芸術と潜在意識 7:スタンダール症候群が出る作品②
*この連載は、2017年~2018年まで ウェブスペース En-Sophに掲載された「芸術とスタンダール症候群」を改題、転載したものです。
連載【芸術とスタンダール症候群】とは?
筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。『スタンダール症候群』を芸術鑑賞時の幸福否定の反応として扱い、龍安寺の石庭をサンプルとして扱う。
連載の流れは以下のようになる。
1. 現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
2. スタンダール症候群の説明
3. スタンダール症候群が出る作品
4. スタンダール症候群が出やすい条件
5. 芸術の本質とは何か?
人物と用語について
* 今回、言説を参照する人物 *
笠原敏雄:小坂療法から出発し、ストレス・トラウマではなく患者本人の許容範囲以上の幸福が心因性症状の原因になっているという、幸福否定理論を提唱。”感情の演技”という方法で、患者を幸福への抵抗に直面させ乗り越えさせる、独自の心理療法を開発。また、日本を代表する超心理学者でもある。
グラツィエラ・マゲリーニ:イタリアの精神科医。フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ病院に運びこまれる外国人観光客の症状を記録し、スタンダール症候群と名付ける。
* 用語説明 *
反応:抵抗に直面した時に出現する一過性の症状。例えば勉強しようとすると眠くなる、頭痛がする、など。
抵抗:幸福否定理論で使う"抵抗"は通常の嫌な事に対する"抵抗"ではなく、許容範囲を超える幸福に対する抵抗という意味で使われている。
スタンダール症候群:イタリアのフィレンツェで、観光客が起こす発作的な心因性症状。芸術作品鑑賞中や歴史的な建築物などで起こす事が多い。フランスの小説家、スタンダールが同様の症状を発症したことからスタンダール症候群と名付けられる。
前回までの流れ
前回から具体的な作品を挙げつつ研究の経過を書く『実践編』に入りましたが、第一回は、個人的なパリ旅行をきっかけに意識するようになった、芸術作品によって引き起こされるさまざまな反応と、個別の作品に関する具体的な分析を書きました。パリ以外でもレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロ、レンブラント・ファン・レインなどを筆頭に、美術史に名を遺す素晴らしい作品を実際に観に行ったりネット画像を通じて鑑賞しましたが、様々な時代の芸術作品を鑑賞する過程で、次第に作品のクオリティ(注1)と反応の強さが直接的に結びつかない事に気が付きはじめました。
具体的には、セザンヌやワシリー・カンディンスキーといった画家の生み出した近代絵画のほうが、レオナルド・ダ・ヴィンチや、ラファエロなどの古典的絵画に比べて、「反応が出るかどうかが、わかりやすい」ことがわかってきたのです。(以下、絵画作品の画像はWikipediaから)
『リンゴとオレンジのある静物』/ ポール・セザンヌ (1895-1900)
『コンポジション Ⅶ』 /ワシリー・カンディンスキー(1913)
セザンヌの絵画は近年、1億ドルを超える高値で売買されることもあるようで、芸術作品として歴史的最も認められている部類に入るでしょう。しかし、単純な好き嫌いはともかく、美術に対して何の知識もない人がセザンヌの絵画とレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画を見比べたら、殆どの人がレオナルド・ダ・ヴィンチの作品のほうが素晴らしいと言うのではないでしょうか?
