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「わたしの規則違反のはなし」を読んで


私は、陸上自衛官で勤務していました。
阪神大震災の際の神戸での活動お疲れ様でした。
私は、この災害派遣には参加しませんでしたが当時のことを思い出しました。

 私は阪神地区での大きな揺れの時は、北海道の千歳にある部隊で勤務していました。朝起きてテレビをつけるととんでもない映像が目に入ってきました。
「なんだこれは!!」都市が崩壊していました。その日は、もうすぐ所属部隊が検閲(部隊の練度を見るための上級部隊が行うテスト)を受けるのでその事前訓練をする日で、戦闘団(戦闘をするためいろいろな職種の部隊を配属を受けて編成する部隊)編成をするためいろいろな部隊を集めて訓練をする予定でした。集まった部隊長は、開口一発「すごいことが起きましたね!」
連隊長「災害派遣される可能性もあるが命令が来るまでは訓練に集中しよう。」
といって作戦計画を立て始めました。しばらくすると隷下部隊の一部に災害派遣の準備命令が下ったみたいでその部隊は原隊に帰って別の部隊が来ました。「北海道の部隊も関西の災害に派遣されるんだな!」と当時は思いました。

 時が経ちいくつかの部隊に転属をしてとあるとき、当時阪神大震災に参加した先輩から当時のことを聞きました。「あちこちに遺体があって匂いがすごかった散らばった人の部位を集めるのでその時は夜眠れなあった。」災害派遣に行ったことない私は想像を絶しました。
 この震災から比較的自衛隊の信頼が上がって以降は好意的な報道を見るようになりましたが、当時の災害派遣の報道は、
・休憩の際に熱くて上位を脱いでくつろいでいるところを写真に収めてだらしがないと言い立てる。
・自衛隊の食事でたのが赤飯(当時自衛隊のレーションは白飯、鶏めし、赤飯と副菜しか種類がなかった。)を食べていると「災害時に赤飯をたべるとは不幸を喜んでいるのか!」と非難する。
・トンネルの崩落事故で片方から自衛隊、もう片方から警察と消防が救援活動をしていると絶対自衛隊の方を映さない。
・「なだしお」事件(潜水艦なだしおと民間の遊覧船の衝突事故)の際に、わざわざ関係ない映像(潜水艦の上で立っている海上自衛官)を繋いで遊覧船の投げ出された人を救援しない印象を与える。

 などひどい状態でした。海尾守さんもそういった状況だったので「食料をお借りするといったことを言ったのかな?」と感じました。

 でも当時災害派遣の現場で頑張ったことは誇りにしてほしいと思います。
私は定年までとうとう災害派遣で現場にでることはありませんでした。

あの当時神戸で頑張った自衛官のお陰で国民の見る目が変わったのです。


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