまでして援助したのだった。(笠原 敏雄 『幸福否定の構造』 p44~45)
…その後、患者の別居からヒントを得た小坂は、それを、患者を自立させる目的で意図的に使うようになるが、親元を離れ、親と連絡を絶って生活している患者にも、やはり再発が起こることがはっきりしてきた。そうなると、その再発は、親とは無関係に、患者自身の責任で起こったことになる。発病の責任が親にあるとする、従来の考えかたの変更を根本から迫られたのであった。(中略)その段階に達した患者たちは、しばしば社会的に容認されにくい発言や行動をそれまでにもまして示すようになった。小坂流に表現すれば、それ以前の段階よりも、分裂病患者の″もちあじ″が表面に出てきた。(『幸福否定の構造』 p45~46)
…私がその存在を知った頃の小坂は、発症に関係した出来事にまつわる、患者の対応の不適切さに対する後悔、自責の念(の抑圧)をその原因と考え、両親の責任ではなく、患者自身の責任を問うようになっていた。興味深いことに、ほとんどの批判者は、これ以降の小坂療法の展開を知らないか、知っていても曲解ないし無視しているように思われる。(『幸福否定の構造』 p47)
次の大きな変化は、患者が陰に陽にライバルと見なす、同性同年の友人たちの存在が大きく取りあげられたことである。自らを極度に卑下すると同時に誇大視する傾向と、それを相補的に関係にある、極度に勝ち負けにこだわる傾向とが、分裂病患者全般にあることは、それまでにも明確に知られていた。(中略)自己尊大視という特性が、ライバルに対する敗北で傷つけられることによって、初発や再発が起こるとされたのである。(中略)私の知る限り、心理療法としての最後の段階の小坂理論は、その一歩先を行くものである。患者は、ライバルたちの存在も自己尊大視の傷つきも、すべて承知しながら、あえてそれを隠し、ライバルに敗北したことによる逆うらみから、両親に復讐しようとする。その時、両親の忌み嫌う分裂病という疾患を選ぶ。つまり、分裂病という疾患自体が両親に対する復讐の手段になっているというのである。(『幸福否定の構造』 p56)
大きな変化で捉えると、最初のうち、小坂医師は環境的なものが分裂病の原因となっていると推定していましたが、次第に分裂病患者自身の人格的な歪みが根本にあるのではないかと考えるようになっていったのです。
では、笠原氏における原因論の推移はどのようなものなのでしょうか?
既述の通り、笠原氏は北海道の病院で小坂療法を続ける事ができなくなってしまいます。やむを得ず東京に戻ったあとは、全国から難病患者が集まる、東洋医学的治療を中心とした特殊内科で心理療法を担当するようになります。
その科では精神疾患全般の他に、内科の一般的慢性病、難治性皮膚病、末期がんなどさまざまな病気に対しても小坂療法の方法論で心理療法を施しています。(この辺りの経緯は『幸福否定の構造』 p59~62に詳しい)
最初は、分裂病治療の経験を、文字通り、そのままの形で心身症に当てはめることしかできなかった。それは、自分にとってもほとんど未知の世界に、役立つかもどうかも未だにわからないコンパスを持って分け入るようなものであった。(中略)当時、私が使ったのは、小坂が最後に唱えた復讐理論ではなく、そのひとつ前のライバル理論であった。それは、分裂病に対して、復讐理論を適用した例が一度もなかったからに他ならない
(『幸福否定の構造』 p62)
また、この時期に神経症、心身症(検査で異常が見つかる喘息、難知性の腸の病気なども含む)のケースにおいても、心理的な原因に近づくと、例外なく「反応」が出る事が確認されています。(注1)
それまでの私の認識では“抑圧”により症状を出現させるのは、フロイトの言う神経症と、小坂の言う分裂病の二疾患だけであった。ところが、実際にはそうではなく、心理的原因の記憶が心身症でも、同じように全例で消えている事が次第に明らかになったのである。この事実は、本人が意識で原因と考えている事柄は、すべて原因とは無関係であることを示している。加えて、心身症や神経症でも分裂病と同じようなライバルが探し出せることもわかってきた。(『幸福否定の構造』 p64)
その一方で、心理的原因に関係するライバルの存在を探り当てられない例も、続々と登場した。反応を目印にして原因を探り当てても、ライバルどころか、そこに人物が関係している可能性すら考えられないこともあった。(中略)これでは、ライバル理論の当てはまる例が心身症という疾患群全体の一部になってしまう。原因が実際に何種類かあるということなら、それはそれでしかたがない。しかし、本当にそうなのかどうかについては、厳密に検討して明らかにする必要があった。(『幸福否定の構造』 p73)
このように、厳密な検討を重ねながら原因を推定し、修正を加え続ける作業が続けられるわけですが、ライバル理論の段階では、いくつかの例には当てはまるが、いくつかの例には当てはまらないという、不完全な原因論になってしまっています。