数年前、とあるテレビ番組を見ていたら、セザンヌの絵画を含む4枚の絵が表示され、「この中に1枚だけ有名画家が描いた絵画があり、その他は小学生が描いた作品です。有名画家が描いた絵画はどれでしょう?」というクイズが出されていました。
『サント・ヴィクトワール山』/ ポール・セザンヌ(1904)
もともと、誰が見ても美しく、上手いと感じる作品を描こうとしていたわけではなく、芸術作品の可能性を追及したのがセザンヌ以降の近代画家でもあるので、美しさや上手さを基準にするのはナンセンスなのですが、素人目には上記のテレビ番組が作ったクイズのように、小学生の絵と同じように見えることもあるようです。
私自身、芸術作品の研究をはじめた当初は技術レベルの高さや、美しさ、品性などのクオリティと反応の強さは対応するものだという先入観があったのですが、研究を進めるうち、なるべくそのような考えにとらわれずに作品を観るようになりました。また、絵画のみならず建築物にも反応の出やすいものが多いということがわかってきたため、インターネットを利用し様々な建築物の写真を鑑賞し、反応を確かめました。
近代以降の前衛的な絵画作品と建築物の共通点は、造形の部分に焦点が当てられている事です。
例えば、宗教画であれば画面に描かれている出来事などの意味性、人物画であればその人のストーリー、感情などを想像しながら鑑賞することが多いと思います。対して、それらをできる限り排除して、造形や色彩のみで構成されている絵画や、ある程度の制約の中で装飾性を廃し、抽象性を高めている建築などは、そうした要素に注意が向かないという特徴があると思います。
分析をはじめた当時は、絵画に関して、「(近代の前衛作品のほうが)反応が出るかどうかがわかりやすい」という事に関して、以下のような、2つの仮説を立てて検証を続けました。
・近代の前衛作品のほうが純粋に芸術の本質に近い(技術レベルとは別に、人類の進歩と共に芸術も本質に近づいている。)
・近代の前衛作品のほうが造形以外の要素が少ない分、芸術作品としての本質が見えやすい。
ロシア旅行---赤の広場
さて、ここから、前回予告したロシア旅行の話に入ります。2011年11月に、ロシアのモスクワとサンクトペテルブルクに観光に行くことになりました。当地では、ルネサンス期の作品から近代以降の前衛までが数多く展示されているエルミタージュ美術館をはじめ、ロシア美術が展示されているトレチャコフ美術館や、それ以外にも様々な時代の建築物も見る事ができます。
まず、ルーブル美術館の時と同様に、「本物のほうが反応が強いか?」という点ですが、疲れやだるさは感じましたが、特に本物のほうが反応が強いという事はありませんでした。どこも混んでいて人が多く、さらに海外旅行特有の緊張感があるため、純粋な鑑賞から注意が逸れてしまいやすかったことが影響していると思われます。
--- 補足:本物と反応について ---
個人的な経験を通してですが、能の鑑賞やクラシックコンサートなど、鑑賞するのに時間を必要とし、集中の逸れやすいジャンルについては自宅で鑑賞するより、本物(ライブなど)のほうが反応が出るように思います。クラシックコンサートでは眠り込んでいる観客をよく見ますが、普段は細部まで聴いていない音楽でも、コンサートとなると自宅と違って飲食や他の事をせず集中して聴き続けなければなりません。特にBGMとして音楽鑑賞を楽しんでいる方にとっては、全く異なる意味合いを持つ事になります。
能の鑑賞も、自宅でテレビやDVDを鑑賞している時には、飲食をしたり、家族が周囲に居たりと気が逸れる要素があるのですが、能の舞台では集中して鑑賞する上に、映像ではわからない全体の空間構成も理解することができます。あくまで集中して鑑賞できる環境を整えた場合のみ、本物のほうが反応が出やすいと言えると思います。
ロシア旅行では、教科書に載っているような歴史的な絵画から、西ヨーロッパとはまた違った感覚のロシア美術、様々な時代の建築物を楽しむ事ができましたが、意外な事に最も反応が強かったのは芸術とは関係がないと思っていた赤の広場でした。
特に反応が出そうな場所ではない赤の広場で腹痛を起こしたのですが、なぜこの場所で反応が出たのか?それが帰国後もわからず、1年以上経過してからようやく原因がはっきりしてくることになります(以下、撮影筆者)。
赤の広場・クレムリン(14世紀~16世紀)・国立歴史博物館(1872年、写真右)
赤の広場・グム百貨店(1893)
赤の広場・聖ワシリー寺院(16世紀)
--- 補足:症状の機序の説明と私自身の身体症状の解説 ---
