幸福否定の研究-12 【幸福否定の発見と心理療法確立の経緯-5】

*この記事は、2012年~2013年にかけてウェブスペース En-Sophに掲載された記事の転載です。

【幸福否定の研究とは?】
勉強するために机に向かおうとすると、掃除などの他の事をしたくなったり、娯楽に耽りたくなる。自分の進歩に関係する事は、実行することが難しく、“時間潰し”は何時間でも苦もなくできてしまう。

自らを“幸福にしよう”、"進歩、成長させよう”と思う反面、“幸福”や“進歩”から遠ざける行動をとってしまう、人間の心のしくみに関する研究の紹介

前回は、小坂療法の核心について紹介しました。
要約すれば、下記のようなものです。

「症状が出現した直前の出来事(記憶が消えている部分)を探るだけで、分裂病症状が軽減、ないしは消え、それを続けると患者が少しずつ改善してくる」

今回は、笠原氏の追試結果と、新たに発生した問題点について書いてみたいと思います。まず、笠原氏の著書からの追試の状況をみてみましょう。

追試を始めて4年目の1976年の段階で、同僚の心理療法家とともに、その結果を二報の論文にまとめた。同僚は、私と別個に、一部の患者を面接していた。

結果を集計してみると、平均3回弱の面接によって、100名強のうちの4分の3ほどで、症状の消去や軽減に成功していることがわかった。面接時間は、短い場合で数分、長くとも2時間程度であった。劇的な場合には、先述のような反応が出現し、その瞬間に急性の症状が消えていた。

つまり幻覚妄想ばかりでなく、それまでの異様な表情や動作もふううに戻り、程度はさまざまにせよ病識も出現したのである。

(中略)

その直後から、強烈な眠気や脱力感をはじめとする、薬物の副作用が強く出現した患者もあった。そのような場合、主治医は、投薬量を大幅に減らさざるをえなかった。

対象となった症例のうち、“失敗例”も4分の1ほどであったわけであるが、そのほとんどは、コミュ二ケーションが取れないで終わってしまったか、原因を探り出す段階で患者の強い拒絶にあったか、探りだそうとしても、それらしきものに突き当たらず反応が見られなかったか、反応が出るところまで行ったものの、そこで抵抗を起こしてしまったかのいずれかであった。

(中略)

この種の研究法の場合、一部の患者でしか症状の消去に成功しなかったとしても、その診断がまちがっていない限り、その検証はおおむね成功したと考えてよい。ところが、実際には一部の患者どころか、複数の精神科医によって分裂病と診断された100名ほどの患者群の4分の3で大なり小なり、それに成功しているのである。

かくして、小坂の主張する、分裂病心因論の妥当性が疑う余地なく立証されたと言える。(引用:『幸福否定の構造』p48-49)

このような結果が出たにも関わらず、新たな問題が出てきました。大きくわけると、小坂医師が「イヤラシイ再発」と呼んだ状態に患者が陥る事、そして、治療に対する抵抗が強くなってくる事です。

笠原氏の心理療法を続ける上で、決定的な問題になるのは治療に対する抵抗なのですが、小坂療法は「イヤラシイ再発」の時点で手詰まりになってしまいます。

治療に対する抵抗は後述するとして、まずは「イヤラシイ再発」について説明します。簡単に要約すると、小坂療法によって分裂病の症状は大幅に軽減するのですが、代わりに人格障害のような症状が出てきてしまいます。(注1)

小坂によれば、イヤラシイ再発とは、

「患者が利得(ウサバラシ、義務放棄、家族の慰撫など)を求めて症状(らしきもの)をチラツカセて駆け引きし、利得を手にするとアッサリ症状を引っこめる(中略)意識的な『疾病』の『利用(悪用)』(中略)俗語でいえば『芝居』、専門用語で言えば『詐病』」であって、「実に『イヤラシイ』としか表現の仕様がないほどの醜悪、愚劣陋劣・好侒・狡猾」で、「分裂病の仕組みを知りながら、病気から立ち直ろうとせず、むしろ分裂病であることをフルに活用することに専念」するという状態である。
(『抵抗とイヤラシイ再発の研究』 小坂教室テキストシリーズNo.6、小坂英世著、1973年 p11-12)