ですが、治療の方法と解釈は別物なので、どのような解釈でも、「症状の直前の記憶の消えている出来事を探る」という方法そのものが使えなくなることはありません。
笠原氏は小坂医師の原因論から離れ、厳密な検討を繰り返しながら、「うれしい事が心身症、精神疾患の症状の原因になる」という幸福否定の理論を発見し、「心」が関係する症状全般の原因を説明可能なものにしました。(注2)
上記プールの例で言うと、「友人から極端にハッパをかけられた」事が原因になっているのですが、本来、ハッパをかけられることは、本人にとって「ありがたいこと」であるはずなのです。にも関わらず…(筆者の推測になってしまいますが、ここで「愛情否定」の可能性などが浮かび上がります。(注3))
長くなってしまいました。今回はここで終わりますが、小坂医師や笠原氏の、客観的な指標を用いて治療を行い、現実の症例と照らしあわせ、解釈には絶えず修正を加えるという方法論が、現実を置き去りにして解釈が先行する現在の精神医学界の方法とは全く違う事が、解釈の変化を追いかける過程によって分かるのではないかと思います。(注4)
次回は、心因性の症状の部分的な説明が可能であったライバル理論から、全体の説明が可能になる幸福否定理論までの過程を書いてみたいと思います。
注1
…その結果、すぐにわかったのは、症状出現の直前にあるはずの心理的原因を探ってゆくと、心身症でも神経症でも、分裂病と全く同質の反応が観察されることであった。同じ心身症という言葉が当てはまるとしても、自覚症状が中心の、いわゆる自律神経失調症と、現実に気道が狭まって、喘嗚を伴う呼吸困難を起こす気管支喘息や、大腸に難知性の炎症や潰瘍を引き起こす潰瘍性大腸炎とは、医学的には全く異質な疾患である。にもかかわらず、心理的原因らしきものに近づくと、どのような心身症を持つ者であっても、例外なく反応が出現した。(『幸福否定の構造』 p63)
注2
心が関係している疾患の全てを【幸福否定】の理論で説明できるとすると、例外がないのかが問題になりますが、幸福否定の理論や、症状の直前の出来事の関係がはっきりしない疾患の一つに、「癌(がん)」があります。
性格的な傾向や、患者の心理的状況が予後に影響を与える事から、心の働きと関係があることは推測できるのですが、まずがん自体に症状がなく、症状が出た時には手遅れになっている事が問題となります。
症状がではじめたきっかけを特定できても、その時点でがんは相当進行しているので、仮に症状が緩和されたとしても、がんの進行を遅らせる効果がなければ、患者は亡くなってしまいます。
また、がんの患者の性格的な特徴として、「事実を直視する」という事を非常に嫌う特徴があります。
つい数年前まで、治療者も患者も、病名を伏せたまま、抗がん剤や放射線などの強い副作用がある治療をするという、他の疾患では考えられない状況がありました。その状況もがん患者の性格的な特徴がなければ成り立たなかった事が推測できます。
当院でも、数名のがん患者の症状(この場合は抗がん剤の副作用も含む)発症前の出来事を探ろうとしましたが、非常に抵抗が強く、細かく聞くと、必ず巧妙に話を逸らされてしまいます。「反応」が出るなら、こちらも努力のしようがあるのですが、作り話など(例えば、その日は一日家に居て寝ていた、と患者が答えても、家族に聞くと外出していた例などがあります)で、原因に近づかないうちに話を終了してしまう事が少なからずあります。
定年退職して数カ月もしないうちに、今まで病気一つしなかった患者さんががんを発病したりと、「幸福否定」が当てはまりそうな例は多いのですが、
・症状の直前の出来事を探る事が、患者さんの性格的な傾向もあり難しいこと
・がんの悪化と症状の発症にずれがあること
これら2点の大きな問題があるため、特定は困難を極め、推測で終わっているのが現状です。
注3
推測は好ましくないのですが、この場合は、一つの原因となる出来事でもさまざまな解釈が成り立つ例として引用をしています。
小坂医師の著書では、「ハッパをかけられる」という本来ならありがたい行為が原因となっているケースがそのまま載っているという意味でも、わかりやすいと思います。
実際の心理療法では、推測ではなく、感情の演技を使って厳密に原因の特定を進めていきます。
この場合は、友人Xから強くハッパをかけられた事が原因なのは間違いないようですが、
まず、
・友人Xと症状が関係する
・友人Xと症状は関係ない
などの実感を患者につくってもらい反応の強さを比較します。
反応の強いほうを追いかけるのですが、関係があるようなら、「愛情」という側面なのか、「普通(一人前)に扱われている」という側面なのか?関係がないようなら、ハッパをかけられた際に、水泳が上手くなった、あるいはやる気が出てきたなど、何らかの好転を認識させるような会話が無かったか?等を調べる事になります。
注4
現実に起こっている事象よりも解釈が優先されると、「現実が間違っている」という結論が出てくるため、理屈の上では成り立ちませんが、なぜか「解釈優先」になってしまっているのが精神医学の現状です。
文 ファミリー矯正院 心理療法室 /渡辺 俊介