赤の広場や、後述する吉野地方や白川郷では、同様に腹部に身体症状が出ると書きました。よく知られたことですが、旅行や遠足に関連して発生する、知恵熱などの様々な身体の異変があります。これらの症状は、本屋に行きたくなるとトイレに行きたくなるという『青木まりこ現象』と同様、なるべくその場に行かせない、留まらせないという目的で出る事が多いと考えています。その理由はこれまでも書いてきた『幸福否定』に関係しているのだと分析できます。以下、参考までに再度簡単にまとめておきます。
『幸福否定理論』---精神分裂病(注2)の症状の原因は、症状出現の直前の記憶が消えている出来事が関係している事を小坂英世医師が発見。その後、冒頭の人物用語でも登場した心理療法家の笠原敏雄先生が、他の心因性症状の場合でも、症状出現の直前の出来事が記憶から消えている事を発見。その出来事がストレスではなく、患者の許容範囲以上の幸福感に関係している事から、「心因性症状は幸福を否定するためにつくりあげられるものである」という『幸福否定理論』を提唱。
ロシア旅行後---ルイス・カーン『ソーク研究所』
ロシア観光から帰国した後、赤の広場のどの建築物で反応が出たのかを検証したのですが、自分で撮影した写真やWEB上の写真で反応を調べても、原因がわかりませんでした。帰国して約1ヵ月が経った頃、偶然か必然かはわかりませんが、患者さんとの会話からヒントを得ることがありました。心理療法ではなく体の施術のほうで来院した建築士の方で、龍安寺の石庭に興味があるということを聞いたため、施術をしながら反応とスタンダール症候群の話をしました。
そのさい、患者さんから、建築ではルイス・カーンの建築家の作品で強い反応が出るという事を教えてもらいました。ルイス・カーンの代表作である、ソーク研究所(世界有数の生物医学系の研究所)は、複数の患者さんに写真を見せ、強い反応が出る事を確認しました。ソーク研究所によって引き起こされる反応は、龍安寺の石庭や中国陶磁器と共に、様々な芸術作品の中でも強いように感じました。それぞれ、建築、庭園、骨董品とジャンルが違いますが、時代を感じさせず、余分な装飾を排除しているため、モダンな感じがするのも共通しているような気がしました。
絵画に関しては、近代の前衛作品のほうが「反応が出るかどうかがわかりやすい」ことについて、上で2つの仮説を挙げましたが、ソーク研究所の例などから、他の芸術作品も含めて二つ目の仮説---余分な装飾がない作品---の方が反応が出やすいという事が少しづつわかってきました。
このような形で少しずつ研究は進んでいくのですが、赤の広場の反応のみ、手掛かりが全く掴めないまま年を越す事になりました。
ソーク研究所 ルイス・カーン(1963年)
吉野地方
2012年の正月明けに、友人と奈良の吉野地方へ温泉旅行に行きました。これは全く芸術の研究とは関係なく、高校時代の友人と遊ぶだけのつもりだったのですが、何と吉野地方にいる間にも、腹部の張りの症状が出続けたのです。
赤の広場と吉野地方---、どちらも何かの作品を注視していたわけではないので、『場所』が関係している事になります。また、この二か所については、私自身は反応が出ましたが、他の観光客については特に反応が出やすいという話は聞きません。
この点を踏まえて、赤の広場、吉野地方の反応については私個人の関心が関係あると推定し、考察を進める事にしました。
フーガの技法
さらに2012年の2月、研究の進展へ大きく関係する作品に出合う事になりました。バッハの、『フーガの技法(原題:Art Of Fugue)』という曲集です。
2009年頃からクラシック音楽に関心が出始め、はじめは王道のベートーヴェン、バッハ、モーツァルトなどを聴き、そのあとは更に前の時代の教会音楽、さらにロマン派から前衛音楽に至るまで様々な作曲家を聴きましたが、『フーガの技法』を聴くまでは、音楽においては『反応』という側面からは特に大きな発見はありませんでした。心理療法においても静止しない音楽は使いづらく、趣味の一環として聴いていただけでした。
そのような経緯ですので、自分で一生懸命に探したというわけではありません。パソコン作業中にたまたまYoutubeでバッハ関連の動画を探すうちに聴く機会があり、今まで聴いた事がないその曲調に聴き入ってしまったのと同時に、やはり腹部に張りが出て、反応も確認できたのです。その経験があって以後の数週間、『フーガの技法』を聴き続けていました。