誤解を恐れずに、わかりやすい表現を使えば、分裂病という仮面を捨て去り、いわば人格障害(精神病質)的な本性を現わすようになった状態と言えるかもしれない。(『幸福否定の構造』 p276)

このような状態になってしまうと、精神分裂病の状態の時と違って発作的な症状が少なくなってしまい、また、「患者の訴えそのものが嘘」という事が起こってくるので、症状の直前の出来事で記憶が消えている部分を探るという小坂療法は、続ける事が困難になってしまいます。

次に、小坂医師の著書から引用してみたいと思います。

イヤラシイ再発とは何か。

これは、抑圧を解除していくなかで自分の病気の本態について理解してきた患者が、最後に独立した場合、あるいは家族が自己変革をとげてもはや有害な刺激を出さなくなった場合、そこで自らの責任でつぶれてしまう状態をいう。そのとき抑圧はもはや起きず、もちあじ、共生関係と″疾病への逃避″傾向のみが表面に出てくる。これは私は前著「患者と家族のための精神分裂病理論」では″イヤラシイ(意識的な)疾病への逃避″と表現した。このイヤラシイ再発の特徴はつぎのとおりである。

(1)全く自らの責任によって起きている。

(2)したがって他人に責任を転嫁できないので、自分の失態を何とかごまかそうとする

(3)そこで、あれこれ原因を並べたてたり、話をそらそうとしたりする。

(4)シロウト目にもそれが明らかにわかるので、とてもイヤラシクみえる。
(5)抑圧理論を消化した患者なので、抑圧は起きていない。

(6)そのせいか、薬が必要な場合も、きわめて少量の薬でこと足りる。

このイヤラシイ再発の場合、家族がそのイヤラシサに愛想をつかして入院させたがり、患者も自発入院、つまり逃避したがるので入院となることが多い。

しかしそうすると、そこで逃避韜晦の生活にはいりつづけてしまう。まことに厄介な事態なのだが、この治療法を進めていくと、患者が最後に通りぬけなければならないところである。(注:韜晦、トウカイ=身を隠す事)(引用:『精神分裂病読本』 p60-61) 

小坂氏が語るように、小坂療法のみで患者が完治して通常の社会性を取り戻すことは叶わなかったのですが、下記2つの事柄を実証したことは、治療という意味において非常に大きな功績だと言えるでしょう。

・精神分裂病が心因性のものであること
・治療不可能ではないこと
 (完治はしなかったが、患者が根本的に変化したこと)

また、「反応を指標にする」「直前の出来事を探る」という、原因を探るための方法論が笠原氏に受け継がれ、「幸福否定」の発見に繋がったという点でも極めて重要です。

さて、今回はここまでです。
次回は、非常に大きな問題になるので簡単に触れるだけになりますが、
「治療に対する患者の抵抗」について書きたいと思います。

(続く)

注1

私自身が笠原氏の心理療法の追試(症状の直前の出来事を探る小坂医師の方法論と、感情の演技という方法で抵抗に直面させること)を本格的に行なって4年近くが経ちますが、どのような心因性の疾患でも、患者の症状が改善されるにつれ、性格的な問題点が浮上してきます。

実際に私の心理療法でも、病院で統合失調症と診断された患者(病識があり、自分から治療に来るので昔の精神分裂病と同質かは疑わしい)が、自宅で不安定になり、わめき散らした後に心理療法を受けに来て、面接の後半に演技だった事を認めた事があります。

一方、うつ病、パニック障害、アルコール依存などの患者が数年続けていますが、精神分裂病のイヤラシイ再発のように、異常性が高くないので、性格的な問題点が出てきたから治療を続ける事が困難になってしまう事は少ないと言えます。

文 ファミリー矯正院 心理療法室 /渡辺 俊介


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