読めない手紙がわたしとドイツをつなぎとめる
アンナさんから、今日もドイツ語で手紙が届いた。
もう5年も会っていないのに、彼女は毎月手紙を送ってくれる。これが、なかなか解読不能なのだけど。
わたしは5年前、ドイツでアンナさんというわたしよりだいぶ年上の女性と一緒に住んでいた。
彼女はまるで年の離れた姉のような感じで、時折わたしに食事を作ってくれたり、旅行に連れていってくれた。(ネットのルームシェア仲間募集掲示板で知り合ったが、それ以上のあたたかさでわたしと暮らしてくれた。)
彼女はドイツ語に加えて、フランス語と英語を話せるし、学歴社会のドイツでは、かなりエリートだったが、なかなかアート人間なだけに人付き合いがあまり得意ではなさそうなのが、日本人のわたしでも分かった。
アートと植物、少しの友人たちに囲まれ、静かに暮らすような人だった。
そんなアンナさんと離れて暮らして5年が経つのに、彼女はこの5年間毎月欠かさず手紙をくれる。
彼女はちゃんとiPadも、Gメールアドレスも持っているのだけれど、全くIT人間じゃないから、基本の連絡手段は手紙だ。
送られてくる内容はいたってシンプルで、旅行先の話、育てている植物の話、親友とのお茶の話など、半ば日記のようである。
だが、正直、読めないときは読めない。
かなり崩れたアルファベットの手書き文字で送られてくるので、なかなか解読に時間を要するのだ。
とりあえず、主に言いたいことは理解できる、というような状態である。(旅行についてとか、天気が悪くあまり植物の世話ができなかった話とか)
どのくらい読めないかというと、ドイツ語の「わたし」をあらわす、「Ich」の「I」がもはや「J」みたいに見えてくるし、しかも文中でどんどん文字が崩れてくる。もう書きながら面倒くさくなってきたのか?と思えるほどに。ああ、愚痴になってしまった、ごめんね。
もちろんわたしも返事はする。
でも、わたしは基本、彼女の手紙についてはありがとうとしか言わない。だって読めない部分があるから。「字が一部読めないから教えて」なんて、失礼極まりないし。
だからわたしも返事には、彼女と同じように自分のこと、身近に起こったことを、日記のように書く。
彼女からの返事にしても、わたしの手紙の内容に関しての記載はあまりない。仕事のこととかを少しは触れてはくれるのだが、前回の手紙の内容を引用し話が大きく発展することはない。
もしかすると、彼女もわたしと同じように、わたしの文字が解読不能かもしれない。
それに、わたしのドイツ語がひどすぎて失望しているのかもしれない。(5年やってるのにあいつの文法は一体何なんだ!いつドイツ語がうまくなるのか!的な。)
もしかすると、わたしたちは童謡の「やぎさんゆうびん」のように、
『しろやぎさんから おてがみ ついたくろやぎさんたら よまずに たべたしかたがないので おてがみ かいたさっきの てがみの ごようじ なあに』状態かもしれない。それも5年間も。
こんなことをやっているわたしたちは外からみると、とても滑稽かもしれないし、これをいつまで続けるのかも疑問である。
オチのない物語を永遠に続けているようである。
でも、わたしにとってそれは唯一「わたしがドイツに住んでいたこと」を証明し、ドイツとつながっていられる手段なのだ。
わたしは、もう5年もドイツに行っていない。
ドイツ語も書くくらいで、5年間話していない、声にすら出していない。ドイツ語特有のあの「R」や「ch」の発音ができるかも自信がない。ドイツとわたしをつなぐものは、この手紙以外何もない。
先月(5月)に届いた、彼女の手紙の一文である。
Die Zeit vergeht so schnell, die einzelnen Tage, Monate, Jahre, und selbst ein langes Leben kommt einem kurz vor. Daran denkt man doch auch bei der Kirschblüte, oder?
日々、ひと月、1年。時間が過ぎ去るのはとても速くて。長い人生も、短い人生のように感じてしまう。ねぇ、桜の木のそばで、そう思わない?
(4月に送られたものだから、桜の話題だ。4月に出された手紙が5月に届くのはヨーロッパの郵便事情であるあるなので仕方ない。
※まーまー意訳してます )
もう、アンナさんからの手紙を入れておく専用箱は、すでに満杯になってしまった。
ほとんど読めない文章の手紙すらある、パンパンに手紙が入ったこの手紙箱。
この5年間、必死でドイツとわたしをつなぎとめてくれている、細い細い糸だ。