一般に、音楽は『メロディ・ハーモニー・リズム』の三要素から成り立っていると言われますが、『フーガの技法』にはメロディらしいメロディもなく、わかりやすいハーモニーもなければ、リズムの強弱もありません。ただ、ひたすら主題の旋律が変化していくという曲集で、何かを証明しようとしているかのような印象を受けました。私も10代の頃から洋楽のロックやポップスに始まり、ブルース、ジャズ、民族音楽、さらに上のようにクラシック、現代音楽と様々な音楽を聴きましたが、『フーガの技法』は、他の音楽とは違う目的を持って作曲されていると感じました。
『フーガの技法』は反応が出る、また、他の音楽とは目的が違う。
そう気が付いてから数年後の話になりますが、『フーガの技法』を分析することにより、(今連載のスタートになった)龍安寺石庭を分析する着想の元となる「数の機能的な側面」という問題に気が付く事になります。
2013年、白川郷、源氏物語絵巻
前年に引き続き、同じ友人と2013年の正月に白川郷へ旅行に行きました。このときも遊びで計画したのですが、またしても腹部の違和感が出ました。複数の建築物から形成される場所で反応が出るのは、赤の広場、吉野地方、そして白川郷で三回目でした。
白川郷での反応を分析することで、ようやく「一つ一つの建物は独立しているが、全体としても作品になっている建築群で反応が出ている」という共通点を見つける事ができました。(注3)一つ一つの建築物は建てられた時代が違うので設計者も違いますが、それでも一つの建築群として大きな作品になっているということです。前回の連載で、京都に行ったとき、JR京都駅で急に足が痛くなり、駅の中を散策できなかった話を書きましたが、この反応も、赤の広場、吉野地方、白川郷の反応と共通のものがあると考えています。
この話を、En-Sophのヴィジュアルを担当している、画家の小崎哲太郎さんに話したところ、ゲオルク・ジンメルの『芸術哲学』という本を勧めてくださいました。また、この年の秋に、小崎さんを介して『源氏物語絵巻』という平安時代末期に制作された絵巻も強い反応が出る事がわかりました。この絵巻も、どこか幾何学的なところがあり、不思議な感覚がします。
源氏物語絵巻 関屋(平安時代末期)
源氏物語絵巻 早蕨(さわらび)
この段階で、以下のような整理を行いました。以前、笠原先生(※ 冒頭人物紹介参照)に教えてもらった京都、奈良の作品から起きる反応とは違った、独自の視点を得る事ができたと思います。
・複数名で強い反応が出る作品---龍安寺の石庭、中国陶磁器、ソーク研究所、フーガの技法、源氏物語絵巻
・独立した建物で構成されている建築群で個人的に反応が出る---赤の広場、吉野地方、白川郷
これらの材料を手掛かりに、この後、芸術からの反応(スタンダール症候群)が出やすい条件と、芸術の本質を探っていく事になります。
次回は、そのこと(芸術からの反応---スタンダール症候群が出やすい条件)について書いてみたいと思います
注釈
注1:
芸術作品の何を持ってクオリティというのかは議論になるところだと思いますが、ここでは誰が見ても凄い、真似できない、美しいなど通常の基準の事を指しています。
注2:
精神分裂病がいま現在公式に呼ばれる『統合失調症』とは診断の基準に変化があるようなので、区別するために当時の名称を使います。昔は「治ったら精神分裂病ではない」と言われていたように、治らない疾患と考えられていたようですが、現在の統合失調症は一時的な『失調』状態と捉えており、幻覚や妄想などが一か月以上続くと、この病名がつけられるようです。以上のような経緯から、病名が『精神分裂病』だった頃よりも軽度の患者さんが『統合失調症』に含まれていると考えています。
参考:日本精神神経学会『旧病名の弊害と新病名「統合失調症」の意義』
注3:
吉野地方などは、飛鳥時代から山岳修行を行う場所であり、そのような場所は抵抗が強く反応が出やすい事もあります。また、奈良県は、縄文時代の巨石から、古墳、飛鳥時代の神社仏閣から、東大寺周辺に至るまで様々な文化遺産があり、それらのうちの幾つかが、現代でもどのように造ったのかが分析できません。また白川郷は、民家は個々の家なので、その集合がどうして芸術性を持つのか?という点でも不思議な集落になります。
このように、他の原因で中級者クラスの反応(前回参照)が出た可能性は否定できないのですが、建築群に関しては、極めて個人的な反応の出方をするので、私個人の関心と反応の原因が密接に結びついている事を念頭に置き、共通項を探る事を優先しました。
(文:渡辺 俊介 編/構/校:東間 嶺@Hainu_Vele)